鎮丸~野獣跳梁~ ⑩
獣の目の前にしばらく消えていた鎮丸の姿が現れた。その姿はまた若返っている。
(…ふふん。自ら再び魔道に堕ちて来よったか。)獣が嘲笑する。
(何度挑んでも同じこと。おまえは既に一度負けているのだ。)獣に隙はない。
「同じかどうか確かめよ。」鎮丸は静かに言う。
鎮丸の術はまた通じないかもしれない。しかし、今は鎮丸自体が魔の波動である。魔物同士なら相手に働きかけるのも可能だろう。
獣は鎮丸の心を読み、答えた。
(ふふふ…そうだ。このようにな。)
そしてやにわに隣の白狐の体を踏みにじった。
「ぐはっ…!」白狐は血を吐く。
まだ魂は肉体に留まっているようだ。
その時、赤い空に邪眼が浮かんだ。
御前である。
空から降って来た梵字が帯状に獣の体に巻きつく。
獣は呪縛された。
(ほほう、母親か。今までどこにおった?)
邪眼は答えない。
縛られた獣に今度は銀色の針のような毛が降ってくる。
獣は自らの黒い毛を逆立て、これを防いだ。
鎮丸は思った。やはりそうか。無敵である筈の獣が防御をした。
妖狐の甲高い声が空に響く。
どこからともなく雌の白狐が現れ、獣の首筋を狙った。獣はまた毛を逆立て、白狐の牙を防ぐ。そのまま弾き飛ばした。
鎮丸はすかさず言う。
「禿よ。起きよ。」
血反吐をはいて倒れていた禿がムクムクと起き上がる。禿の両目は青く輝いていた。もはや左目は赤い瞳ではない。
(そろいも揃って、地獄より転生させてやった恩を忘れたか。)
禿は大きな火球を吐いた。
同時に口からは血飛沫が噴き出す。
禿はかまわずに火球を続けざまに吐く。
姿のない御前が獣を縛る。
采女が全身の毛を逆立て針を飛ばす。
三位一体の攻撃だ。
(鬱陶しいやつらよ。わしが皇帝だということ、忘れた訳ではあるまい。)
獣の目が赤く光り、呪縛を解く。口から炎を吐き、火球と針を吹き飛ばす。
圧倒的な強さだ。
こちらの不利に変わりは無い。
邪眼の母親が見守る中、夫婦が協力して、強大な敵に立ち向かっている。
鎮丸は「救われるべきは、こやつらか。」と言った。
その時、邪眼がより一層光り、大量の梵字が帯になる。采女が全身の毛を逆立てる。毛の針は一カ所に集まり、空中に留まった。禿がその毛を包むように火球を吐いた。
鎮丸も加勢する。
「हांカーン!」人中から赤い気を発した。鎮丸はいつしか赤い瞳をしている。
四人同時、渾身の攻撃だった。
獣に命中する。
轟音と閃光とともに獣の下の赤い地面がえぐり取られる。
濛々と上がる土煙を裂いて岩の塊が飛んでくる。
「いや、命中はしたが…。」鎮丸は静かに言った。と同時に体をかわす。
地獄の業火が鎮丸の立っていた地面を焼き尽くす。
土煙の中に、大きな赤い瞳が二つ妖しく光っている。
もはやなすすべはないかに見えた。
(to be continued)