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岩波少年文庫を全部読む。(3)世界は信頼に値する、と言い切ること いぬいとみこ『ながいながいペンギンの話』

(初出「シミルボン」2020年10月15日

南極のアデリーペンギンのおはなし

 3話からなるこの冒険物語の主人公は、南極のアデリーペンギンの子でやんちゃなルル。

 彼が単独で、あるいは引っ込み思案な幼い弟キキといっしょに、親もとを離れて他者と出会い、そして親もとに戻ってくるという形をとっています

 第1話でルルが方角を失って凍えていると、〈しらないペンギン〉(43頁)が見つけて保護してくれます。

 それは、噂にだけきいていた、恐ろしい生きものであるはずの〈にんげん〉でした。彼は〈クジラとりのふねの、もりうち〉(44頁)だったのです。

 第2話では、ルルとキキが乗っていた氷山が流されていってしまいました。
シロナガスクジラの子・ガイとの遭遇、そして皇帝ペンギン(ここでは動物の種の名前というより、ひとりのキャラクターの名前です)が専政的に支配する国での冒険と、『オデュッセイア』的な航海譚になっています。

 どうやって家に戻るのか? この求心的な問は、親の保護下から少しずつ外に出ていこうとしている年若い読者にとっていちばん大事なものだったりします。

動物と人間との交流、ただし会話はナシ

 最終話となる第3話には、ペンギンの泳ぎの〈せんせい〉と、いわば同級生のピピ、ミミ、キキ、ぺぺ、リリ、ココらが登場し、世界が一気に広がります。第1話に登場したもりうちのセイさん、第2話で出会ったトトも再登場。

 今回の冒険は、主人公がどこか遠くに出かけていくのではなく、大きなトウゾクカモメの大群が主人公たちに襲いかかってくるというものです。

 動物どうしを会話させ、人間との交流も描き、その双方に視点を与えながら、両者のあいだには言葉での会話は成立させないという線引きは、幼年童話に持ちこまれたひとつの「近代」なのでしょう。

 本書を構成する3つの章(〈おはなし〉)は、1954年から56年にかけて毎年1話ずつ、同人誌に発表され、1957年に本として刊行されました。当時作者は石井桃子とともに、創刊間もない岩波少年文庫の編集にかかわっていました。

世界は信頼するに値する

 この本から受け取れるのは、「世界は信頼するに値する」ということ。

 そしてメタメッセージとして伝わってくるのは、「世界は信頼するに値する、と幼い子に言わなくてどうする」という強い決意です。

 そりゃ、世界にはいくらでも致死的な危険の可能性があるし、それは作中でも(とくに最終話で)記述されています。「信頼できる」とは、なにも絶対の安全を保証されるということではないのです。

 疑い深い人は「信頼すること」を
「相手が裏切らないという確証を得ること」
と定義しています。

 そんな確証は、原理上、まず得られるものではありません。
ですから、「信頼すること」を「相手が裏切らないという確証を得ること」と定義しているかぎり、人は不信と不安を抱えたままなのです。

 おそらく「信頼すること」とは、
「世界がこちらの予測をどう裏切っても、まあいいかと思えそうな気がすること」
なのだと思います(言い換えると、自分を信頼することが、世界を信頼することの第一歩)。

 この感覚を持つことがいかに大事かを僕が知ったのは、残念ならがだいぶ歳をとってから、痛い目をかなり見たあとのことでした。

 大人になってから発見した重要なこと、それは、
「世界を信頼することの第一歩は、自分を信頼することにある」、
つまりは
「世界は、期待さえしなければそこそこ信頼できる」
だったりするわけですが、これは子どもの心にとって納得できることではないでしょう。そもそも子どもは、期待とはなにかを言語化できないかもしれないのですから。

 ですからそれ以前に、
「いろいろあるけど、なんとか大丈夫」
の感覚を子ども時代に持つことって、その後の長い人生でけっこう大事だったりするのかもしれないなあと、この『ながいながいペンギンの話』を読んで思ったりしたわけです。

