コミュニティに企みは必要か
どもども。青木です。
最近よく訊かれること、
「コミュニティ作りを行うとき、何か”こうなってほしい"という気持ちは必要ですか」。
結論からいうと必要です。
コミュニティとは社会学用語で言うところの緩い紐帯、簡単にいえばユルい繋がりを指します。このユルい、をもう少し細かく描写していくと明文化されたルールが存在していなかったり、具体的に得られるメリットやデメリットなどを並べているものではありません。そう、組織になっていないのが一つ大切なポイントです。だからコミュニティを意図的に運営していくことに対する抵抗感があるのではないかと思います。
よく勘違いされることが多いですが、コミュニティは組織ではありません。
オンラインコミュニティなどは組織化されているので厳密には異なるものです。
さて、そのコミュニティですが意図を持っていないとどういうことが起きるかというと、最初に集まったメンバーの中で複数の共通点が複雑に混ざり合い、表出する居心地の良いポイントを起点に新たな人がやってきます。
よくわかんないですよね。
意図を持っていないと、そのコミュニティの特徴が初期に集まってきた人によりランダム生成されるのです。
友達付き合いなどならそれで良いのですが、
事業だったり、居場所としてのコミュニティ運営を行っていく上では意図的にそのコミュニティのフレーバーを出していくことです。
例えばイベントのテーマや会場の掲示物をとってもコミュニティへのメッセージとなります。特別誰かを見えるようにえこひいきする、逆に排除するようなことは必要ありません。しかし、「こうなってほしい」という意図を持ってその意図がどこかにチラ見えさせる努力は行っていくべきだと考えています。
よく共犯者にするという表現がコミュニティを扱う人達の文脈で語られることがありますが、これも前述のフレーバー出しに近いです。
共犯者を増やすことで組織内のいくつかあるコミュニティの中で多数派であること、強い影響力を行使できることを演出することで周囲の自然発生したコミュニティ、コミュニティ無所属層が影響を受け、主流化していくのです。必ずしも実際に多数派であったり、強い影響力を持っていなくても主流に食い込めるところは”共犯者"という表現の妙を感じます。
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