漫画の感想を友人に求めるのは辞めておいたほうが良い?
𝕏(旧Twitter)に、榊一郎先生の、こんなポストが流れてきました。
漫画って、簡単に読めるので簡単に作れると、思われているフシがありますが。
少なくとも原作者の立場からすれば、アニメや映画のシナリオに絵をつけるぐらいの手間は、漫画家はかけているのですが……。
アニメや映画のシナリオが簡単に書けると思ってる人は、そうはいないんですが。漫画だと簡単だ考える人がいるのは、不思議ですね。
①漫画は準総合芸術
映画が総合芸術だとすれば、漫画には音がないですが。代わりに擬音と効果線、あとコマ割りで雰囲気を醸し出すという点で、準総合芸術的ではありますね。
そういう意味では、演劇的ではあるけれど演劇そのものではない落語に、似ている部分もありますね。
ラジオドラマなども、そういう意味で類似点があるでしょう。
落語家が一人で、すべての登場人物を演じるように、漫画は作者が監督・脚本・演出・主演・助演・カメラ・照明・衣装・大道具・小道具……などを兼ねるのも、特殊です。
もっとも脚本や演出や助演や大道具などは、原作者やアシスタントに、アウトソーシングも可能ですが。
②悪目立ちする画力
素人が作品の感想を求められると、90%が絵の巧拙の話になりがちです。
素人にも分かりやすい部分ですから。
漫画家は、絵が上手いに越したことはないですが、絵のヘタさが味になったり、ストーリーが破綻していてもそれが作者の特徴になったりするので、難しいです。
良いパーツの合算によって、全体が良きモノに決定されない部分があり、そこが難しいですね。
部分部分を見たらデタラメなのに、全体としては意味があるコラージュ絵のように。
この、俯瞰して作品全体を見通すのは、どんなジャンルでも難しいとは思います。
小説とかだと、素人に感想を求めると、誤字脱字とか指摘する人が多いのと一緒ですね。
③俯瞰と凝視の関係
ただ、面白い作品って、途中の1ページを取り出して読んでも、何か引きつけるものがあるんですよね。
それは、ページの中にも小さな起承転結や序破急が存在して、全体のフラクタル構造を形成しているから、という面があるからという仮説を立てて、専門学校などでの講座では、教えています。
鈴木輝一郎先生の、こちらの指摘も重要ですね。
もちろん、昔から一緒に作品を鑑賞してきて、見巧者の友達がいる人は、別ですが。
④仲間を見つける場
例えば、高橋留美子先生と近藤ようこ先生が、同じ高校の漫研のメンバーで、後にアニメーターとなる後藤真砂子さんも同級生だったり。
その高橋留美子先生は、劇画村塾で山本貴嗣先生と出会い。
山本先生は中央大学漫研で、河合単先生と同期で、後輩には山田貴敏先生もいて。
どうも世に出る人というのは、無名のアマチュア時代にすでに、切磋琢磨する仲間や見巧者の仲間がいる感じです。
というか、一人の才能の周辺に、その才能に感化されて、作品の見方や考え方を磨き合う人間が、才能を開花させるのに必要なのかもしれません。
そういう意味では、周囲に意見を聞くのは、もし本人にプロになれる才能があるのならば、切磋琢磨する仲間を発見するために、行うべきなのかもしれませんね。
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