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これからしばらく、おとぎ話について考える

ディズニーが、世界初(諸説あります)の長篇アニメーション『白雪姫』(1937)を実写化した。2024年春の公開と予告されていたけど、2025年に延期されたという。もうすぐですね。

ディズニープリンセスの原型は、『白雪姫』、『シンデレラ』(1950)、『眠れる森の美女』(1959)の3作で形作られた。『白雪姫』はグリム兄弟、残るふたつはペローが原作ということになっている。

そして、ペローもグリムも、民衆の話を書き取って、それぞれのやりかたでアレンジしたことになっている。

でも、じつはそうじゃないんだってことが判明している。詳細はまたいずれ。

とくにペローは、民衆の話を題材にしたとは、はっきり書いていない。彼の1冊目の物語集(1694)の序文に、がんばって読めばそう取れそうな要素がないわけではないけど、彼がはっきりそうだと主張してるわけではない。

にもかかわらず、ペローもグリム兄弟同様に、民衆の口承説話に手を加えて発表した、と言われている。

ペローやグリムのお話そのものも、ペローやグリムが作ったものではなく、ずっとむかしから、ヨーロッパの各地で語りつたえられてきた民話なのです。それどころか、『赤ずきん』のお話のもとは、古代のギリシアやエジプトの神話の中や、五千年もむかしの中国のお話の中に発見される、ともいわれています。

榊原晃三「訳者あとがき」
フィリップ・デュマ+ボリス・モワサール『さかさま物語』(1977)、
佑学社、1985年、108頁。

広く親しまれている「赤ずきん」の物語は、もとは、文字を使わない民衆が語りつたえた民話である。それが、一七世紀以降に文字文学として作り直され、私たちが一般的に知っている赤ずきんの話は、この口頭伝承と文芸とが相互に影響しあいながらできている。

ウェルズ恵子「ヴァナキュラー文化として「赤ずきん」を読む」
ウェルズ編『ヴァナキュラー文化と現代社会』所収、
思文閣出版、2018年、115頁。

ペローやグリムは、伝承の語り手が聞きおぼえた話や、身の回りで語られた話、古い昔話集からみつけた話を、子供や孫に語り聞かせるように、文字を使って書き残したにすぎません。彼らは、「作者」というよりも文字を駆使した「語り手」であるといった方がよいでしょう。〔フランス文学者・樋口淳[日本民話の会]〕

樋口淳「はじめに」
日本民話の会編『決定版 世界の民話事典 読んで面白い ひいてわかり易い』(1988)、講談社+α文庫、2002年、3頁。

書き残したにすぎません!……ねえ。
僕も以前はそう思っていた。でも、いまはかなり違うことを考えている。

『ロミオとジュリエット』『オセロ』「杜子春」「山月記」、あるいは『アナと雪の女王』について、こんなことを言ったら、どう思うだろうか。

「シェイクスピアは、古いイタリアの短篇集からみつけた話を、観客に見せるように、韻文で舞台化したにすぎません。彼は、「作者」というよりも舞台を利用した「語り手」であるといった方がよいでしょう」

「芥川龍之介や中島敦は、唐代伝奇集からみつけた話を、日本人を楽しませるように、日本語でアップデートしたにすぎません。彼らは、「作者」というよりも雑誌を利用した「語り手」であるといった方がよいでしょう」

「ウォルト・ディズニー・アニメーションスタジオは、アンデルセンのお話集からみつけた話を、現代人を楽しませるように、映像化したにすぎません。同社は、「制作者」というよりも映像を駆使した「語り手」であるといった方がよいでしょう」

いやさすがに、そうじゃないでしょう?
元ネタがあったとしても、あれはやっぱりシェイクスピア(芥川・中島敦・ディズニー)の作品として認めるべきでしょう?

グリムとペローとでは事情が違うんだけど、いまはグリムやペローにもそう思うようになった。
ペローは「赤ずきんちゃん」の作者。
グリム兄弟は「白雪姫」の作者。

なんでこう考えるようになったかについては、これからゆっくり書いていくことにします。
(続く)

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