質より量を優先する本当の理由
おはようございます!
今回のテーマは先日の記事と密接に関わる内容になります。今回の記事を読む前にぜひ先日の記事をお読みください。きっと内容の理解がより深まります。
↑こちらの記事では「質よりも量を重視しろ!」という主張をしました。作品の内容をよくするよりも作品の数出す方を優先しろ、というお話です。
こう主張すると賢いユーザーの方から以下のような反論が想定されます。
質低い作品ばかりではダメ、というのは非常に納得感あります。現に僕自身「作品の質低いといくら多く認知されても無駄!作品の質が大事!」と以前記事に書いたことあります。
「だったら量より質が大事じゃん!」と言われそうな気がしますが、それは違います。僕の主張は正確に表現するとこうです。
実は前回の記事は「質より量」といったテーマでありながら、その本質は「質を重視する」といったものだった、ということです。
どうしてそんな一見矛盾した内容になっているのか?ということに関してこれから書いていきます。
質と量を比較するにはある条件が必要
まず「質と量」という風に書いたとき、どうしても人の頭では無意識的にこう考えてしまいます。
「質>量」か「量>質」ということです。僕の考えではこれは全く比較対象として適当ではありません。まるで料理で言ったら美味しいものをちょっとだけ食べるのか、まずいものをたくさん食べるのか、どちらがいいか、と言われているようで非常に気持ち悪いです。
そんなもん料理は美味しい方がいいに決まっていますし、たくさん食べれるならたくさん食べたいって人の方が大多数でしょう(美味しさより栄養バランス!とかたくさん食べるより腹八分目!的な意見は一旦置いときます)。
それと同じように、アダルトコンテンツも質は高い方が良いに決まってるし、量も多い方が良いに決まっています。本来ここは比較すべきものではありません。
質と量の比較が有効になるときは条件があって、「リソースが限られているとき」です。アダルトコンテンツで言ったら「時間」、料理で言ったら「お金」を限られたリソースとして考えるなら質と量の比較は妥当性が生じます。
お金に限りがあるから、高くて質の良いものをちょっとだけ食べるか、それとも安くて質の低いものをたくさん食べるか。
制作時間に限りがあるから、質を高めるのに時間使って量を犠牲にするか、それとも質は犠牲にして量を確保することに専念するか。
ここで初めて「質か量か」という議論が可能になります。
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