分かるがいっぱい【映画感想】
どうも~千夏です。
花束みたいな恋を途中まで(録画残量の関係)
見たので感想を書きます。
途中までしか見ていないのに感想を書きたくなるほど好きです。
自分は恋愛経験ゼロ、結婚願望ゼロ、カルテットファンです。
絹(有村架純)が転職してチケット切りしてたあたりまで見ました。
好きな作品が同じで仲良くなるのも、堅実さを求めて就活したら価値観がずれていくのも納得。
予期せぬパートナーの死みたいな展開の方が感動する映画っぽいけど、ああいうのは現実離れした感じがするんですよね。
絹と麦、ふたりが終電を逃すと、ドラマ カルテットの家森さん(高橋一生)が言っていた「終電は男女が一線を越える言い訳のためにあるんだよ」と言うのを思い出すし、すれ違うのは巻真紀と幹夫メイン回を思い出させるし、「センキューパセリ」を思い出させるシーンもあってカルテットファンとしては最高でした。
価値観のズレって男女間の差というのもあるんだろうなと思います。
どうしても麦は絹に
「女性だから気楽で良いよなあ働かなくても良い選択肢も大黒柱になって支えなくちゃっていう責任感もないよな」
と思っただろうし、
絹は絹で
「なんで働くことに、一つの会社に、縛られるの」
と思ったことでしょう。
麦に思いやりが無くなっていくとかそういう単純なことではなく、作品を楽しむ余裕やフリーターでもいいやという気楽さがなくなって焦っていったんだろうな~と。
自分はこんな恋したくないです。好きな作品が同じって人と生活するのは無理だなと思ってしまうし、息があっても今だけだよなと疑ってしまいそうだからです。
価値観の一致って結構難しいし、「多少違うけれどお互いを尊重できる」という信頼がないのに同棲なんてできないと思うからです。そもそも恋とかよく分からないっていうのは置いておくとして、、。
あそこまで趣味嗜好が同じじゃなくて良いからもっと「相手が変わってもいい」という受け入れる心がないとそりゃあうまくいかないよなあというのが自分の感想です。
カルテットでいう「アリとキリギリス論」に当てはめるなら麦はアリで絹はキリギリスですね。暮らしていけるレベルの派遣社員生活を選んだ絹も、仕事に楽しさを求めない麦もどちらが悪いとかではないし、どちらも間違っていない。
就職してからのシーンは名言があまり出てきませんでしたがそれは色んな持論を捨てて就職したということのように思います。
ウノで「ウノって言わなかったからハイ、二枚」って言っちゃうタイプだし、何されても仕事は仕事って割り切り「そんな仕事は遊び」
と言われたらカチンと来ちゃうだろうし、多分自分は麦とは暮らせないですねw
めんどくさい男は嫌いじゃないけど暮らすのは多分無理ですw
ネタバレはいってるので一応ネタバレタグつけておきます。
とりあえず今回はこんなところで終わりますね。