トリック・ライターのボクが異世界転移したら名探偵貴族に? 第1話
トリック・ライターのボクが異世界転移したら名探偵貴族に?
序章■死刑宣告を受けたその日
1
「───汝の死を以って、其の罪を贖うことを許す」
長い顎髭の裁判官が、そう告げた。
汝ってのはどうやら、ボクのことらしい。
小難し言い方をしているが、要するに死刑ってこと?
ここは法廷──といっても、傍聴席もない8畳間ぐらいの広さだ。
裁判官も一人きりで、他には書記官が一人。でもそいつは、東京地裁で何度か裁判傍聴した裁判官とは違い、妙チクリンな黒服を着ている。
いわゆる法服ってやつだろうか? ピラピラした貫頭衣みたいなアレ。映画やテレビで見たのと、どれとも似ていない。たぶん中世のものなんだろうけれど……。
フランスの法衣だったら、『ベルサイユのばら』で見た記憶があるんだけどなぁ。首飾り事件で法廷シーン、あったしね。でも他国のだと、サッパリわからない。
周囲には立会人らしき、腰に剣を下げた騎士っぽい人物もいるが、コッチの服装も自分には何時の時代で何処の国か、わからない。
「あの、待ってください。いったいボクが何をしたと? なんで死刑なんですか?」
「マリオン子爵の御息女が、頭蓋骨を割られた遺体で発見された。すぐ近くに其の方が倒れておった。手には奇妙な鈍器。これ以上、何の疑いがあろうか?」
「いやあの…鈍器って! ただの土器ですよ、ソレ。それもレプリカの」
裁判官の横の台に置かれた土器を指さし、ボクは必死に抗弁した。
我ながら、マヌケな状況だ。
池袋の東急ハンズで購入したレプリカの土器。そもそもボクに、それで人を殴って殺せるような腕力、ないってば。よく言うでしょ? 色男、金と力はなかりけりってね。自分で言うな。
ボクは反論を続けた。
「縄文式土器で、人は殺せませんってば!」
「ジョーモンキーシドゥキ? なんだそれは。そちは衣服も異国の物のようだし、顔つきも東方の民のようじゃのう。妙な言葉で法廷を愚弄するでない。では其の方以外に、誰が御息女を殺したと申すのだ?」
「知りませんよ、ンなこと! 挙証責任、ボクにはないですってば」
「キョショーセキヌーン? また訳のわからぬ言葉で愚弄を続ける? 老いたりと言えども吾は、賢王より法の番人を拝命して二十余年、侮辱するとは不届き千万!」
「いや、そうじゃなくって……」
「処刑は十日後を縮めて七日後、それまで土牢に閉じ込めておけ。水は与えても食事は罷りならん! 以上──」
ダメだ、話が通じない。
勝手に侮辱されたと思い、勝手に頭に血を昇らせ、勝手に執行猶予期間を減らしたよ。ハァ……。
2
ボク自身のことを、すこォ~しだけ話させてもらえば、職業は物書きだ。
もうちょっと正確に言えば、推理小説家としてデビューしたけど、1冊目の単行本がまったく売れず。
2冊目は、未だに、出ていない。
しょうがないんでミステリ研時代の先輩──鮎川哲也賞デビューの人気作家──のトリックライターをやったりして、糊口を凌いでる。芦●拓って知ってる? そう、あの人。『十●番●の●審●』とか、面白い作品書いてる人ね。
他にも、デビューした出版社で知り合った編集者から、イロイロと雑文書きの仕事をもらったりして、なんとか食ってる。最近は、テレビドラマの脚本家から、アイデア出し用スタッフとして、お声がかかったり。打ち合わせの拘束が長くて、金にならないけどさ。
んで、そんな雑仕事をズルズル続けていたら、11年も経ってしまっていた。
最近では「自己紹介のとき、推理小説家の〇〇ではなく、雑文書きの〇〇ですとか言い出すと、廃業も近いですね」なんてことを、知り合いの編集者に言われたりする。うるせぇよ、オマエは飯田橋に新社屋を建てた富士見町の某社の第一編集局第●編集部の副編集長か?
2冊目が何年たっても出なけりゃ、そりゃ卑屈にもなるよ。自分が悪いんだけどさ。
そんなボクが、なぜ中世のヨーロッパらしき場所で、死刑を言い渡されているかって?
それはこっちが聞きたいよ。
池袋の東急ハンズで買い物──さっきの縄文式土器ね──をして、昼飯を食おうと馴染みのインドカリー屋へ行こうとしたら、路地裏でバールのようなもので殴られた。
殴ってきたヤツは背後から「ワイの目ェにジーコ、走っとらんか?」とか、いきなり関西弁で聞いてきて。
「え? はぁ? な…ジーコ?」と戸惑ってたらいきなりゴンッ!
パーカーを着て、広島カープの赤い帽子を被った男に。……あ、いや、シンシナティ・レッズかもしれないけど。LAエンゼルスやカーディナルスではなかったのは、確かだ。
それはともかく、これでも小説家の端くれだよ、ボク。
ラノベ界隈じゃ、異世界転生ものの作品がそれこそマンボウの卵ぐらい、量産されてるってのは知っている。……3億個は言いすぎか。ウナギの卵500万個ぐらい? 辛子明太子の30万個ぐらい? どっちでもいいや。
でも、まさか自分自身がそうなるなんて。信じられる訳がないでしょ?
3
あ、いや待て。
そもそも異世界転生ってのはあれだ、冴えない中年サラリーマンが歩いてたらなぜかダンプカーに轢かれて中世ヨーロッパみたいな世界に生まれ変わるんだろ? 中世なのにジャガイモのスープが食卓に出るような。
ほんで、銀髪の美少女で巨乳とか、赤髪で賞金稼ぎの美人剣士で巨乳とか、魔法を使うロリフェイスの巨乳とかに、なぜか一方的に惚れられてしまうんだろ? 週末にはハーレムなんだろ? ここにはオッサンかジジイしかいないんですけど!
逆ギレしても仕方がない。落ち着こう。
だいたいボク、アラサーのオッサンのまま、こっちの世界に転生しているんですけどォ。
……あ、これって厳密には転生じゃないな。
生きたまま来てるから、異世界転移ってやつ?
どっちでもいいや。
いずれにしろ、中学2年生が初めて書いたファンタジー小説のような事態が、我が身に起きているわけだ。信じろと言われても、無理無理カタツムリ。
ひょっとしたら、ボクは殴られて昏睡状態で、これは夢の途中なのかもしれない。
だが、頬をつねったら痛いし、脇をくすぐったら変な感じだし。息を止めたら45秒ぐらいで苦しくなる。鼻毛を抜いてもやっぱり痛い。やべェ、3本抜いたら1本に白いやつが。
どう考えても、白昼夢とか妄想の類ではないと、結論を出すしかない。
そんで状況に流れ流され、気がついたら死刑判決だ。
わけがわっかんないよォ!
自殺願望なんて、生まれてこの方、持ったことがないのに。
何だってこんな、シチュエーションになってしまうんだ?
こうしてボクは、土牢にぶち込まれることになった。
薄暗く、窓もなく、格子は樫の芯の部分。堅い。
堅くって、とても脱獄なんかできない。リョービの電動ノコギリがあっても無理だね。ボクの腕のほうが振動に耐えきれず、先にギブアップする。
土牢には、ボクを含めて、5人。
巨乳の美女はいない。しつこいな、ボクも。
狭い所に押し込められてるしで、男たちの体臭も、けっこう臭い。この時代は入浴の習慣が、あまりなさそうだ。
トイレは大きめの木桶がひとつ、牢の隅っこに置いてあるだけで、大小兼用。その匂いもキツイ。肉が主食の人間特有の、鼻の奥にツンとくる臭さってやつ?
酔っ払ってぶち込まれた目黒署の留置場とか、ここに比べれば三つ星ホテルのスイート・ルームだね。
ただ思ったほど、牢の中はジメジメしていないんだな。
ここは空気が乾燥していて、生まれ育った神奈川の厚木ほどは、湿度が高くないようだ。
ではどこが似てるかといえば昔、『北の国から』の取材で出かけた富良野が、一番近いかも。そう、北海道のヘソ。ここって、高緯度地方なんだろうか?
ひょっとしてスウェーデンとかフィンランドとか? オーロラが見えたりして。だから窓がないから、見えないってば。
こうやってセルフツッコミをしているのも、死刑判決がショックだったから。小心者なんです。何か考えていないと不安で不安で。
どうなっちゃうんだろ、ボク……。
起章■ダイイング・メッセージ
1
「あんた、何の罪で捕まった? 盗みか? 詐欺か? それとも主人殺しか?」
土牢に押し込められた囚人の一人が、現実に押しつぶされ呆然としているボクに、声をかけてきた。
どこか人懐っこい顔の、小太りの中年。ボクよりも、3歳ぐらい年上だろうか。太ってるから、巨乳ではある。
不安そうな顔しているから、ボクと同じ小心者なんだろう。ナカーマ! ハイタッチ&グーパンチ、する?
