単行本用描き下ろしの問題
森川ジョージ先生の、𝕏(旧Twitter)でのポストが流れてきました。
単行本の描き下ろし部分に、対価(ギャランティ)が発生しないことへの不満は、前々からSNS上にありましたが。それに対する、ベテラン作家の見解として、貴重な意見です。
個人的に思うことを、ツラツラと。
①有り物で作る単行本
昔は、マンガの単行本はほぼ、〝有り物〟で製作されていました。
有り物とは、すでに有る物のことです。連載中に描いたカラー扉や巻頭カラー、雑誌表紙などの原稿を流用して、製作されていました。
漫画家は本来、単行本用にカバー用イラストや表紙、オマケの描き下ろしやあとがきなど、新規に描き下ろす必要はありませんでした。
ありませんでしたが、それがあると売上アップに繋がったり、読書サービスにもなるからと、作家側が無償サービスとしてやっていたものなんですよね。
もちろん、これも売上アップのエビデンスがあるわけではありません。
売上アップより、読者への交流の場としていた人も。
読者としても、楽しみでした。
中津賢也先生のあとがきとか、面白かったですし。
②サービスか依頼か?
描き下ろしは、出版社のためではなく、作家自身が自作のためにやっていた。
ここが重要です。
今は描き下ろしが当然のことになっていて、編集者側もそんな単行本の歴史を、知らなかったりするのでしょう。
でもそれは、編集部の教育不足、出版社の教育不足とも言えます。
例えば、作家側が、単行本の売上を上げるには、新作の描き下ろしが効果的だから、30ページ新作を描き下ろす、ついては原稿料を支払ってくれと言い出したら、出版社は応じるべきか?
コレでは、仕事の押し売りです。
もちろん、そんな極端なことを言う・実行する漫画家は、そうはいないでしょうけれども。
でも極論すれば、そういう問題になります。
打ち切られた作品の、単行本不足分を書き下ろした作家も、昔はいましたが。
これも、編集部に強制されたのか?
迂闊な断言は出来ませんが、単行本最終巻が出ないよりは、という作家の良心でしょう。無償で描き下ろした人、編集部が出してくれた人、編集者がこっそりポケットマネーで補った人、イロイロでしょう。
そして打ち切りになった作品は、商業ベースに乗らなかったのですから、出版社には出す義務はないのです。
冷たいと思われても、それがシビアな商業の現実です。
赤字となるのが確実な本を、それでも出すのは素晴らしい行為ですが。
それが積み重なって出版社が潰れてしまっては、作家はかえって生活に困るのですから。
③原稿料は労働対価?
森川先生のコチラのポストも重要なので、転載しておきますね。
また、コチラの意見も、バランスが取れているように思います。転載しておきます。
作家は、個人事業主です。
サラリーマンではありません。
まさに、自己責任の世界です。
④漫画家は個人事業主
大事なことなのでもう一度言いますが、漫画家はサラリーマンではなく、個人事業主です。
まずはその前提を忘れ、議論がこんがらがっている人がいますね。
もし原稿料を払わないなら、カバー用イラストの描き下ろしを拒否すると作家側が言うなら、出版社側は昔のように、あり物で対応するだけでしょう。
それで売上が落ちて損するなら、跳ね返ってくるのは出版社側だけでなく、作家の側もですから。両方とも損です。
ただし、描き下ろせば売上が上がるという、エビデンスはありません。
実際、大友克洋先生の出世作『童夢』は、作中のモノクロ原稿を流用し、素晴らしい表紙に仕上げています。
書き下ろしどころか、雑誌掲載時のカラーページがなくても、デザイナーの腕で単行本のカバーデザインは、何とでもなるものですから。
極端な話、漫画の中のモノクロの平凡な1コマを、見事なカラーカバーに仕上げるのも、デザイナーの腕ですから。
そもそも、描き下ろしカバーだから、売り上げがグッと上がるかと言えば、そこは数値化されてるモノではありません。
ハッキリ言えば、作家側の自己満足の面も、多分にあるのです。
事実、森川先生は今でも、有り物で単行本を出されていますし。
あえて言えば、カラー原稿がなくて、単行本で描き下ろす必要がないように、雑誌連載時にカラーページを各連載に配分するのは、編集部(もっと言えば雑誌の台割りを作る編集長)の差配の内かと思います。
⑤コンプライアンス?
