持ち込みする前に読むべきマンガ
唐沢なをき先生の漫画が、𝕏(旧Twitter)に流れてきました。
素晴らしい内容なので、ぜひ下記のリンクから、続きをお読みいただきたく。
①作品はコミュニケーションの道具
そもそも、作品づくりというのは、作者と読者のコミュニケーションです。ある意味で、「自分はこれがすごく良いと思うんだけど、みんなはどう?」と問いかける作業に似ています。その結果、「おもしろい!」という人も入れば、「うまらない…」という人もいます。ところが、自分の作品はすべての人に受け入れられ、称賛されるに違いないと、思い込む人がいます。でも、自分の身近な人にだって、好きな人も入れば嫌いな人もいますよね? 100%の称賛も100%の否定も、現実にはありません。
でも、残念ながら、自分の作品に関しては、100%の称賛が来ると思ってしまう。それが、日頃からコミュニケーション能力が高く、誰からも愛されるタイプならともかく、唐沢なをき先生の作例にあるように、コミュニケーション能力に難があるタイプが、そう思ってしまう。これは辛いです。そもそも、週刊少年ジャンプの新人作家だと、読者の2割に支持されれば、その作品は10週打ち切りにならないと、『バクマン。』でも指摘されているように。逆に言えば、8割の読者には嫌われるし、嫌われても良いという面があります。
②マンガ家はコミュ力が超高い
神戸連続児童殺傷事件の犯人は、小動物を殺して、その眼球をコレクションしていたとか。それを友人に見せたら、ドンビキされてしまい、自分の価値観は他人に共有されないと、絶望したとか。彼が入所した少年院の美術を担当した人間は、彼の芸術家としての才能に、天才を感じたとか。でも、サルバドーリ・ダリも若い頃に自殺未遂を起こしたように、得てして天才の感性は一般人には受け入れられず、それで苦しむことがあります。マンガが大衆芸術である以上、ある一定の人間に受け入れられないと、商業ベースで成立しない。これは厳然たる事実です。なのに、最も大衆性が高い週刊少年ジャンプに、特殊な作品を持ち込もうとしたりする人は、絶えませんね。
漫画家は、イメージ的には引きこもってカリコリと漫画を描いているイメージがありますが。現実には、コミュニケーション能力は一般人よりも遥かに高いです。当たり前ですね、直接会話をかわさなくても、マンガという間接的な表現で、他人を感動させられるのですから。もちろん中には、対人恐怖症や赤面症、吃音症などで対面コミュニケーションが苦手な人もいますが。それはコミュニケーション能力全体の低さを、意味しません。母親以外とまともに会話できなくてもいいのですが、作品は読み人の立場にたっての工夫を施せなければ、商業的な成功は難しいでしょう。
③編集者は敵ではなく最初の読者
持ち込みは、ある意味で読者代表である編集者に、その作品が多くの人間にとって大衆性と娯楽性を持っているかを、ジャッジしてもらう場でもあります。自分にとっては常識であっても、読者の99.99%にとっては常識ではないことを、すり合わせる場でもあります。もちろん、編集者の中にも非常識な人間はいくらでもいますし、感性が合わない人間もいますから、絶対視する必要はありません。でも、いたずらに敵視する持ち込みが、一定数いますね。さすがに、脱糞する人間は滅多にいないでしょうけれども。
あるいは、「君には素晴らしい才能がある」と、編集者に言ってほしい人間も、一定数いますね。承認欲求から、作品を書く作家は多いので、それ自体は否定しませんが。残念ながら、作家は才能の世界です。何度も書いていますが、全国に漫画家は3000人から6000人という、CLIP STUDIOのセルシス社の推計があります。いっぽう、医師国家試験という難関に合格し、医師免許を持つ人は全国に約34万人います。東大卒と京大卒の肩書を持つ人も、同じぐらいいます。840人しかいないプロ野球選手ほどではないにしても、才能の世界です。
④インターネットを活用しよう!
今は、編集者の当たり外れに一喜一憂するよりも、さっさとSNSで作品を発表し、直接読者に作品の是非を問うほうが、簡単ですし確実です。というか、ネットで評判になれば、編集者の方から声をかけてきます。ただ同時に、まったく他人が見てくれないとか、評価してくれない、それどころか罵声を浴びせてくることもあります。プロの作家でも、日々そういうアンチのストーカーに近い行動に、苦しめられている人もいます。
作家の、儲かってるとか人気があるとかチヤホヤされてるとか、プラスの面しか見えないのかもしれませんが。実際は、そういうマイナスのほうが多々あります。胡桃沢耕史先生は、自宅に訪れた自称ファンに、刃物で刺されています。それが直接の死因ではありませんが、その後に亡くなってもいます。
⑤京アニ法から殺人事件と山月記
残念ながら、承認欲求を拗らせて、それが悲劇につながることはあります。2019年に起きた京都アニメーション放火殺人事件は、そのような承認欲求を拗らせた犯人によって、引き起こされました。死者34人に負傷者36人。才能あるアニメーターが、一瞬にして命を奪われました。犯人は、書き上げた小説を投稿サイトにあげてはみたが、全く反響がなく削除したとか。自分は京都アニメーションに盗作されるぐらい、素晴らしい才能があるのだと、思い込みたかったのでしょう。
自分の非才を認めることができず、虎になってしまった隴西の李徴を描いた名作に、中島敦の『山月記』がありますが。承認欲求とは、人間を虎にしてしまいます。自分の描きたいものと、世間の需要にどれぐらいのギャップが有るのか、そこを見極めるのもまた、ビジネスには必要かと。
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