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岩波少年文庫を全部読む。(13)語りの磁力 稲田和子編『かもとりごんべえ ゆかいな昔話50選』

(初出「シミルボン」2020年12月24日

https://www.amazon.co.jp/dp/4001140136/

民話は落語のおとなりさん

 この連載でも何度か、たとえば宮澤賢治『注文の多い料理店 イーハトーヴ童話集』の回で、落語を引き合いに出しました。

 これには個人的な事情があります。

 ひとつは、この7月(2020年)に隣の市の図書館で偶然借りた『えほん寄席 滋養強壮の巻』(小学館、2008)がきっかけで、3歳児が古典落語にハマり、つられて僕も久しぶりに落語への興味が再燃したということ(前年の宮藤官九郎の大河ドラマ『いだてん』で僕も落語方面の意識が少し温まっていたところがある)。

 もうひとつは、その翌月(8月)に頭木弘樹さんが刊行した『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』(ちくま文庫)が滅法おもしろかった、ということ。

 頭木さんによれば、落語は世界でも稀有な、21世紀に生き残った口承文芸である、ということです。

世界中で語り部の仕事が成立していたのです。しかし、今では世界中を探して絵も、「語り部」はなかなか見つかりません。先進国ではとくに。
 しかし「かたりべ」が、現役の存在として、しかも職業として、ちゃんと残っている国があります。
 それが日本であり、落語家ではないかと思うのです。〔24頁〕

 たしかに、落語を「芸能」の側面だけで考えると、いろいろと取りこぼしてしまうことが多そうだな、と思いました。

(本稿の初出媒体シミルボンでは僕は以前頭木さんの『カフカはなぜ自殺しなかったのか? 弱いからこそわかること』[春秋社]について書いたことがあります

落語的民話への招待

 この落語再発見と平行して僕は、笠原政雄『雪の夜に語りつぐ ある語りじさの昔話と人生』(1986。のち福音館文庫)の昔話を、3歳児に読み語りしていました。この名著についてはほかの機会に稿を改めて書こうと思います。

 これが大好評で、どうやら落語の江戸弁や関西弁にしても、日本民話の方言にしても、その口誦性が読み語りの当事者に「語る─聴く」構えを作らせるところがあるようです。

 また、子に受けた理由のひとつは、落語「松山鏡」の民話ヴァージョンが入っていたことにあるのかもしれません。「松山鏡」の劇評家・楠山正雄による再話『日本の諸国物語』(講談社学術文庫)で読めます。どうやらこれは大蔵経『ウパマー・シャタカ 百喩経』(棚橋一晃訳、誠信書房)という寓話集に由来するものだそうです。

 じゃあつぎはなんにしよう、と思ったときに、「笑い」に重点を置いたこの『かもとりごんべえ ゆかいな昔話50選』が目に入ったわけです。

民話を読み語りすること

 ほんとうならストーリーテラーとして、話を暗記して暗誦するのがベストなのでしょうけれど、付け焼き刃の身としては、本書のような民話研究・採集の成果に頼るのがいちばんです。

 表題作「かもとりごんべえ」(福島県)は落語の「鷺とり」「頭にはえた木の話」(宮城県)は「頭山」「たのきゅう」(岐阜県)はそのまま「田能久」「長い名の子」(長野県)は「寿限無」でした。

 「長い名の子」の名は寿限無寿限無五劫の擦り切れ…ではなく、

へえとこ、へえとこ、へえがあのこ。しっちしっち、しがじのたわたわ、おちょこちょいのてんもこもこの、すっぽんやのやいち〔134-135頁〕

腕白が過ぎるのは寿限無と同じですが、「寿限無」は情報伝達中に長い名前を連呼してたら、その子に殴られた子のたんこぶがひっこんでしまったという平和な話なのに、本書所収の民ヴァージョン「長い名の子」では当人が井戸に落ちてしまって、親が梯子を借りに行って情報伝達中に名前を連呼してる間に死んだ、というブラックなオチです。

 本書には民話だけでなく、『出雲国風土記』から国引き、『播磨国風土記』から大人神〔おおひとがみ〕、記紀から少彦名命(すくなひこなのみこと)の神話が採られています。

2000年6月16日刊。巻末に編者解説「それぞれのお話の背景について」ならびに参考資料一覧を附す。挿画=宮田菜穂。

稲田和子 1932年岡山県生まれ。岡山大学法文学部卒業後、民話の採集・研究を始める。山陽学園短期大学名誉教授。夫の民俗学者・稲田浩二との共編著に『日本昔話百選』(講談社+α文庫)『岡山の笑い話』(日本文教出版《岡山文庫》)、筒井悦子との共著に『子どもに語る日本の昔話』(全3巻、こぐま社)など。

宮田奈穂 絵本作家。母である編者との共著に『天人女房』(アルコプランニング)など。

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