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映画his

Twitterのふせったーに投稿した過去記事。noteを登録したのでこちらに転載。


自分にとって良い映画を観ると、その映画のどこが素晴らしかったのかを人に伝えたくなるし、分かち合いたくなる。
でも上手に言葉にできなくて、想いを文章にして残すことで気持ちを落ち着かせている。

映画を観て数日。日々、頭の中でhisのことを考えている。

映画は心の深くに響いたし、感動なんて安っぽい言葉じゃなくこの気持ちを誰かと分かち合いたいと思うくらいに泣いたけど、わたしはこの映画のどこにここまで心を動かされたんだろう。


hisの脚本家あさだあつしさんが、この企画は「ゲイが恋愛したくなるようなものを作ってよ」と知人から言われたことが初めのきっかけだったと言われていた。
この映画を観た第一印象は、LGBTQの人達(こんな風にくくりたくないけど)がこの映画を観て恋愛したくなるかなぁ、というものだった。
だってあまりにもしんどい現実を突きつけてくるから。
迅と渚が共に生きていくことを決めたのはとても嬉しかったけれど、久しぶりに迅の前に現れた渚から突きつけられた事実はキツすぎてわたしには絶対耐えられそうにないことだったし、親権を争う事態になってしまったこともしんどい現実だった。
こんなしんどい展開を見せつけられて、恋愛っていいなと思えるのかな、と。


渚。なんで女性と性行為ができるの?
できるのか…。それは私の不勉強なのかもしれない。同性愛者でも異性とできる人がいるのか、それはわたしにはわからない。
渚は高校生の時には既に自分がゲイであることを自認していた。
親元を離れて江ノ島の旅館で住み込みのバイトをしながら高校に通っていた。
ゲイであることが同級生の知るところとなり、居づらくなって転校したのだ。
親と折り合いが悪いと渚自身が言っていて、きっと親もそういうことに理解が無かったんだろうとも思う。
多感な時期。アイデンティティに揺らぐ時期。
そんな繊細な時期に渚が直面した現実に、わたしはとてもとても胸が痛んだし、とても苦しくなった。
きっとあの頃、迅に出逢うまでは、彼の性自認に対する理解者は誰もいなかった。
それでも湘南で出逢った旅館の主人やサーフショップの家族は、きっと渚にとって心の拠り所だったんだと思う。
高校時代、渚は女の子と付き合っていたけど、それは大人になってからの渚のように、自分も女の子と付き合うことができる「普通」の男なんだと思いたかったからで。
「普通」と言われる幸せを欲していたのかもしれない。
「普通」になれば、親も自分の存在を認めてくれるかもしれない。
そう思わざるを得ないゲイの渚。
きっと愛情に飢えていた渚を想うと、本当に辛い。
わたしは高校生の渚を抱きしめてあげたくて仕方なかった。
そんな思春期を過ごした渚だから、大人になってからの渚の行動を責めることなんてできなかった。
愛情に飢えていて、臆病な渚。
胸を張って生きてこれなかった渚。
そんな自信の無さは、彼が父親になってからもよく現れている。
仲良くなった女性の玲奈の妊娠がわかった時に彼女から子供を産む条件として渚が一切の家事を担うこと、玲奈は仕事を続けることを提示され了承する。
もちろん自分と血の繋がった子供を持つことができるということが最大の理由だったとは思うけど、きっと渚は定職に就く自信も無かったのだと思う。「自分はこういう人間です」と胸を張って言える自信が無かったんだと思う。
私も同じ(かどうかはわからないけど)だったからわかる。
学生時代から芝居ばかりして高校卒業後も芝居ばかりしてた私は、もちろん定職にも付かずフラフラしてた。
芝居を諦めて結婚して子どもが生まれたけれど、バイトしかしてこなかった私には何も誇れるものが無かったし、専業主婦になるしか道は無かった。(専業主婦をバカにしている訳ではなく)
「こんな私なんて」という思考がいつもあった。
仕事をしている夫の立場が上だと思い込んでもいた。
自分を卑下していたんだと思う。
それなのに子育てを手伝ってくれない夫に苛立ちを覚えたりもした。