「それが……分からないんですよ。気を失って、目が覚めたらなぜか騎士達に取り囲まれてて。それで幼女を殺したなって、小突かれて、引きずられて、裁判にかけられて、いきなり7日後に死刑だぞ……って。強いて言えば、罪状は冤罪ですよ」
「えん…ざ……何だそれは? 玉ねぎと一緒に炒めると美味い、あれか?」
「ちょっと何言ってるかわかんないんですけどォ」
サンドウィッチマンのギャグを、つい口走っちゃった。この人の良さそうなおっちゃんに、八つ当たりしてもしょうがない。スマイル、ス~マイル。チャップリンも言ってるし。
「平たく言えば、やってもいない罪で捕まったってことですよ」
「そりゃ災難だったな。だがいきなり斬り殺されなかっただけでも、あんたマシだよぉ。長槍でズンと一突きもある」
「そう、ですね。ハハハ……」
作り笑顔で答えたボクに、小太りの中年男氏は話しやすいと勘違いしたのか、勝手に自分語りを始めた。ボクそんなに、社交的じゃないんだけどなぁ……。
「おれっちは料理人でなぁ。ここにぶち込まれてもう3日目だよ。さすがにへばってきた」
ヘーヘー。
「女房と娘が一人。女房は評判の美人でな。娘は、もう天使のようにかわいくてな。ほっぺなんか、練った小麦より柔らかくってなぁ〜」
ホーホー。
それは奥様の遺伝子のおかげでしょうね、100%の確率で。
「ところが、雇い主の商人が、急に死んじまってなぁ。給料もいいし、お優しい方で、働きやすかったんだがなぁ」
ハイハイハイハイ。
ベテラン漫才コンビのボケを、心のなかでつぶやいた。よかったよかった、とはさすがに言わないけどさ。昭和のいる・こいるって、知ってる? 自分もどっちがどっちか知らん。どっちでもいいや。
でもどっちかがが、富野由悠季監督や井上大輔の、日芸の同期らしい。ガンダムに出演しなかったのが不思議だね。3倍のスピードよかったよかった、とか言いそう。
「どうした? おめぇ何を笑ってる?」
いかん、余計なことを考えてたら、苦笑してたようだ。
集中、シュウチュウ!
「あの、いや、美味しいパン生地を、つい思い出して。どうぞ、続けてください」
本当は興味ないけどね。
2
「そしたらよぉ、雇い主の奥様に、やってねぇ罪で捕らえられちまった」
……ほえ? ほんとに冤罪? 冤罪なのか?
他人の身の上話には興味はないが、冤罪とか犯罪とか聞くと状況も忘れて、つい聞いてみたくなる。そういう話、先にしようよ。
推理小説家としては半ば挫折しているんだけど。つい聞かずにおれない、トリック・ライターとしての悲しい性ってやつだなぁ、まったく。
「おれっちは商人のハドソン様のお抱え料理人なんだがよぉ。その人が昼食後に庭を散策していたら急に、ばったり倒れて、おっ死んじまったんだよ。ほんで、そばにいた奥様がハドソン様が何かを言おうと口をパクパクさせてっから、口元に耳を寄せたら〝やられた……ピーターに〟って言ったそうなんだ」
「つまり、料理人のあなた、お名前はピーターさん?」
「んまぁ、そういうこったな。役人に、食事に何か毒を仕込んだだろうと問い詰められてよォ。おれっちは身に覚えがないといったのに、捕まっちまったんだぁよ」
おいおい、ダイイング・メッセージとは今どき、古典的だねぇ〜。エラリー・クイーンかいな。
でも、ここ自体が中世の世界だから、古臭いパターンでも気にならないか。
亡くなったハドソンさん本人がピータさんを名指ししたんだから、疑われるのは仕方ないかな?
しかし、これは……詳しく聞いてみっか。
「あの、その人──ハドソン氏はどんな状態で、亡くなっていました?」
「血は一滴も出ていねぇよ。急に呻いて、倒れたって庭師が……」
「殴られたり、ナイフで刺されたりした訳ではないんですね。それであなた、ピーターさんが、料理で毒殺したと?」
「旦那様は一人で食事をしたし、給仕を務めたのも、おれっち一人だからなぁ。他の者には、そもそも毒を仕込む機会がねぇ。でもよぉ、御主人殺して、なんの得がある? 優しい主人で給金だって良かった。もちろん喧嘩なんかしたことねぇぞ。おれっちの料理を、いつも美味い美味いって褒めてくれてよぉ。一生仕えてもいいって、思ってたぐれぇなのに」
「その庭師、信用できるんですか?」
「旦那様が、ちんまい頃から仕えている男だぁよ。毒を盛る理由なんて、おれっち以上にねぇよ。先代の旦那様より、かわいがってもらったぐらいだ」
ハァ、さいですか。
その庭師がどんな人物か、この目で確かめることができない以上、ピーターさんの言い分を信じるしかない。理小説の定跡でいけば、そういうやつが一番疑わしいんだけどねぇ~。
「倒れた旦那様の身体に、いつもと違った点、何かありました?」
「首から胸にかけて、赤い痣? 腫れっていうのか? こう…緋色になっててよ。それがあっちこっちに浮いてたなぁ。ほんで奥様はそれを見て、毒殺に違いないって言い出してよぉ」
緋色、緋色、緋色──はて、なんだろう? そんな症状が出る毒物、あったっけ? この世界の毒物なんて、砒素とか鳥兜とか、中世から知られてる単純なモノしかないはずだ。
緋色…ねぇ……かのシャーロック・ホームズ第一作『緋色の研究』でも毒薬が登場してたけど、具体的な名前って、出てたっけ? 思い出せない。出てなかったような。どっちみち、即効性の毒だったし。この事件は、食事に入れたとすれば遅効性の毒。関係ないや。
毒、毒、毒ねぇ…………ん? あ、あああ、あったわッ!
3
「アナフィラキシー・ショックだ……」
「はぁ? 尻穴銀河症状だぁ? なぁに言ってんだ、オメェ」
うわぁお、なんだその超絶誤変換は? 計算してちゃ、出て来ない笑いだわ。素人は怖いね。天然物は養殖物に勝る。
もしボクが元の世界に戻れて、また小説を書く機会に恵まれたら、どっかで使わせてもらいます。パクって悪いか? ギャグに著作権はないのだ。
「蜂に刺されたことがある人が、もう一回刺されたときに、起きる症状があるんですよォ〜。それを〝アナフィラキシー・ショック〟って呼ぶんです!」
ボクは思わず、大きな声を出してしまっていた。
なにしろ推理小説を書くときは、最初にトリックと犯人を決めて、そこから逆算して伏線を張るって作り方をしていたから。すでに結末が分かっている推理小説は、作り手側としては退屈な部分もある。
だが『料理人ピーターの冤罪毒殺事件(仮題)』は、生まれて初めて読む推理小説みたいなものだ。読者として、面白くないはずがないじゃん。ワクワク。
「蜂の毒ってあんたぁ、お医者かね? そんな話、初めて聞いたぞ」
「部屋の中に入ってきた蜂に、ハドソン氏は刺されたか。それとも……仕えていた家の人に、地方出身者は? 遠乗りとか郊外に出るのが好きな人は? あるいは蜂蜜が好きな人は?」
「そんな勢い込んでポンポン言われても……ああ、そういえば妹君が甘い物好きで、領地の養蜂家と仲が良かったなぁ」
「それだ!」
「どれだ?」
ナイスなボケ。さすが天然物。
キョロキョロする料理人に、ボクは苦笑を抑えつつ、ゆっくり説明してあげた。純朴な人は、なんかいいな。どっかの小説投稿サイトなら「昭和の時代のギャグで、作者のセンスの古さを感じます」とか書かれるだろうな、確実に。
「雀蜂……は欧州にはいないか。えっと、足長蜂に中年男性が刺されると、死ぬことがあるんです」と身振り手振りで説明を試みるボク。
「あのホッソリした蜂で? おれっちも蜜蜂にゃあ刺されたことはあるが、ちょっと腫れただけで、寝込むことも死ぬようなことも、なかったぞい?」
「う〜ん、なんて説明すればいいかな……毒そのものの強さで死ぬんじゃなくて、2回刺されることで身体がビックリしちゃって、心臓が止まっちゃうんですよ」
近代医学どころか、中世の初歩的な医学も知らないであろう料理人に、アナフィラキシー・ショックを説明するのは、まず無理だ。
そう思ったボクは言葉を選んで、ピーターさんが飲み込みやすいであろう説明を、試みたのだった。わかるかな? わかんねぇだろうなぁ。
「おお、そういえば祖母さんの弟が、森で熊に出くわしてよぉ、噛まれたわけでもねぇのに、驚き過ぎて心の臓が止まっちまったって、子守話で聞いたことがあるど」
そうそう、そういうこと。説明としては、今ので充分だろう。
しっかし、ハドソン氏が蜂に刺されて死亡、ねぇ? ならマリオさんは車で轢死ってか? 苦笑を噛み殺しながら、ボクは次の手を考えていた。
「あの、ピーターさんの奥さんとか友人とかに、今言った話を、牢の外の人に伝えること、できませんか?」
「そりゃ難しいなぁ。死刑が決まってしまったから、もう会えるのは処刑前日に、懺悔を聞いてもらう神父様だけだぁよ」
「それだ!」
「どれだ?」
天丼ギャグに天然で乗ってこられると、2度目は笑えないなぁ。
ピーターさんも、ボクを笑わそうなんて気は、毛頭ないだろうけどさ。
「その懺悔のときにボクが話したことを全部、神父に話すんです。そして蜂に刺されて死んだ人間を見たことがある医者を、奥さんにがんばって探してもらう! まずは毒殺の疑いを晴らすのが先決です。で、この土牢から出してもらえたら時間をかけて真犯人を見つけることだって、できるはずですよ!」
長文を一気に吐き出した。橋田壽賀子の脚本ほどじゃないがね。ちょい疲れた。ピーターさん、理解できたかな?