もちろん出版社側として、「描き下ろしカバーにおまけページをいれると、売上にこれぐらいの差が出るので、費用対効果的にお得なので、原稿料出します」という依頼は、ありです。
でも昔は、現場の編集者が作家と話し合って、そういう読者サービスのためにオマケのページを増やしたら、「紙代・印刷代が余計にかかるだろ!」と、担当編集者を叱責してきた編集長も、いたそうですけれど。
でもこれも、一理ある考えではあります。出版社はどこも、潤沢な資金があるわけではありません。大手出版社でも、売れてない編集部には、予算に差が出るのは当然です。
例えば漫画の単行本は、192ページ・200ページ・208ページというのが基本のページ数です。
単行本、折(台)と呼ばれる、大きな紙を三回折りたたんだモノが使われるため、基本は16ページ刻みでページ数が増減します。
半台(半折)として、8ページで刻むことも可能です。
でも、単行本は1ページ単位でページ数を刻むのは、実は難しいのです。
近年は192ページもない、薄いページで単行本を出し、利益率を高めようとする出版社も、見かけます。
できれば、新規の出費は抑えたい。有り物だけでもいい、描き下ろしはいっさい不要、作家側がどうしてもと言うなら、無償ですが許容範囲内でご自由に、という出版社も、普通にあるでしょう。業界をひとくくりにした、雑な一般化が、難しい理由です。
⑥建設的な提案もあり
そこは出版社ごとに、編集部ごとに、担当編集者ごとに、考えがあるでしょう。
統一的なコンプライアンス云々を業界として出すのは、難しいでしょう。
当方は、森川先生の意見がおかしいとは、思わない立場です。
個人事業主が、自分の利益を最大化するため、無料サービスする部分、対価を要求する部分、そこはそれぞれの戦略であり。
やれ搾取だなんだと、飛躍するのは疑問です。
森川先生のアカウントには、建設的な提案も届いています。
思うに、作家のマネタイズは多様化しており、こういうアイデアを出すことが、建設的かと。
繰り返しますが、漫画家は個人事業主です。
サラリーマンではありません。
原稿料と印税だけに頼る旧来のシステム頼りではなく、新たなマネタイズ方法を、常に考えていかねばなりません。
例えば将来的に作家は、ある程度売れたら個人出版社を立ち上げ、電子書籍とプリント・オン・デマンドで、自分の本を出して老後の糧にすることも、視野に入ってくるでしょう。
永野護先生やハリー・ポッターの作者さんほど大規模ではなく。
定年退職した元担当と細々とやる、家内制手工業で。
このnoteも、誤解して・前提知識がないまま、批判する人もいるでしょうけれど。
少しでも、伝わることを願います。
⑦追記:建設的な提案
たとえば出版社も、デザイナー代は予算として枠がある、というところが多いので。
描き下ろしカバーイラストの原稿料として要求するのではなく、デザイナーとして漫画家自身に出版社から仕事を発注してもらい、その予算枠の中で処理するという手法も、あるかもしれません。
もちろん、デザイナーの仕事を奪いますし、漫画家でもデザインの勉強を本格的にやった人は、一握りでしょうから(本郷高校デザイン科や岡山工業高校工業デザイン科の卒業生はともかくとして)。
なので漫画家がデザイナーに、さらに仕事を発注する、という形式もありでしょうね。
これが小説の装幀の場合は、作家がイラストレーターとデザイナーを、指定することもあるのですから。
ならば漫画家が、自分自身とデザイナーを指定する、という形式で処理できる可能性は充分にあるかと。
特に、小説も出版している出版社ならば、そこら辺は整合性の問題も出てきますから。
搾取だと出版社や編集部を糾弾するよりも、多少は歩みよりやすいのではないでしょうか?
