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【論語と算盤】「格言五則」をX運用にあてはめてみた。

・言行君子之枢機、枢機之発、栄辱之主。(易経)
・発言盈庭、誰敢執其咎。(詩経)
・言不務多、而務審其所謂。(大戴記)
・声無細而不聞、行無隠而不明。(説苑)
・志意修則驕富貴、道義重則軽王公。(荀子)

論語と算盤』は、日本の実業家・渋沢栄一の「利潤と道徳を調和させる」という経営哲学が詰まった一冊です。

「近代日本経済の父」と称される渋沢は、

・道徳を「論語」
・経済を「算盤(そろばん)」

と言い換えて、

「論語と算盤を一致させることが重要だ」

と説きました。

これは「道徳と経済は両立させることができる」という「道徳経済合一説」の根拠となっています。

先日、書店で買ってきました。
角川ソフィア文庫の『論語と算盤』。

本の最初に出てくる、格言五則。

自分の知っているものにあてはめるとおもしろいかなと思って、書いてみます。

こういう一見むずかしい格言とかも、謎解きクイズ感覚で「現代でいうと、どういうことが言える?自分の身の回りに置き換えると、なんのことかな?」というかんじで読んでみると、おもしろいです。

チナトン教授🎩
「格言五則といえば、こんな謎があるよ。」

まずは格言のそれぞれの意味ですね。
本から引用しましょう。

・言行君子之枢機、枢機之発、栄辱之主。(易経)
→言行は君子の枢機なり。枢機の発するや、栄辱の王たり。
→言行は君子(教養人)にとって枢機(石弓の引き金。そのように要となるもの)のように重要なもの。この引き金を引く一瞬が、栄誉か恥辱かどちらかを決める。

・発言盈庭、誰敢執其咎。(詩経)
→言を発して庭に盈つ。誰か敢えて其の咎を執らん。
→皆が意見を述べたて庭中いっぱい。けれども、誰もその責任をとろうとしない。

・言不務多、而務審其所謂。(大戴記)
→言は多きに務めず、其の謂う所を審かにするに務む。
→ことばは多ければよいものではない。その趣旨を明らかにすることが大切。

・声無細而不聞、行無隠而不明。(説苑)
→声は小にしても聞こえざるはなく、行いは隠しても形れざるはなし。
→すぐれた人の声(意見)は、たとい小さくとも必ず聞こえ、その行いは隠していても必ず現れる。

・志意修則驕富貴、道義重則軽王公。(荀子)
→志意修まれば、則ち富貴を驕り、道義重ければ、則ち王公を軽しとす。
→こころざしがきちんとしておれば、富や地位など問題ではない。人間としてのありかたができていたならば、権力に媚びることもない。

以上です。

「言」「発言」「声」など、発信に関するものが多いですね。

内側のものが、外側にあらわれるから。
人の内面は、隠しきれることがなく、言行に表れる。

個人のSNSや情報発信にも言えて、匿名・顔出し関わらず、その発信や発言は、そのひとが発することばは、その人自身をあらわします。

であれば、わたしたちも言行には気をつけたいですね。
ありのまま、思ったままを言えばいい。自分にどんな印象が付与されるか、誰にどんな形で到達するか、いっさい無頓着でいい。って、わけではなくて。

という話でして、じゃあどういうところに気をつけたらいいかな?っていうのがこの格言五則に、今にも通ずる本質を伝えてくれています。

私が読み解いたものがこちら。

・言行君子之枢機、枢機之発、栄辱之主。(易経)
→言行は引き金である。投稿ボタンを押す一瞬が、栄誉か恥辱かどちらかを決める。
→自分の発信がどんな印象を与えるか、どう影響を与えるかを、投稿前に一息置いて考えよう。

・発言盈庭、誰敢執其咎。(詩経)
→情報はあふれているが、誰もその責任をとろうとしない。
→取り入れた情報でどうなっても最後は自己責任。インプットしたものを自分の中でもう一度吟味して、最後は自己責任の覚悟をもって取り入れよう。

・言不務多、而務審其所謂。(大戴記)
→長文や語彙力が豊富であればよいものではない。趣旨を明らかにすることが大切。
→長さを稼ぐためにたらたら書き連ねるより、伝えたい軸を決めよう。あなたの時間も、誰の時間も、無限ではないのだから。

・声無細而不聞、行無隠而不明。(説苑)
→フォロワーが少ないからと言って「どうせ誰にも届かない」と腐らないこと。「どうせ誰も見ていないから。隠し通せるから」と言って不義理や不誠実を働かないこと。その行いは必ず現れるから。

・志意修則驕富貴、道義重則軽王公。(荀子)
→こころざし(マインド)をしっかり持っていれば、富や地位は問題ではない。フォロワー数や、売上がすべてではない。(まったくゼロではないけれど)。何より人間としてのありかたができていれば、権力に媚びることもない。自然と同じ仲間が集まり、やがて人々はあなたを応援したくなるから。

おしまい。
どうでしょうか。

本質をついた解釈は、時代が変わっても色褪せず、その普遍性を明らかにしますね。

「私」か「公」か。
「道徳」か「拝金」か。
「知育」か「徳育」か。
「論語」か「算盤か」。

古来からの難問に対する解釈は、今を生きる私たちにも新しい見方や知恵をさずけてくれます。

さて。
ということで、数日くらいで読もう〜と思って、いま喫茶店にきたのですが。

これ読み終えるまで時間かかりそうな気配ムンムン…。

小説やエッセイを読んでいくのとはまた違う感じで、いったりきたり、反芻しながら味わいを深めていく…って感じがいいかなと思います。

なので、だいぶ細分化して、少しずつポストします。

今日は、最初の1シブ目。
「格言五則」についてのアウトプットでした。

つづくといいな。

ではでは。


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