なんでこんな長文が、スラスラ出てきたかって? 実はある脚本家に頼まれて以前、時代劇でのトリックを考えていたんだよね。
長屋の大工の熊さんが、雀蜂に刺されアナフィラキシー・ショックで死んでしまう。だが運悪く、いまわの際に「蜂に刺された」と言おうとして、「はちに……」ってダイイング・メッセージを残してしまった。そんなアイデア。
その結果、仲の悪い植木屋の八っつぁんが、トリカブトの毒を飲ませて殺したと誤解される──そんな小ネタ。
コンペでは単純すぎると、ボツを食らってしまった。「今時、ダイイング・メッセージですか?」って、飯田橋に新社屋を建てたあの副編集長も、薄ら笑いを浮かべてやがった。うっさいわ。
「足長蜂は英語で……そうだペーパー・ワスプだ!」
「なんだいアンタ、〝足長蜂は言葉で足長蜂だ〟って、そんな大きな声で」
ん? そういえば、ボクはさっきから日本語でしゃべってるつもりだけど、ピーターさんには英語だかフランス語だかに、変換されて聞こえてるらしい。
つまり、ボクが〝足長蜂〟と言っても〝ペーパー・ワスプ〟と言っても、彼の耳には同じ言葉に翻訳されて伝わってるらしい。リアル版ほんやくコンニャクだね、どうも。
いったいどういう仕組だろ? 藤子・F・不二雄先生も、そこまで細かい設定は考えていないだろうけれどさ。
「つまりピーターさんの御主人様は〝足長蜂に刺された〟と言おうとしたのに、息も絶え絶えだったので奥様が〝ピーターにやられた〟って、聞き間違ったんですよ!」
「ペーパー? ピーター? ……ンななななな、なんですとぉ~!」
ピーターさんの人生で、ここまで裏返った声を出したことは、なかっただろう。たぶん。脳天から出る声ってやつだ。なんですとバンプレスト。
ボクの推理の意味が呑み込めて、ピーターさん目がキラキラしてる。
生きる希望って、こんなにも人間を変えちゃうんだなぁ。コッチも嬉しいというか、誇らしいというか。うん、電車で妊婦に席を譲ったときより、晴れがましい。
こうして『料理人ピーターの冤罪毒殺事件(仮題)』の、ダイイング・メッセージの謎は解けたのだった。
承章■そして、第二の謎解きを
1
料理人ピーターさんの訴えは、あっさり通ってしまった。
神父との面会を待つまでもなく。
獄卒に、いくらかの謝礼金を渡すことを条件に、彼の奥さんに伝言を頼んだからだけどさ。何時の時代だって何処でだって、賄賂ってのは有効なのだ。
ボクの推理を伝え、屋敷に足長蜂の巣がないか調べてくれと、と頼んだ。
ピーターさんの愛妻が、証言してくれる医者と一緒に屋敷に行くと、奥様が運良く(といっては申し訳ないが)足長蜂に刺された直後だったんだ。
散歩していた広大な庭の樹に、3つも巣があったそうだ。ますます、庭師が怪しいなぁ。足長蜂の巣に気づいてたのに、わざと放置してアナフィラキシー・ショックを誘ったんじゃないの?
そういうわけで、こちらの世界では今、足長蜂の繁殖時期なのだろう。ということは、季節は4月か5月かな? こんな訳の分からない世界でも、季節があるんだ。
この世界の情報が増えると、なんだかホッとする自分がいる。
同行してくれた医者が、すぐに奥様の手当をして。
落ち着いたところで彼が昔、経験したアナフィラキシー・ショックの事例について説明したそうだ。あなたの旦那さんの死に方は、私が十年ほど前に見た患者とそっくりですよ、と。
医者の信用ってのは、大きい。いつの時代も。これがピーターさんの愛妻だけだったら、信じてくれなかっただろう。だって容疑者の妻だもん。
でも、自分を治療してくれた医者だと、心のガードも下がってただろうし。
これにて一件落着、ピーターさんは無罪放免。
良かった。
人が死なないって、それだけで幸せなことなのだ。
実際の殺人事件なんて、こんなもんだ。
複雑怪奇でもなければ、奇想天外でもない。
どっかの小説投稿サイトにアップしたら、「内容にヒネリがない」とか「アイデアが平凡すぎる」とか、それこそヒネリもなく平凡な、評論家気取りの素人レビューが付いて終わりだったろうさ。
でもさ、角田光代さんが『紙の月』を執筆する時、巨額横領事件を起こした女性たちを何人も調べたそうだよ。すると動機なんてどれもごく平凡で、がっかりしたとか書いてたぞ? そんなもんだろうな。
というか、テレビドラマ版で主役の原田知世さんも映画版の宮沢りえさんも、あんな美人の銀行の契約社員、そもそも存在するわけないけどね。ちっとも平凡じゃないんだもん。作り物の世界ではそうやって、誇張してエンターテイメントにしてる。
芥川龍之介の『羅生門』でも、描かれてるでしょ?
死体の女性から髪を抜いていた、奇怪な老婆に下人が何をやってると問い詰めたら、抜いた髪の毛を鬘にして売ろうとしてたって、白状して。下人はそのセコさに、ガッカリする。教科書で読んだよね。
下人は期待していたのだよ。
何を?
世の中には、とんでもない巨大な悪があるって可能性に。
そして、自分もそれに染まりたい……と。
吸血鬼に憧れる、凡人みたいなもんかな? 人間は並外れたものに、憧れるのだ。
それが悪であっても。
ピカレスク・ロマンは、だから成立する。
でも、吸血鬼なんか、現実には、いない。
世の中にいるのは、平凡な小悪党ばかりだ。
……いや、ちょっと待てよ。
しがないアラサーが異世界転移するんだ、この世界にはちゃんと吸血鬼がいたりして。
けど、ブラム・ストーカーはまだ、この時代じゃ生まれていないか?
閑話休題。
2
ピーターさんの冤罪が晴れた劇的な展開を見て、同じ土牢の囚人が、オレも冤罪だワシも冤罪だと、相談してきた。
んな訳あるか〜ッ!
んな狭い土牢の中で、冤罪の人間が何人もいてたまるか~い。
冤罪中年だらけの牢獄とか、要らんわい。
クリスティの『オリエント急行殺人事件』なら、無実だと言ってるこいつら全員、共謀してるってオチはあるけれどさぁ。
新宿区内藤町、爬虫類のマークでお馴染みの某社編集なら、囚人は全員巨乳美女にして、セクハラされるハーレム物にしようって言いそうだけど。
ただ一人だけ、面白い話をしてきた奴がいた。
囚人じゃないよ。
二人いる土牢の獄卒の、おしゃべりな方だ。
獄卒と言っても、背は高いが顔はあどけない少年で、背の低い中年…というか初老の獄卒と、みごとな凸凹コンビだ。
なんだかんだ言ってボクら囚人は、獄卒の世話になるから、自然と会話が発生するのだ。
ピーターさんの謎解きを、横からチラチラと聞いていたので、ボクに興味も湧いたようだ。
「一週間ほど前、とある教会の庭に、死体が置かれてたんだ。この牢の死刑囚の、最後の懺悔を聞いてくれる司教様がいる、大きな教会の庭だ。俺も毎週、礼拝に行く」
ほぉ、聞こうじゃないの。敬虔な獄卒くん。
チューリップハットの名探偵や、頭脳は大人のままで身体がちっこくなった高校生探偵並みに、死体との遭遇率が高いのは、このさい問わないからね。じっちゃんの名に賭けて!