専業主夫は渚にとって社会に出ないで済む理由だっただろうし、出たくても出れない自信の無さもあったんだろうと思う。
映画では描かれてないけれど、仕事ばかりであまり家事育児に関与しない妻に苛立ちを覚えていたかもしれないし(だって子育てって1日中365日休みがないからしんどいの当たり前)仕事をしている自分の立場が上だと、玲奈はどこかで思っていたのかもしれない。
子供は可愛いけど、家事と育児に疲れて妻のことを愛せなくなるのもめちゃくちゃよくわかる。「仕事で疲れてるんだから」モード出されちゃうと、外に癒しを求めたくなる気持ちもわかる。
で、どんどん妻への愛は冷めていく。

だから渚が、自分はやっぱりゲイなんだって思ったことと、妻への愛情が薄れてしまったことは、別問題なのではないかな。

この物語の救いは、渚が子どもと生きていきたいと思ったこと。
妻への愛が冷めてしまっても、子どもと離れたくない、子どもは母親の元で育つことが1番だとは思わないで戦ったこと。
きっと、ソラからの愛をたくさん受けて、渚は強くなれたんだと思う。
少しだけ、自分に自信がついたんだとも思う。
離婚調停の最中に元恋人のもとに行くのはちょっとズルいけど。
そこはやっぱり縋りたくなったんだろうな。
今が辛すぎて。
きっと渚は、初めから迅と一緒にソラを育てていきたいなんて思ってなかっただろうし、迅が受け入れてくれるなんて思ってなかったと思う。
きっと1人ででも、ソラを育てる覚悟はあったんだと思う。
ただ逢いたかった。迅に。かつての恋人に。
今でも好きだと気付いた、元恋人に。
ソラを連れて初めて迅の元に来た渚の表情が秀逸だった。
過去への後悔と申し訳なさと逢いたかった人に逢えた喜びと自分への情けなさと、本当に多くの感情が入り混じった表情を一瞬で見せてくれた。

渚を見ていると、不器用で、でも一生懸命で、とても人間臭くて、愛おしい。
すごくすごく愛おしい。

迅のことも書きたい。
迅は強くて弱い。
高校生の時に渚に出逢った。
友情と好きの境目がわからずに、渚を受け入れた。
夏休みが終わって名古屋に戻ってからも、渚と手紙のやり取りをしながら、愛が育っていったんだろうなと想像する。
あの絵本を選んだのはきっとソラではなく渚。
高校生では名古屋と神奈川は遠い。お金がかかる。
電話代だってバカにならないし、何より2人ともきっと上手に話せない。
だから手紙のやり取りをしながら、「次いつ逢える?来れる日が決まったら教えて」が何度もあったんだろうと思う。
渚がソラにあの絵本の読み聞かせをしているのを見て、高校時代のことを思い出したんじゃないかな。

迅は両親から愛されて育った。そして渚を知って愛することを知り、貫いた。
あんな終わり方をしたら、もう誰か他の男を好きになってもおかしくない。
でも、迅は渚のことを忘れられなかった。
愛することを教えてくれた男のことを忘れられなかった。
苦しかっただろうな。
別れ話を夢に見ちゃうくらいに苦しかっただろうな。
渚に言った言葉「せっかく忘れようとしてたのに」
忘れてないじゃん。好きで好きでいっぱいじゃん。
もしかしたら迅は同性愛者ではないのかもしれない。自分が気付いてないだけで。
ただ渚が好き。渚という人間が好き。
社会人になって、飲みの席で同僚から言われた言葉たち。
迅は言う。「ゲイとかホモとか勘弁してくださいよ」
初めは迅の辛さを想ったけど、もしかしたら迅は渚の辛さも想ったのかもしれないな。
渚と出逢った時、まだ友達だった時、渚の苦しみを知ったから。
渚の苦しみに寄り添ってくれた迅だから。
迅にとってそれほどの存在だった渚が女性と関係を持って子供までって事実、私だったら気が狂いそうになるな…しんどい。