『長い長いお医者さんの話』と『ながいながいペンギンの話』

 本書は2000年にリニューアルされた新生岩波少年文庫の、通し番号で言うと003番、そしてその直前の002番は前回の『長い長いお医者さんの話』です。

 いぬいとみこは当然、中野好夫訳(重訳)チャペックの題を意識して、この作品を命名したのでしょう。

 手もとの2000年版には、1979年に出た岩波少年文庫版「あとがき」と、1990年の日付がある「おわりにもうひとこと」が収録されています。前者にはこうありました。

私自身昭和初期に子どもだったころ、中野好夫さん訳のK・チャペック『ながいながい郵便屋さんの話』を、父か小学校の先生に読んでもらい、お話の世界の楽しさを知りました。

 『ながいながい郵便屋さんの話』とは、『長い長いお医者さんの話』に収録されている「郵便配達の話」のことでしょう。田才益夫の原典訳では「郵便屋さんの童話」という訳題になっているものです。

 しかしチャペック童話集の最初の訳書である『童話集 王女様と小猫の話』(第一書房)の刊行は1940年12月で、いぬいとみこは16歳になっていたわけで、これはなにかの間違いなのではないかと思いました。

 それに先立って1936年に、新潮社《日本少国民文庫》第15巻として山本有三『世界名作選』第2巻が刊行されていて、ここに中野訳の「郵便配達の話」も収録されていました(この叢書の編集にも石井桃子がかかわっていました!)。これは当時相当広く読まれたもので、のちに第1巻とともに新潮文庫に入っています。

 このアンソロジーは美智子上皇后幼少時の愛読書として知られています(2歳のときの刊行)。たしかに、これでしたらいぬいとみこは、年長者に読んでもらった可能性があります。それでも中学1年生くらいではないかと思います。

 しかし中野訳の「郵便配達の話」はひょっとしたらさらにそれに先立って、なにか雑誌に掲載される機会があったのではないでしょうか? 作者が読み聞かせられたというのは、それのことではないか、とも推測します。

 それにしても、『王女様と小猫の話』が表題作を削除して『長い長いお医者さんの話』として岩波少年文庫に収録されたのは、『ながいながいペンギンの話』第1話が発表される2年前の1952年のことです(1962年に現在の形に増補)。

 1950年のレーベル立ち上げ以降、岩波少年文庫を編集していたいぬいとみこは、当然そこからこの単行本デビュー作の題名をインスパイアされたのだと思います。

いぬいとみこ『ながいながいペンギンの話』(1957)
大友康夫挿画。巻頭に「はじめに」、巻末に「あとがき」(1979年5月17日)「おわりにもうひとこと」(1990年4月)を附す。
1979年7月6日刊行、2000年6月16日新装版。

いぬいとみこ 1924年東京生まれ。本名乾富子。平安女学院専攻部保育科卒業後、保母を経て岩波書店で岩波少年文庫の編集にたずさわる。本書で毎日出版文化賞受賞、『木かげの家の小人たち』(福音館文庫)で国際アンデルセン賞国内賞、『北極のムーシカミーシカ』(角川文庫)で同佳作賞、『うみねこの空』(同)で野間児童文芸賞、『雪の夜の幻想』(童心社)で産経児童出版文化賞、『山んば見習いのむすめ』(福音館書店)で同賞および赤い鳥文学賞、『光の消えた日』(岩波書店)および《白鳥のふたごものがたり》シリーズ(理論社)で路傍の石文学賞、後者で産経児童出版文化賞。著書に『くらやみの谷の小人たち』(福音館文庫)、『うみねこの空』(角川文庫)、『いさましいアリのポンス』『ぼくらはカンガルー』(講談社文庫)、『川とノリオ』(フォア文庫)、共訳にジーハ『ホンジークのたび』(フォア文庫)、『子どもと本をむすぶもの』(晶文社)、ヨゼフ・チャペック『こいぬとこねこは愉快な仲間』(河出文庫)など。2002年歿。

大友康夫 1946年生まれ。ファッションモデル、役者、マグロ仲卸見習、運転手などを経て『あらいぐまとねずみたち』で絵本作家としてレビュー。作品に渡辺茂男との《くまくんの絵本》シリーズ(福音館書店)、《くまたくんの絵本》シリーズ(あかね書房)など。

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