ボクをこの世界に異世界転移させた誰か──宇宙意識体か存在Xかヒトガミか薬神かは知らん──が、そのように仕向けたんだと、とりあえずは思うことにして。
「あの、その死体が、夜中に歩いたとか?」
「いや、歩きはしなかったな。首を切られて死んでいたんだ」
お、切り裂きジャックか? だいぶ時代が違うな。ありゃビクトリア朝の事件だ。
「頸動脈をナイフで、スパッと斬られていた?」
「いいや、胴体から切り離されていたんだ」
お、犬神家の一族か? 菊人形ですか? この国に、んなもんないですか? でも猟奇的っすなぁ。
人間の首を胴体から切り離すのって、かなり難しいはず。昔読んだ本で、そう書いてあった。例えば三島由紀夫が市ヶ谷で割腹自決した時、介錯役の人が───あ、グロくなるから、細かい説明はやめておこっと。
グロい映像は脳内から消去、獄卒の話を聞くのに徹する。
「その死体に、誰も見覚えがないんだよ。司教様や他の神父はもちろん、礼拝に来る誰もだ。もちろん、自分も。そしてその日、教会の見習い神父が、一人消えた」
んじゃあ、そいつが犯人じゃん?
何があったか知らんが、人を殺しちゃったんで、怖くなって逃げたんでしょ。
つまらん! オマエの話はつまらん! 大滝秀治さん声で脳内再生っと。
時間かけて損した。
でも、気になる点もある。もうちょっと聞くか。
「あの、その死体って、何か特徴は?」
「髪の毛も髭も剃り上げられていて、死体の背中や胸には大きな切り傷が何本も走ってて、右脇腹には深い刺し傷がな」
「え? 致命傷はどれですか? 背中の切り傷? 脇腹の刺し傷? 首を切り落とされたら、確実に致命傷ですけど……」
殺すだけなら、刺殺でいい。殺した上で、首を切り落とすのは、たぶん怨恨だ。
何気なく聞いたんだけど、また面白くなってきた。
おら、ワクワクしてきたぞ! こっちは野沢雅子さんの声で脳内再生っと。
「それがどうも脇腹の一撃で、おっ死んじまったようでよ。殺した後に、背中やら胸に傷を付けて、最後に首を切り落としたらしい」
「それは……かなりの怨恨ですねぇ。一刺しで殺しておいて、死体を切り刻んで、断頭。かなり強烈だ。ますます『オリエント急行殺人事件』かな?」
「東方? 東方がどうかしたか? おまえさんは、小アジアの人間みたいな顔ぁしてるがよ」
おっと、また余計なことを言った。この世界のほんやくコンニャクは、未知の単語はそのまま音写してるのかな? 話の腰を折るから、気をつけようっと。
「いや~コッチのことです。独り言……の・ようなものですから忘れてください。続けて、続けて」
ボクは引きつった笑顔で誤魔化した。
3
しかし、首を切り落とすって、『犬神家の一族』以外にもなんか、あったよな? 有名な作品。中学生の頃、読んだような記憶が……。こういう時、パパッと固有名詞が出てこないのが、歳をとった証拠だよなぁ。
あの現象だ、ホレ、その……あの……ウソやべぇ、現象の名前も思い出せねぇよ! 大丈夫か、ボク? ホレホレ、なんだっけ? 喉元まで出かかってるんだけどォ───喉? のどのど…口……なんか正解に近づいてきた気がするぞ……がんばれボク……………あ、〝舌先現象〟だぁ~!
略してTOT現象。
いや~、溜飲が下がるというか、絡んだ痰が切れるというか、便秘が解消されるというか。おっと、これは汚い例えでした。ごめんちゃい。
お? ひとつ思い出せたら、なんか頭の中がクリアになってきた。
教会…修道士……神父…………ブラウン神父だよオイッ!
死体の首が切り落とされていた推理小説。『ブラウン神父の童心』に収録されてたわ。
ボクとしたことが、古典的な推理小説を、うっかり忘れていた。
作者はギルバート・キース・チェスタトン───名探偵シャーロック・ホームズを生み出したアーサー・コナン・ドイルより15歳年下で、ポアロとマープルを生み出したアガサ・クリスティより16歳年上。ちょうど中間の世代の作家。
推理小説界の大巨匠二人に挟まれて、一般人にはそこまで知名度が高くないが、ミステリファンなら、知る人ぞ知る大作家。
保守思想家としても知られるし、詩やエッセイも上手い。推理小説の始祖エドガー・アラン・ポーの雰囲気を、もっとも残してる気がする。多才すぎて、推理小説に専念できなかった部分もあるけど。ボクが好きな作家の一人。
「あの、その謎も解けました」
「本当かよ? 話を聞いただけで謎が解けるって、おまえは魔法使いか?」
「イヤ〜そんな。その死体の首、斧か両手剣でガツンと叩き斬ったような、荒い切り口ではありませんでしたか?」
自分の推理を確認するため、獄卒に重要ポイントを聞いてみた。
「ああ、そうだった。背中や脇腹の傷が鋭利な刃物で切ったような傷なのに、首の傷は押し潰されたような感じだった」
「こういうお仕事ですから、死刑になって首をちょん切られた囚人は、何人も見たことがありますか?」
「自分は3人ぐらいだが、こっちのオヤッサンは二十年も努めてっから、かなりの数を見てるぞ。……だよね?」
無愛想な方の初老の獄卒の方に向き直り、若い方の獄卒は無遠慮に尋ねた。
不機嫌そうに、でも歳上の獄卒はコクンと首を動かした。なんだ、こっちの話を盗み聞いてたのね。なら、話は早い。
「獄卒殿、あなたの知り合いに、首切り役人はいませんか?」
4
「なんあSじゃと?」
ボクの質問に、初老のほうの獄卒は、キョトンとしていた。
そりゃそうだろう。ボクの灰色の脳細胞の中じゃ、きれいに理路がつながっているけれど。初めて聞いた獄卒にとっては、目隠しして迷路を歩くようなものだ。
ゴールが見えないんだから、戸惑って当然。まずは、ゴールから先に示してやらねば、ずっと混乱させるだけだ。
「たぶんその殺人、死体の胴体は……行方不明の見習い神父です」
「はぁ? どういうこった? 胴体はって、頭は別人って意味か?」
ダメだ、さらに訳が分からないって顔してる。
ちょっと何言ってるかわからないんですけどォって、今度はボクが言われる番だな。もちっと丁寧に説明すっかな。
「その神父に恨みを持つ誰かが、首切り役人からもらったか、死体埋葬所から盗んだ首と、すり替えたんですよ」
「なんだってそんなことを? 頭のおかしい人間の仕業か?」
「頭がおかしいどころか、かなり頭が良い人間が、時間をかけて計画して、好機を狙っていたんですよ」
さっきよりも目が、落ち着いてきている。聞く耳と冷静さを取り戻したようだ。なら、一気に押していこう。
「この国の人はほとんどが、髭面でしかも髪も長いですよね。そんな人間の髭と髪を剃り上げたら、死刑囚でも別人に見えちゃう……これは合点できますよね? 死体が聖職者のように剃髪していたのは、そのためです」
獄卒二人は、顔を見合わせ、それからボクを見てと、目から戸惑いが消えていた。よしよし、ボクの説明にだんだん納得している。もうひと押し。
「ほんで、身体中の傷は?」
「その神父の裸を、マジマジと見た人はそうはないでしょうけれど。万が一もある。大きなホクロとか痣とか傷跡とか、目立つ特徴があると〝アイツだ!〟って気づく人もいますからね」
「確かにのう。傷だらけにすると、そっちにばかり目が行くわな。それに女房じゃあるまいし、他人の裸なんて細かく覚えちゃいない」
「でしょ?」
こういう話はやっぱり、妻子持ちのほうが話が早い。
まぁ、ボクは独り身なんだけどさ。うるさいほっとけ。
「それじゃあ、殺された見習い神父の首は、いってぇ何処に?」
「たぶん、死刑囚の埋葬所……だと思います。今なら掘り返せば、みつかるかも。何処かの森の中や庭の隅に埋められたら、もう無理だけど。でも別の場所に埋めたら野良犬がひり返す危険性があるから。死体を隠すなら、墓場が最適です。木を隠すには森の中が最適なように」
ボクの答えに、獄卒二人は「どうする?」「掘ってみるか?」「いや立会人を……」と、ボソボソ話しだした。お~い、置いてかないで。
しばらくして、何か合意が成立したのか、初老の獄卒が代表して、ボクに最大の疑問を投げて寄こした。一言ずつ、噛み締めながら。
「それで、神父見習いを、殺したやつは?」
その問いにボクは、答えるのを躊躇した。
転章■現れたのは美少年侍従長
1
「墓場をウロウロしても、怪しまれない人間」
ボクは、声を潜めた。
他の囚人には聞かれたくなかったし。
獄卒二人も、僕の次の言葉に、集中している。
「そうなると、可能性があるのは2人しかいない。首切り役人か───教会の関係者……」
最後の言葉は、もっと声を潜めて言った。
この国では、聖職者はボクらの時代とは比べ物にならないぐらい、尊崇されてるはずだから。迂闊なことを言えば、激昂した獄卒に、ボクが危害を加えられるかもしれない。
なにしろ、手には尖槍を持っている。格子の隙間からニュッと差し込まれたら、ボクの心臓を突き破るまで3秒もかからない。
「殺した理由は?」
「怨恨でしょうけれど、次の正式な神父の座を争っていた人物か、金を借りてた人間か、あるいは……恋人関係かも」
いつでも後ろに飛び退れるように、爪先に重心を移して、ボクは身構えた。
この時代、同性愛は死刑……それも火炙りの刑に処される大罪だ。
歳上の獄卒は、絞り出すように小さな声で、ボクにだけ聞こえるように告げた。
「ワシらの手に余る。……が、捨て置くわけにもいかんで、それなりの立場の御方に、そっと知らせておく。他の囚人には言うなよ」
◆
『教会生首すり替え殺人事件(仮題)』の推理から2日、そいつはやってきたんだ。
「こ、これは侍従長殿!」
自分の息子のような若い青年──ぎり少年と言っていい──に、初老の獄卒は急に言葉遣いも改め、尖槍の穂先を下に向ける礼を執った。
誰だ、コイツ? 侍従長? 執事とは違うのね。
鳥の羽がついた洒落た帽子から、巻き髪の金髪がこぼれ出ていて、薔薇色の頬に高すぎない鼻梁、唇は健康的に紅く、髭はまだない。
ハッキリ言って、美少年だと思う。
ルノアールの絵画に出てきそうな。アレ、名前はイレーヌ嬢だったけ? 彼女は亜麻色の髪だったけど。あれを金髪の男性にしたような感じ。
青と白の縞模様の上着に葡萄色のタイツ、靴は硬そうな革製。けっこう重そう。牛革か? 蹴られたら痛そう。でも、踵がない、ずいぶん古いタイプだ。
「新しい囚人が入ったようだが……変な者はいたか?」
そう言われて獄卒の二人、首だけターン。
だから、こっちを見るな、こっちを!