また、出版社どころか編集部ごとに、単行本製作の方法や基準は異なっております。
うちはあり物オンリーで行く、という出版社や編集部も、当然ありでしょう。
作家側が無償でも描き下ろしたいと言っても、後々揉めたくないからと、拒否する可能性も充分にあります。
このように、業界全体で一般化できるものではありませんので。
⑧追記:出版社の変化
ひとつ補足しておくと。
昔はデザイナーを起用する予算枠がなく、編集者が見よう見まねでデザインしていました。
そんな中、編集者も会社に要望を出し、デザイナーの予算をつけてもらいと、微力ながらも努力しました。
昔は単行本のカバーも、テンプレート的な枠に囲まれたデザインが当たり前で、りぼんコミックスやマーガレットコミックスとか、長らくそうでしたね。
でもそのデザインも時代とともに古くなり、もっと自由な・作品の個性が生きるデザインにしたいと、何年も制作部と掛け合って、段階的にテンプレート撤廃を勝ち取ったり。
そんな歴史が、多くの出版社・編集部にあります。
小学館のフラワーコミックスとか、昔はヒマワリのマークが背表紙に入っていて、今とはずいぶん違いました。
花とゆめコミックスも、最初は枠からはみ出すイラストの使用から始まり、枠の装飾を変え、ついには枠がなくなり、今では天小口側の赤と紺のラインとロゴのみになっていますね。
編集者も、無理腕制作部や会社上層部と、戦っているのです。
なのに、作家側が最初から糾弾口調で訴えては、変わるものも変わらないです。これは、自戒も込めてですが……。
編集者も、一銭の得にもならないどころか、会社にうるさいやつと睨まれながらも、少しでも売れる作品にしようと編集長や役員、会社側と粘り強く交渉し、頑張ってきた人たちがいます。
作家によりますが、描き下ろし原稿料よりも高いデザイナー代を、認めさせたのですから、描き下ろしの原稿料も、一部で認められるかもしれません。
あくまでも、個々の編集部の対応ですが。
森川ジョージ先生に対して、批判的な意見もペケッター上では散見されますが。
出版社の編集者を経験したり、作家としても活動して多くの出版社とも仕事をしたりと、経験豊富なMANZEMI講師陣の立場からすれば、森川先生の対応はベテラン作家らしい、とても穏健なポジションに思います。あくまでも、個人の感想ですが……。
⑨追記:建設的な意見
最後に、こんなご意見も紹介しておきますね。
そうなんです。
自分の本の売上を伸ばすために時間を費やしたのならば、その描き下ろした分は広告宣伝費として、確定申告で必要経費として申告できる可能性が、ありそうです。
しかも、雷句誠先生と小学館の裁判で、原稿料と原稿の価値は別であるという、裁判所の見解も出ています。
もしオークションにフルカラーの原稿を出品し、原稿料の5倍や10倍の価格がつくことも、あるでしょう。それならば、ある程度の収入がある漫画家限定ですが、必要経費として結構な値段を、必要経費とすることが可能かもしれません。
もっとも税務署によって、基準が違うので、会計士に相談する必要はありですが。某区の税務署は、漫画家のパソコンを認めないそうで。仕事用とプライベート用途と、判別が出来ないからと。
しかしこういう視点も、大事ではないでしょうか? 参考になれば幸いです。
以下は諸々、個人的なお知らせです。読み飛ばしていただいても構いません。
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文章読本……っぽいものです。POD版もあります。
筆者がカバーデザイン(装幀)を担当した、叶精作先生の画集です。POD版もあります。
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