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アクタイオンは「のび太さん」より罪が軽いのではないか


これの続きです。

アクタイオンの死

ギリシア神話のアクタイオンは、光明神アポロン(ゼウスの子)の孫だった。アポロンの双子の姉で狩猟と貞潔の女神であるアルテミスの怒りを買い、自分が育てた猟犬たちに噛み殺された。

作者歿後の紀元前405年初演とされる

エウリピデスの悲劇『バッコスの信女』における、アクタイオンの罰の説明

を読むと、テバイ王カドモス(アクタイオンの母方の祖父)いわく、

女神アルテミスよりも狩の上手と誇ったがために

エウリピデス『バッコスの信女』松平千秋訳、
『ギリシア悲劇』第4巻『エウリピデス』下巻所収、
ちくま文庫、1986年、467頁。

とされている。

紀元前64年ごろに生まれ、紀元後17年に死んだ

ヒュギヌスの『神話集』におけるアクタイオン

は、水浴中の女神を犯そうとしたため罰せられた(ヒュギヌス『ギリシャ神話集』松田治+青山照男訳、講談社学術文庫、2005年、206頁参照)。

けれど、べつの説もある。

ヒュギヌスと同時代、紀元後8年に成立した

オウィディウス『変身物語』第3巻のアクタイオン

は狩猟の昼休みに森に入り、誤ってディアナ(アルテミスのラテン名)に捧げられた聖地に踏み入って、入浴中の女神の裸身を見てしまったがために、鹿に姿を変えられ、自分の猟犬に襲われて命を落としたというのだ(オウィディウス『変身物語』中村善也ぜんや訳、岩波文庫、上巻、1981年、104-108頁参照)。

エウリピデス説のようにビッグマウスを叩いたわけでもなければ、ヒュギヌス説のようにレイプしようとしたわけでもない。
それどころか、水浴を覗こうと意図したわけでもなく、うっかり行きあわせてしまっただけなのだ。
「のび太さん」よりも罪が軽いと思うのだけど……。
聖地を聖地と認識しないことは、これほどまでに重い罪だったのか。

1-2世紀の人とされる

アポロドロス『ビブリオテケ』第3巻第4章第4節のアクタイオンの異説

は、上記の物語と併記されている。
それによると、アクタイオンがこのような死にざまとなったのは、叔母セメレに言い寄ろうとして、ゼウスの怒りを買ったためだ(アポロドロス『ギリシア神話』高津こうづ春繁訳、岩波文庫、1953/1978年、125頁参照)。マイナーな異説です。
なぜゼウスがアクタイオンにバチを当てたのか。
『神話集』第179章が記すとおり、アクタイオンの叔母セメレはゼウスの愛人だったからだ。

じつはほかでもないそのセメレが、甥のアクタイオン同様に、「見るなのタブー」に触れて死んでいる。
フランスの作家

ピエール・クロソフスキーの『ディアーナの水浴』

にあるように、

セメレーの身に起こったことはいってみれば、似たような、しかし否定的なかたちでアクタイオーンの身にも起る、どちらも自分のヴィジョンで破滅するのである。

ピエール・クロソフスキー『ディアーナの水浴』(1956)
宮川淳+豊崎光一訳、水声社、2002年、34頁。

視覚ヴィジョンで破滅する、つまりセメレも、見ちゃダメなものを見たせいで破滅するのだ。

『神話集』のセメレの死にかた

は以下のとおり。
第179章で、セメレとの同衾を夫ゼウスが望んでいることを知ったヘラは、先回りして乳母ベロエに化けて、セメレに、正妻ヘラとベッドをともにするときと同じ姿で訪れてほしいとゼウスに求めた。
ゼウスは承諾し、

雷霆を雷鳴をもってやってきて

前掲『ギリシャ神話集』245頁。

神ならぬ身のセメレはそれに耐えられず感電、焼死してしまう。
ゼウスは焼死体から未熟児を取り出し、これがのちのリベル、つまり酒神ディオニュソス(バッコス)だという。

『変身物語』第3巻のセメレの死にかた

は、つぎのようなもの。
ユピテル(ゼウスのラテン名)が、贈り物は
〈好きなものを選ぶがよい〉
と言ってしまった手前、セメレの危険な願いを
「あ、いやちょっとそれはナシで……」
とは言えず、悲しい思いで約束を果たしたことを、オウィディウスは述べている。
セメレは

いわば花婿のこの引き出物で、焼け死んだ

前掲『変身物語』上巻、111頁。

セメレも、甥アクタイオンも、神のナマの姿という秘められた真実を直視して死んでいったのだ。

こういった神話のことを考えると、夫婦であってもプライヴァシーは守られるのが望ましいと思ってしまう。
(この項続きます)

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