「実は泥棒を探している。それも、できるだけ腕の良い泥棒だ」
「コソ泥なら何人か居りますが……」
「それではダメだ。さる高貴な方の部屋に忍び込み、ある物を盗み出し、盗んだことを気づかれずに戻ってこられる、凄腕の泥棒が入用だ」
なんともまぁ、大胆なことを言う人だ。
ナントカとハサミは使いようと言うが、犯罪をこれから起こすから、牢獄で人材をスカウトしますと、いきなり言うか?
まぁでも、中国には鶏鳴狗盗って諺もあったな。鶏のモノマネや盗みが得意な食客を抱えていたせいで、絶体絶命のピンチを乗り切った古代中国の偉人の故事成語。宮城谷昌光の小説に出てた。『管仲』だったっけ? それとも『晏子』だっけ? うろ覚え。どっちでもいいや。
この牢に入ってるのは、ロクでもない囚人ばかりで、死刑囚だ。いざとなったら口封じ、全員殺せばいい。ボクも含めて。
「いったい何を盗むので?」
「オマエらが知る必要はない」
冷たい感じで言い放った金髪の侍従長に、若い獄卒は引きつった顔で平謝り。怖いねぇ。
「出過ぎたマネをしました。このことは、あの御方には報告せんでくださいませ」
「しないよ、あの方はこの程度のことで、怒ったりしない。秘密をペラペラ喋る人間が嫌いなだけだ」
アタフタしながら言い訳する獄卒に、今度は呆れ顔になった侍従長は、ため息をひとつ。理知的だが、表情が豊かだ。その点ではルノワールというより、竹宮惠子先生の漫画に出てきそうな美少年だな。名前はジルベールか?
腐女子が見たら、ファンクラブが一夜で立ち上がりそうな。
2
「ところで、例の囚人は、どいつだ?」
ボクのことらしい。いっそのこと「オランダ!」と昭和の時代のギャグを言いつつ、手を上げてみたいね。この世界のリアルほんやくコンニャクの性能を調べるために。
もっとも変な翻訳されたら、死ぬかもしれない。やっぱ、やめとこ。
「お~い、マリオン子爵の御息女殺しの囚人、ちょっと来い」
だから、幼女は殺してないっちゅうの!
「あの、ボクになんの用ですか?」
腹の底で思ってる言葉と、実際に口に出る言葉が、乖離しすぎてるね、ボクも。これも売れない作家の卑屈さだよ、ええ。編集者との打ち合わせでは愛想笑いを浮かべてしゃべっていても、腹の中では毒を吐く。面従腹背とは、よくぞ言ったもんだ。
「おまえか、知恵者と評判の囚人は……。そうだなぁ、仮にD卿とでもしておこうか。コイツがある御婦人の、手紙を盗んでな」
おいおい、いきなり秘密の暴露か~いッ! 単刀直入にも、ほどがあるぞ?
マジに、使えないとわかったら即、口封じする気か?
獄卒二人を脅しておいてから、それやる?
頭がいい人間ってのは、時に意地悪だ。怖い怖い。
「その手紙を取り戻したいのだが──最初に送り込んだ部下は、何も見つけられずにノコノコ戻ってきた。次に知り合いの掏摸に頼んだが、コイツも成果なし、ダメだった。そこで人材を得に牢に来た。〝パン作りに関してはパン屋が常に一番だ〟と昔から言うだろう?」
餅は餅屋、の意味らしい。これは上手く翻訳されないらしい。ほんやくコンニャクのアルゴリズムが、サッパリわからん。
「あ、あの……」
思い切って声をかけたボクに、獄卒の哀れっぽく見る視線が痛い。おまえにゃ無理だという目だ。うっさいなぁ。
こっちは怯んでちゃダメなんだよ、生命がかかっているんだから。
「ひょっとしてボク、その盗まれた手紙の在り処、分かるかも……しれません」
「おまえが? おまえごときが? 私がほしいのは凄腕の泥棒であって、謎当てごっこの話し相手じゃないぞ」
疑いというよりも、頭から馬鹿にした感じで、侍従長はボクの顔をジロジロと見ていた。女だったら、見つめられてポッとなるシチュエーションだが。なまじ美少年だから、かえって怖いって。やめてくれ、ジルベールくん。
その視線を跳ね返すため、大声で宣言してやった。
「実はボク、魔法使いなんです!」
このハッタリは効いた。
どうもこの世界は、中世かもっと古い時代の、ヨーロッパらしい。安直な異世界転生モノの定番だからね。
であるならば、魔法とか魔法使いを心底、人々は信じてるに違いない。
案の定、獄卒二人の目に先ほどまではなかった、恐怖が浮かんでいる。
金髪侍従長も、口を軽く開いてる。半開きってやつだ。
たたみ込め、たたみ込め~ボク!
3
「あの、コインでもボタンでも小石でもいいんで、ボクに貸してもらえますか?」
一気に押せ押せ、がんばれボク!
「獄卒ふぜいが貨幣など持ちあわせるはずあるまい? どぉれ、私が貸してやろう」
侍従長と呼ばれた美少年は、銅貨を一枚、投げて寄こした。歪な形のコインで、鋳造じゃない。たぶんハンマーで叩いて、打ち出したタイプだろう。鍛造だっけ?
落ち着けボク、同志社大学推理研での、新歓コンパを思い出せ。
コインを包み込むように握りしめた。
「この右手のひらにのせたコインが───オンマリシエイソワカ……」
「なんじゃいな、それは?」
「異国の言葉……それは詠唱呪文か?」
驚いてる、戸惑ってる。西洋ファンタジーには詳しくないので、適当に呪文を唱えてみた。
クリスティの作品に出てくるマザーグース───ダレガコマドリコロシタノ、でも良かったんだけどさ。パパンがパン!
さすがに相手が知ってたらマズイからね。角川映画『里見八犬伝』は、知らんだろ? あの頃の薬師丸ひろ子さんは、ムッチャかわいかったぞ〜。
「……御覧じろ」
そう言ってボクが手の平を開くと、コインは消えていた。
「なくなった! 銅貨が!」
「どこに隠した!?」
慌てふためく獄卒ズに、余裕たっぷりに振る舞う。
こういうのは、わざと焦らして翻弄するのが、コツだからね。
「ちゃんとお返しするってボク、お約束しましたよね」
右手をグバッとを広げながら、ボクは前に突き出した。
「手を差し出してください」
「こ、こうか?」
獄卒ビビってる、ヘイヘイヘイ!
