本地垂迹説
「本地」と「垂迹」二つ合わせて
「本地垂迹」説です。それぞれが何を
示すか順に説明します。
まず「本地」とは、ものの本来の境地や
あり方のことを意味します。
後半部分の「垂迹」とは、迹(あと)を
垂れるという意味で、神が仏の後から
現れることを指します。
即ち、仏が先で本体であり、
神は後身、仏の変化身のひとつ
であるという考えです。
究極の本地とは、宇宙の真理そのもの
である「法身」であるとされています。
これを本地法身(ほんちほっしん)と
言います。
よく聞く○○権現の「権」とは「権大納言」
などと言うように「臨時の」「仮の」
という意味で、仏が神の形を取って仮に
現れたことを示しています。
徳川家康が亡くなった後、諡号(神号)
を権現にするか、明神にするかで揉めた
と聞いたことがありますが、結果、
「東照大権現」に落ち着きました。
この本地垂迹という思想は、
仏教が日本各地で広まって行く中で、
その土地土地の土着的な神々を
取り込んで来たことに由来しています。
仏教における天部衆のほとんどは
インドのヒンドゥー教の神々が
大元です。仏画や仏像でも肌の色が
違うので、すぐに分かります。
後に拡大解釈され、大乗仏教で
本地仏=大日如来の化身が
不動明王などの加持身(この場合忿怒身)
であるという考えを生みました。
日本においては、仏教伝来の時に
蘇我氏と物部氏が崇仏派、排仏派
として対立するなど、仏と神道の
神々には明確な違いがありました。
しかし「神仏」という言葉が示す通り、
民間信仰の中で徐々にその隔たりは
なくなっていきます。
仏教における解釈では、神は「衆生」の
ひとつであり天部衆と同じとし、神々には
解脱が必要であると考えられていました。
神をどのような存在と考えるかによって
賛否の分かれる所と思いますが、
西洋で言う神と日本の神は違います。
日本の神は、西洋における唯一絶対神
が登場する前の、オーディンや
オリンポスの神々と同じような
「人格神」です。
また、日本では全ての物にカミが
宿るという考え方から「八百万」の
神がおり、目に見えない、人ならざる
者は神と呼んでいたようです。
天武朝における天皇中心の中央集権化に
伴い、天照大神などの天つ神は民族神と
して見直されましたが、出雲系の国つ神
のみならず、歴史の闇に埋もれてしまい
未だに顕彰されていない神もたくさん
あります。
✳荒吐神(アラバキ、アラハバキ)
などもそのひとつです。
このように本地垂迹からも漏れ、
権化神に対する実類神として、
本地仏のない(分からない)神も
生まれましたが、それは本地垂迹説の
功罪で言うなら、罪の部分のように
思います。
なぜなら仏や神に明確なヒエラルキー
を作ってしまったからです。
数多ある神仏の中で、どの方が一番
偉いかはさして問題ではありません。
宇宙創生から、花を揺り動かす
風のそよぎまで、その法則を支配
しているエネルギーが神だからです。
エネルギーなので大きい、小さいは
ありますが、貴賎は特にないと
思われます。その大小を人格神
なので貴賎に置き換えているの
ではないでしょうか?
私も日本人の一人として八百万の神
の方に親しみを覚えます。