完璧主義に落としどころを提案するとしたら
完璧主義な人、真面目な人、心配性な人、みんなおいでおいで。
ちょっと、もう割り切って一緒に楽になろうぜ。
かねてより「完璧主義」であることで、ごにょごにょ苦しんでいる私ですが、まあ、落としどころはココかな、と思うところがそろそろ見えてきました。
もうシンプルよ。きっと同じ性格の人たちも薄々気づいてることです。
それはね、「私がやりたくてやってまんねん!」と開き直ること。
……急にどうした感ハンパないね。
きっかけは、ひょんなことから読み返した過去の自分のnoteです。
過去のnoteといっても、ほとんどが1~2年以内に書いたものなので、おおむね考えは変わっておらず「ッカー!そうなんだよなぁ〜〜」と、自分が書いたことに大共感する謎儀式がお決まりなんですけど。
今回はちょっと様子が違いました。
当該noteはコイツです。
端的に言うと(まあほぼタイトル通りなんですが)どれだけ骨を折ろうが、骨折ってない人に容易に負けることってめっちゃあるよねー
要領上手くできない自分がもどかしいよねーだけど見てくれてる人いるし踏ん張ろうねーって感じの話です。
何の変哲もないこのnoteが、今の私にはなんとも腑抜けた文章に思えたわけです。
…共感してくれてた人ごめんなさい、いや、別に否定するわけじゃないんです。そういう気持ちになるときもまだ普通にあるし。ただほんのちょっと開き直りはじめただけ。
ただ、なかでも、腑抜けてんなと思ったのがここ。
見てくれている人がいるからなんだ、って話なんですよ。
いや、誤解ないように補足しておくと、見てくれてる人はまじでありがたいです。
今だって、こんなふわふわした私を近くから遠くから見守ってくれて、たまに声を掛けてくれる人がたくさんいる。noteを読んでくれるあなたも然りです。
そんな人たちに、私はいつも支えられて救われている。
それは確かなことだし、めっちゃくちゃ感謝もしてる。
だけどさ。
見てくれてるから、実直に完璧主義を突き通すってつなげるのは違くない???
重箱の隅つついちゃうのは、ほんとにそんな気持ちから???
しんどい、報われないこともある、もっと要領の良いやり方がある、人を頼ってもいいと分かってて、なぜ重箱の隅をつつくのか。
それはさ、自分がつつきたいからでしょ。
もう完全なるエゴなのよ。
そう!完璧主義はエゴ!
でも別にいいじゃん、それで。
所詮、世の中のあらゆることは、あらゆるエゴで出来上がってんだから。しらんけど。
あれが気になる、ここも心配、あっちを調整しときたい、こっちも着手したい、それをぜーーーんぶ自分で把握しときたい。全て綺麗に隅々まで磨き上げたい。己の手で。
だから、しんどいし、報われないし、要領はクソ悪いし、人に頼るのも下手。
でもやりたくてやってると思えば「ま、これでええんです~」と開き直れるはずなのよ。
なのに心のどこかで「やってあげてる」とか「誰かがきっと見てくれてるはず」とか思うから苦しくなるわけよ。
なんてことを、かつてのポエミーnoteを読んで思ったわけです。過去の自分にツッコミたくなるのは成長の兆しかな。
ね、ですよね????(圧
とは言え、ふにふにポエミーな私も戻ってくるし、完璧主義は結局しんどい。どっちの私も私。人間は揺れ動くものやでな。
ま、余裕があるときだけでも、心の中のヤンキーに「あんたがやりたくてやってるだけでっしゃろ~~!」と喝を入れてもらおっかなって。
「しんどいけどやっちゃうんです…🥺」より、「しんどくてもやめれねぇんだわ、ガハハ🤣」って突き進む完璧主義のがカッコいいやん。
しらんけど。
ということで、これが完璧主義さんへの落としどころでした。いかがでしょうか。
久々のnoteでとっ散らかった文章になっちゃったけど、要するに悲劇のヒロインじゃなく、わがままプリンセスマインドのほうが楽かもよって話です。
……まとまったのか???
ま、いいや、長くなったのでここらで強制終了します。お付き合いありがとうございました。
ドロン!
ちなみに、過去にもそれっぽい答えにたどり着きかけていたけど、まだ確信が持てなかったみたい。まだ心の中のヤンキーが登場しきっていないバージョン↓