おそるおそる差し出された獄卒の手の平の上に、自分の右手を重ねてボクは、さっきよりはもうちょっと芝居がかった感じで、呪文を唱えてみた。目をつぶって、眉間にしわを寄せ、腕を小刻みにプルプルと震わせて。役者やのう〜。
「リンペイ…トウシャカイジン……レツザイ……ゼン!」
いいかげんな呪文だね、どうも。九字を切りたいぐらいだ。扇舞子ちゃんって、美少女に教わったんだけどさ。
「さっきの呪文より、だいぶ長いな……」
侍従長の言葉が終わらないうちに、銅貨がポトリと手のひらに落ちた。最高のタイミングで。
「うひょ? どど、どっから取り出したァ!」
「ハンドパワー──精霊の力を借りたのです」
目を白黒させる獄卒に、すかっと爽やかな笑みを浮かべて、告げた。
ボクが幼稚園の頃、超魔術ブームだったのよ。
大学のミステリー研究会で教えてもらった、初歩的なテーブル・マジックが役に立つとは、実はこっちの方が驚いているよ。
4
「魔術じゃ、魔術に違いねぇ!」
ボクからしたら、テレビやデパートの実演販売で、飽きるほど見かけてきた初歩の手品。だが、この時代の人間にはたぶん、生まれて初めて見た魔術だ。
南米奥地のインディオが、生まれて初めて手品を見た時と、まるで同じ反応をしている。小学生の頃、テレビで見ただけだけどね。
ここで一気に電車道で寄り切るしかない。がぶり寄りだ。
「信じていただけましたか? ボクの魔力を使って占ったならば、盗まれた手紙の在り処も、たちどころに判明するでしょう」
んな自信はない。断言できる。
だがどのみち、このままでは死刑になる身だ。イチかバチか、一筋の可能性に賭けてみるしかないのだよ、明智くん。
蜘蛛の糸にすがる、カンダタの気分だよ。
でも下は見ない。高所恐怖症だし。
「その手紙はD大臣……じゃねぇ、D卿の部屋の───」
「待て、答えは私の部屋で聞こうか」
今の今まで黙って聞いていた、エビ色のタイツを履き帯刀した巻き毛の金髪美少年が、急に言葉を発した。
その聡明そうな瞳に、ボクは何やら親しみを感じていた。
美少女だからではなく。
言葉では上手に表現できないのだけれど、彼にはどこか、知性を感じたから。
持って生まれた知恵というよりは、勉学を積み重ね知識を溜め込んだ人間特有の、聡明さというか。
大学の教授の持つ雰囲気、と言えば一番近いだろうか?
「我が名はクラレンス。さる貴族の侍従長だ」
猿の貴族ですかウッキー、なんて古典的ボケは呑み込んで。
ジルベールじゃなかったのね。
この若さで侍従長、しかも牢屋に気軽に出入りできるってことは、年齢に見合わずかなりの身分なのだろう。それとも仕えている貴族がそもそも、かなり高貴なのか?
囚人を牢から出す、強い権限もある。ボクの勘もなかなか冴えてるよ。
「ここは昔──といっても3年前だが──私も獄卒として仕事をしておった。そこな若造のようにな」
「立身出世、おめでとうございまする」
「いやいや、ここでは敬語はやめていただきたい。その節はお世話になりもうした」
それ、児童福祉法違反では? 野麦峠は見えますか?
「だが今、我が仕えし御方は本邦最高の大魔法使いとして、知らぬ者なき存在。3年前には日輪を覆い隠し、メルリヌスの石塔を雷光で木っ端微塵にして見せた。そこな囚人の魔術とは、だいぶ違うがな」
クラレンスと名乗った美少年は、悪戯っぽく笑った。
ボクの顔面の筋肉は、人生最高レベルで引きつった。ウソぉ……。
牢屋から出してもらい、少年侍従長の7歩ほど後ろを、ボクはついて歩いた。
3歩下がって師の影を踏まず。7歩下がって侍従長の影を踏まず。
なんだよ大魔法使いって。
ホグワーツ魔法魔術学校の校長先生かよ?
初歩の手品でうまく騙せたと思ったら、本物がきちゃったぜ。
やっぱり、箒に乗って空を飛ぶのかな?
黒猫を連れて、パン屋に居候して宅配便屋を始めたりするのかな?
いや待てよ?
そもそも魔法なんて、本当にあるのか?
その大魔法使いとやらも、簡単な手品で周囲をだまくらかしてるだけじゃないのかな。
いや、ちょっと待て。
ボクがこうやって異世界転移してるんだから、ひょっとしたらこの世界には、本物の魔法使いがいるのかもしれない。
獄卒たちが「あの御方」と恐れまくってた御仁は、間違いなく実在するのだ。
ヤバイよヤバイよ。
ヴォルデモート卿みたいなのが現れたら、八つ裂きにされるかも。
「どうした囚人、さっきから顔色が悪いぞ?」
あんたのせいだ、あんたのッ!
頭の中でいろんな妄想がグルグル回っているボクに、クラレンス侍従長はニヤニヤ笑いながら声をかけてきた。
こいつ絶対、悪意があるな……。
結章■心の死角を突きましょう
1
「それでは、キミの魔法での失せ物見立てを、聞こうか」
テーブルの向こうから、クラレンス侍従長が訊ねてきた。
けっこう歩いて、ボクは彼が仕える貴族の屋敷──大邸宅と言っていいの、彼の部屋に通されていた。
デカいけれど、ベルサイユ宮殿のような豪華さはない。
いや、日本の江戸時代の姫路城はもちろん、京都の二条城よりもみすぼらしい。
この世界ではたぶん、ガラスとか貴重品だし、経済規模がしょせん、違うのだ。
極端な話、今の東京や大阪の庶民は、モンゴル帝国の皇帝より、贅沢なものを食ってる。アイスクリームはマルコ・ポーロの時代にヨーロッパに伝わったのだが、庶民は真夏に食えなかった。
風呂のシャワーから熱湯が簡単に出るってのも、天然ガスや原油の輸入や、都市ガスのインフラ整備だけでも、ものすごいエネルギーを消費しているのだ。ボクが転移したこの時代は蝋燭さえまだないかもしれないのだ。
部屋には三十代前後だろうか、執事らしき人物が一人、控えている。もうちょい、歳を食って禿げた初老の男のほうが、執事のイメージ通りなんだが。若すぎる主人には、これぐらいがいいのか?
「それでD卿の部屋の何処に、盗まれた手紙はある?」
おっと、侍従長様の質問に答えねば。
「盗まれた手紙は、大臣の部屋の、手紙入れにあります」
「なん……だと?」
「D大臣…じゃないD卿はたぶん数学者で、しかも詩人ですよね?」
「よく知ってるな。国庫を預かるだけあって、二桁の掛け算もできる」
ええ、設定が安直な世界なんで、勘です。
「そのくせ能書家で、さらに小洒落た四行連句の詩を添えるので、若い頃は恋文代筆にひっぱりだこだったそうだ」
恋文の代筆って、シラノ・ド・ベルジュラックかいな。D大臣、鼻が高すぎたりしますか?
「あの、そういうタイプの人間は、二重引き出しの奥とか額縁の裏とか、そんな場所には隠さないものです、絶対に」
「そうなのか? ずいぶんと自信満々だな、囚人よ」
あ、コイツ疑ってるよ。ここはひとつ、あの小説の名探偵のように、巧みな説得を試みなければ。
「あの、地図とかあります?」
「その〝あの〟ってのは、オマエの口癖なのかな? 気が弱いんだな。腹の中でイロイロ考えてるタイプに、多いらしいぞ」
他人の癖とか、よく観察しているなぁ。自分が思った以上にこの美少年、切れ者だわ。いやだなぁ、なんか腹の底を見透かされてる感じ。
「領地を描いた簡単なやつなら、ここに……これでいかがですかなお客人?」
執事のオッチャンが、テキパキと渡してくれた。有能な人間は話が早い、サンキュー♬
「わわ、これ羊皮紙の地図だ! まだ紙が、伝わってない時代なんだぁ……」
「ペーパー? ああ、パピルスのあれか。我が邦は北国ゆえ、あの植物は育ちにくいのだよ」
パピルスって、古代エジプトの? この世界、中世ですらないのか?
ヨーロッパに製紙技術が伝わったのはたしか12世紀、意外と遅いのだ。
それまでは、羊の皮を薄〜く伸ばして、紙のようにしていたそうだ。それが羊皮紙。
自分もある有名な小説で、名前だけは知っていたけど、実物を見て触ったのは初めてだ。たしかに紙によく似た手触りだ。言われなきゃ、羊皮紙とは気づかない。
「例えば、ボクの国では地図を使った、子どもの遊戯があります」
羊皮紙の地図を広げながら、ボクは侍従長に説明した。
「その地図に書かれた地名を、どこにあるか見つける遊びです」
「地図は領主や国王にとって、機密だぞ? どんな地形で、どこが畑でどこが沼地か、敵国に知られたら命取りになりかねない。それを子どもの遊びに使うとは、そちは異国の領主の息子か何かだったのかな?」
そこ、突っ込みます? アイタタタ。
「あ、いや…そのぉ〜、地図と言っても遊戯用の簡単な物ですよ。それよりも───」
やべぇやべぇ、やっぱり異世界は、自分のいた世界とは細部が違うわ。土牢の木桶とか、実際に体験しないと、わからんものだね。神は細部に宿る。
2
「このゲームの初心者は最初、できるだけ小さな文字で書かれた地名を出題します」とボク。説明しながら、話をさっさとはぐらかそうっと。
「それはそうだろう、探すに難しい地名の方が、勝てるからな」
「例えば〝ブーラン〟という地名、どこにあるかわかりますか?」
「そんな地名、あったかな? ブーランブーラン……実際に探すと…なかなか見つからない……あった、ここだ! なるほど丘陵の名称か」
かなり小さな文字なのに、クラレンス侍従長は10秒ちょっとで見つけてしまった。
この人、かなり書物を読んでいるな。自然に速読ができる人間でないと、そう簡単には見つけられないはず。やはり、頭がいい。
いや頭の回転が早いといったほうがいいか?
「正解です。それではもう一問、〝アトラス〟という地名はどこにありますか?」
「ふふん、見つけ方のコツが分かったから、さっきよりも早く見つけてやろうか。アトラス、アトラスっと。……むむ? 見落としたか?」
自信満々で2問目に挑んだ侍従長だったが、戸惑っている。しめしめ。
ボクは少しだけ、ほっとした。
ここであっという間に見つけられてしまったら、説得力もクソもなくなってしまうのだから。細工は流々だ。仕上げにGO!
「見つかりませんか? では答えを……」
「待て待て、もうちょっとだけ待ってくれ───これは難しいな。だが面白い、自分で見つけたいんだ」
どうやらこの侍従長、負けず嫌いとか意地になっているわけではなく、純粋にこのゲームを楽しんでくれているのだ。そういう部分は、年齢通りの少年なんだなぁ。
「見つけた! ほう、これは山の名前か。文字と文字の間が大きく空いていて、気づかなかったよ。こんなに大きな文字なのに……」
時間はかかったが、それでも並の人間より早く、見つけちゃったよ。すンばらしい。
「普通の人は、こんな短時間で見つけられませんよ」
これは世辞でもなんでもなく、心の底からそう思う。この人、年齢はだいぶ下だが、地頭では自分より遥かに上なのだ。
「キミの言わんとすることも、だいたい理解できたよ。いかにも隠しそうな場所に隠すよりも、まさかそんな処に隠すはずはないという場所に、堂々と置いてた方が気づかれにくい……そういうことだろ?」
「侍従長、あなたはとても聡明な方ですね」
「我が主人にも、よく言われるよ」
キザな物言いだが、イケメンなら様になるのが、悔しいね。
自分も人生で一度ぐらい言ってみたいもんだ、「よく言われる」って。
……いや、言ったことはあるな。キミには才能がないね、と言われて。ケラケラ笑いながら、でもいつか殺すリストに入れながら。飯田橋(中略)副編集長の前で。
3
そこからの、クラレンス侍従長の動きは早かった。
執事に命じて、最初の泥棒に失敗した部下を呼び、再度の潜入を命じていた。
前に失敗した部下にもう一度ってのは、ボクの進言だ。一回潜入してるから、土地勘?みたいなものがあるだろうし。再挑戦の機会は、万人に与えられるべきだ。
執事に連れられて、小柄な男が呼ばれてきた。やっぱ泥棒、身が軽そうだわ。ねずみ小僧次郎吉も、身軽な鳶職だったそうだ。侍従長は指令を簡潔に伝える。
「デービス大臣の部屋に忍び込み、手紙入れの中にある手紙を全部盗んで来い」
ちょ、大臣の名前、言ってますよ! もう聞かれても大丈夫って判断かな? ボクも立派な共犯者入か。信用してもらえた証拠と、好意的に解釈しておこう。
「あの、盗まれた手紙は、薄汚れた感じに表面を仕上げて、無雑作に手紙入れに突っ込んであると思いますよ。いかにもいらないって感じで……」と横からボク。FF外から失礼します。でも、具体的なイメージを持ったほうがいいだろう。
この安易な設定の世界なら、たぶんそうだろう。
「それから、通告を。私が牢から連れ出したマリオン子爵の御息女殺しの囚人、死刑執行は一時停止だ──と我が主人の名で、裁判官とマリオン子爵のほうに伝言を頼む」
だ~か~ら~、ボクは幼女を殺してないってば。
それになんだよ、一時停止って。無罪放免じゃないの? 手紙の奪還が成功しないと、やっぱり無理か。いや、手紙が手紙入れになかったら、一時停止さえ取り消しで、死刑執行だ。トホホ。
有能な執事さんは「かしこまりました」と短く答え、なにやらメモを取っている。お頼み申しますよ、オッチャン。年齢はボクに近そうだけど。
「──さて、それではキミ自身について、いろいろと聞かせてもらおうか」
尋問か? 尋問だよなぁ。やっぱり。
「キミの失せ物判じ、あれは魔法ではないな? もっとこう、思考を積み重ねた知性の働き──人間の心の内側を抉るように、深く見つめた上での推論だろう」
「そんなことはございません、先ほど眼の前でお見せしましたでしょう? なんなら別の魔法も披露しましょうか」
持ちネタはそう多くないが、この状況で見せられる手品のストックはいくつかある。
ちょうど机があるのだから、それこそテーブル・マジックで驚かせてやろう。トランプがあれば、さらに良いんだが。
数秒の沈黙の後、「ふむ、疑ってすまなかった。これは先ほどの魔術の褒美だ」とクラレンス侍従長。右の手の平の上に銀貨を1枚乗せ、差し出した。
精密に型抜きされた現代の銀貨とは違って、やはり少し形が歪んでいる。一個ずつハンマーで叩いて、手作りしているのだろう。
だが、偽造し放題に見える銅貨より、形もデザインも凝っている。たぶん偽造防止だろう。
古代コインについては詳しくないので、それがなんというコインなのかはよくわからないけれど。兜をかぶった武人らしき横顔が刻まれている。現代のコインほどピカピカしていないが、渋みのある銀色の輝きは、やっぱり物欲を刺激するねぇ。黄金色のほうが、もっと好きだけど。
「ありがとうございます、一文無しなので助かります」
受け取ろうとしてボクがヒョイと手を伸ばすと、侍従長はいきなり手をグッと握って、銀貨を隠してしまった。このイケズぅ〜。
「オンマーリシュエイソーヴァック……だったかな?」
一回聴いただけのデタラメな呪文を、彼は真似してみせたのだ。
やはりこの人は記憶力もいい、その上に茶目っ気もある。
でも早く渡してよ~。
だが、彼がパッと広げた手のひらには、銀貨はなかった。
「……え?」
「貴公が魔法使いでないのは、最初からわかっていたさ」
そう言って金髪の美少年は、また微笑んだ。
「我が主人から、教わったんだよ。キミの世界ではこれを近距離手品と呼んでいるんだろう?」
……こいつ、何者だ? ひょっとしてボクと同じ、異世界転移者? 身構えるボクに、クラレンス侍従長は立ち上がり、いつの間にか部屋に戻ってきていた執事の方を見て、こう告げた。
「いかがでしたか、我が君? この囚人は御眼鏡に適いましたかな?」
言われた執事は、伸ばした髭をしごきながら、言った。
「うん、悪くねぇんじゃねぇの? よぉ、転移者くん、ようこそ異世界。オレの名はハンク・モーガンさ。この世界に3年前に転移、今は魔法使いと貴族をやってるのさ」
終章■もう一人の異世界転移者
1
「へぇ、あんた牡蠣の美味さ、解るのかい?」
ハンク・モーガンと名乗る男に、部屋に通されたボクは───。
陶器の大平皿に山盛りにされた生牡蠣を食べていた。
見は肉厚で、大ぶりだが、大味ではない。
潮の香りもよく、養殖と違って殻はイビツだが、健康的だ。
瀬戸内の牡蠣にも負けていない。
「この美味さがわからないなんて、人生の半分は損してますよね~」
「クラレンスも含めてこの国の連中は、牡蠣の美味さが理解できないらしい。ヌルヌルしてて、しかも生で食うとは気持ち悪い、腹も壊すとか言って嫌がる。だがオレの生まれ故郷じゃ、牡蠣は名産でね。こっちにはレモンもライムもないのは残念だが、薄めた酢でもそう悪くない」
そう言いながら、彼は自作したと自慢する専用の牡蠣ほじくりスプーンで、次々と生牡蠣を胃の中に放り込んでいた。手先が器用で、美食家なのだろう、ボクとも話が合いそうだ。
「生牡蠣も美味いけど、ボクは蒸したり揚げたりしたやつが好きかな」
「揚げる? スコットランドからの移民が、チキンを揚げてる、あれか? 俺のじいさんはネーデルランドの生まれでね、キブリングって魚のフライが好きだったがな。水分が多い牡蠣を、揚げられるのか? 燻製ならよく作るが」
彼は驚いたような顔で、スプーンの先の牡蠣を見つめた。揚げた姿を想像してるのだろう。
「東洋では、いろんな牡蠣の食い方が発達してるんですよ。他にも酒と醤油で軽く蒸した牡蠣に、熱した落花生油をドバ~ッとかけ回したら、これが最高に香りが立って!」
東西新聞文化部の、山岡って新聞記者がどっかで紹介してた。究極の献立のひとつらしいっすよ。行きつけの中華料理屋が真似したの食ったら、マジ美味かったッス。
「いいねぇ~、お抱えの料理人に今度、作り方を教えてやってくれないか? アンタが牢屋から出してやったあの料理人、うちで雇うことにしたんだよ」
「ピーターさん、再就職できたんですか? よかったぁ~。そういう話なら、喜んで!」
雑文書きの一環で、慣れないフードライターの真似事もやったんでね。作るのは素人だけど、レシピは多少知ってるから。いろいろ教えちゃおう。
「おまえさん、ピーターの主人の事件、別に犯人がいると思ってんだろ? 例の生首すり替え事件、あれだってどうにも人間関係のドロドロがあるようだ。そもそも、マリオン子爵の御息女殺人事件、あれだって嫌疑が晴れたわけではない。うちの食客として置いてやるから、犯人を探して、疑いを晴らすが良いさ」
「ありがたいです! ぜひともお願いします」
ボクは深々と、飯(中略)長にも下げたことないぐらい、深く頭を下げた。この人、フランクだなぁ。すっげぇ話しやすい。
「ところでおまえさん、どの時代のどの国の人間だ?」
美味い美味いと牡蠣をパクパク食うボクに、モーガン卿はいきなり右ストレートを打ち込んできた。
「どの時代? そんな言い回しを使うってことは、あなたも……」
「未来からこの世界に転移した、アメリカ人さ。これでも工場長だったんだぜ。ところが工場の作業員の喧嘩に、運悪く巻き込まれてね。金梃で頭をしこたまぶん殴られて気絶、目が覚めたら此処にいた」
そう言うとモーガン卿は、ニヤリと笑ってウインクしてきた。まるで、チャップリンやロイドの映画に出てくる、古式ゆかしきアメリカ人って感じだ。でも、様になる。日本人では、こうはいかない。
これでロイド眼鏡とカンカン帽を被っていれば、リアルくいだおれ太郎だね、どうも。道頓堀をウロウロしてたら、ヒョウ柄の服を着たオバチャンに、さぞや人気だろう。飴ちゃん、ギョウサンもらえるで?
2
「ボクも、バールのようなもので殴られて……」
「バールのようなもの? 何だそれは? おまえの世界じゃバールの他に、似たような工具でもあるのか?」
「あの、いや、物書き時代のクセで、つい。バールです、バール。間違いなくバール」
いかんいかん、新聞記事じゃないんだから。バールはバールだ。バール! これは立川志の輔師匠の、新作落語の影響だな。清水義範脚本の。
「オレは妙な騎士に決闘を申し込まれ、やっぱり死刑判決を受け、おまえさんと同じ土牢に押し込まれた」
「この世界はどうなってるんですか! なんだってそんな、死刑にしたがるんですかね?」
「オレも最初は、そう思ったよ。狂ってるなって。言ってることも行動も支離滅裂で、嘘つきだらけだ。いや、現実と妄想の違いがわからんのかもな。迷信と妄想が当たり前に飛び交うんだから、たまらん。セルバンテスの描いた世界と同じだよ、まったく」
「セルバンテス? ミゲル・デ・セルバンテス? 『ドン・キホーテ』の!? ということは、ここは17世紀のスペインですか?」
「惜しいな、スペインならオレの米語が、通じないからな。イングランドだよ」
いや、ボクの日本語でも通じてるんですよ、ほんやくコンニャクのおかげで。
でも、話の腰を折るので、黙っておこう。
アメリカ人にドラえもんは理解できないだろうし。テレビ放映、間に合ってなさそうだし。
「ひょっとしたら、オレみたいな異世界転移者がまた現れるかもしれんと、クラレンスにはちょいちょい牢獄を巡回させてたのさ。この世界に来た人間は、まず間違いなく、あそこに送り込まれるからな。それにアイツ、元は獄卒で顔も効くし。だが、3年目にして初めての転移者に、オレも少々驚いてるよ」
いやいや、ボクはうれしいですよ。
少なくとも文明人が、この世界にもいるんですから。
流れ着いた無人島に人がいた、みたいな?
フライデーに出会ったロビンソン・クルーソーの気持ち、わかるわ~。うんうん。
「オレはハートフォードの生まれさ。知ってるかい? コネチカットの州都で工場が多い」
「あの、俳優のクリストファー・ロイドの生まれ故郷……でしたっけ? ドク役の」
すぐ思い出すのは、その名前ぐらい。
他には───確かイェール大学があったところだよなと、必死に記憶の引き出しを、引っ掻き回す。たいして知識はない。
「誰だそいつは? 聞いたことないぞ」
おやぁ、スピルバーグ監督の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の博士役を、知らない?
そんなバカな。
「ノア・ウェブスターとか知らないか? 辞書のウェブスター社を作った有名人だ。それにオレが若い頃に働いていた軍事産業の工場、創業者はサミュエル・コルトだったが。彼もハートフォードの生まれなんだぜ?」
ウェブスター社?
あの辞書会社の?
コルト?
あの拳銃メーカーの?
そこの軍需工場って。
頭が混乱したボクは、思い切って聞いてみた。
「あの、あなたが生まれた正確な年は? ボクは1989年生まれです」
「なんてこった! おまえさん、俺より百年以上も後の生まれなのか?」
モーガン卿はそう言ってマジマジ、ボクの顔から爪先まで、視線をたっぷり2往復ほど上下させた。珍獣を見る目。
イヤイヤこっちだって、百年以上前の人に会うのは初めてですから。
あ、いや長寿日本一の人って、子供の頃にモーガン卿にギリギリ会ったことがある年齢かな?
「じゃあ、あなたが生きてた時代、プロフェッショナル・ベースボールのチームは?」
「んあ? シンシナティ・レッドストッキングスが野球機構に所属してな。オレの地元にはまだプロチームがなかったから、メトロポリタンズとの試合をニューヨークまで、何度か見に行ったことあるぜ」
レッドストッキングス? シンシナティ・レッズの最初の名前じゃん! 世界最古のプロ野球チームの。すると、ボクをバールのようなもので殴ったあの野郎、広島カープの帽子じゃなかったのか?
「最後に観た試合はキーフ投手が先発だったな。カーブとは違う、ゆるぅ~いボールを投げて、三振を面白いように奪ってたぜ」
そう言いながら投球フォームをものまねする、このストレートなアメリカ人にボクは俄然、興味を持っちゃった。いや、野球好きに敬意を表して、直球と呼ぶべきか?
「ティム・キーフ! うわ、マジで殿堂入りの大投手じゃないっすか! チェンジアップの生みの親!」
3
もし彼が1889年頃のアメリカ人だとすれば、チャップリンやヒトラーが生まれた年だ。そんな、教科書でしか知らない時代の人間に、直接インタビューできるなんて、1億円積んでもムリな話。
以前に雑誌の仕事で取材した、人間国宝の能楽師でさえ、87歳だったからなぁ。
推理小説の始祖エドガー・アラン・ポーが亡くなって、まだ20〜30年しか経っていない時代の、そんな時代の人間なのだ。彼モーガン氏が生まれたのはたぶん、江戸時代の最後ぐらい。
かのチェスタトンとほぼ同時代の人なのだ。
こんな宝の山、根掘り葉掘り聞くなっていうほうが無理です、ハイ。
聞いた内容を、物書き仕事で利用するチャンスがあるかないかなんて、関係なく。
純粋な好奇心で。
「ということはモーガン卿、あなたは1860年代の生まれですか? トーマス・エジソンがメロンパーク研究所を設立した頃の……」
そう言いかけたボクの言葉を、卿は右手を挙げて押し留めた。
「エジソンとか知らん。それに、ハンク・モーガンってのはオレが親からもらった本名だが、ここじゃ威厳がないんで、別の名前を名乗ってるのさ」
お、ペンネームか? ボクにもあるぞ。コラム書く時は〝雷夢雷人〟って名乗ってるし、Twitterじゃ〝オリハル狐〟だ。フォロワーはようやく4桁だ。売れねぇ物書きだから。
「現代人からすれば野暮ったいだろうが、オレはここではボス卿と名乗ってるんだ」
ボス卿──ボクはこの言葉に、ドキリとした。
イヤ、
まさか、
そんな、
彼が、
実在、
する、
はず、
ない。
だってあれはフィクションで作り話で嘘っぱちだ。
「………あの、ひょっとしてここは、キャメロット城? 西暦530年代の?」
頭の中では否定しているのに、その単語が口から勝手に漏れ出した。
「惜しいな、今は531年だ。オレがこの世界に転移されてから、3年と2ヶ月と6日だ。王は威厳のある、立派な御方だぜ。面会を楽しみにしておけ。ちなみに、例の盗まれた恋文を書いたのは円卓の騎士……ランスロット卿だ。相手は言わずにおくさね、どうせ知ってるんだろ?」
「ランスロット……湖の騎士」
ボクは、カラカラになった喉から、声を絞り出した。
「やっぱり知ってたか、現代人」
なぜボクがこんなに緊張しているのか、ボス卿と名乗ったアメリカ人は、理解できずにいる。当たり前だ。同じ立場なら、ボクだって不思議そうな顔をしてるよ。
「あの、つまり、あなたは?」
「オレかい? オレはさしずめ……」
彼──ボス卿は、ボクが予想したとおりの答えを、口にした。
「アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキーさ」
トリック・ライターのボクが異世界転移したら名探偵貴族に?[第①話/邂逅編 終わり]
需要があるなら、続編も書きたいですね。
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