それにしてもなんで渚は迅の居場所を知ったのか。
就職したらきっと同棲してた住まいは引き払うはず。そもそもフラれた男と住んでた家に住み続けるなんて、迅はできるはずない。
就職後の住所も教えてない気がする。
引越した田舎の住所だって教えるはずないし、サーフィンするために海外へ行った渚に伝える術なんて無い。
でも、もしかしたら名古屋の両親とコンタクト取ったのかな。
湘南でできた友達だってことは絶対知ってただろうし、きっと社交的じゃなかった息子に初めてできた親友だと思ってたと思う。
大学時代はルームシェアをしてたって思ってるだろうし。
そう考えたら辻褄が合うのでそう思うことにした。

迅が村の人たちにカミングアウトをした時、迅は自分自身に優しくなりたいと言った。
優しくなかったのは自分だと。
迅は他人に対してとても優しい人だから、渚と別れたことも渚の未来のことを想ってどこかで踏ん切りをつけようとしてたのかもしれないし、渚とソラと生きていくことも、ソラにとって最善なのかを1番に考えていたのかもしれない。
それでも、自分に優しくなるために、自分の気持ちに素直になろうと思った迅。大切な人の手を離さないと決めた迅。自分の想いを大切にしようと決めた迅。やっぱり迅は強いよ。
迅も本当に愛おしい。

玲奈のことも書きたい。
一体どれだけ長くなるんだ…。
玲奈に関しては、仕事を持ち自立した女性であることが正義だと、母親から育てられてきたのだろうな。
きっと自転車に乗る練習も愛を持ってやってきてもらえなかったのだろうと想像する。
うまく乗れないことを怒られて怒られて怒られて。こんなに怒られるくらいだったらもういいと、乗れることを放棄した幼少の玲奈を抱きしめてあげたくなった。
ソラとうまく関われないことは、厳しく育てられたことによって、子供にどう愛情をむけていいのか、その方法がわからないだけなんだと思う。
だから家事育児をやってくれる渚に甘えて、仕事に逃げた。
法廷で渚から、玲奈の気持ちをわかってあげられなくて「ごめんなさい」と今までの時間をくれたことに対する「ありがとう」をもらった玲奈は、ソラを大事に育てていくことで渚に対して「ごめんなさい」と「ありがとう」を返していくんだろう。
まずは自転車にちゃんと乗れるようになったソラを見せることで。
こうなったことは、玲奈にとってもとても辛いことだったけど、玲奈はきっと自分の弱さに気付けた。
弱い自分に気付けた。
人は自分の弱さに気付けて初めて強くなれるし、優しくもなれると思うから。
それが彼女にとっての救いかな、と感じた。

あぁ、渚も迅も玲奈も。
みんな、みんな、愛おしくて抱きしめたくて仕方ない。

そうか。
生きてると色々ある。
それは男でも女でも、どんな性でも変わらない。
人間ならみんな一緒。
誰かと関わらずには生きていけないのだから。
そして、色々あっても自分が選んだ道を生きるしかなくて、自分の持つ弱さやずるさ、そんな自分を認めてあげられるようになった渚や迅や玲奈に心を動かされたんだ。
そうか。
恋愛がしたくなるというよりも、最愛の人と人生を共にしたいと思える物語だったんだ。

私はずっと思ってる。
性自認に名称なんていらない。
誰が誰を好きでもいいじゃんか。
人間が人間を好きになるんだ。
何にも恥ずかしいことなんてない。
男?女?どっちでもいいじゃん。
生きてるだけで十分だよ。
この世に生を受けた全ての人が、自分の「好き」を当たり前に感じることができて、手を繋ぎたいと思う人と、明るい太陽の下で堂々と手を繋ぎ合えますように。
胸を張って生きられますように。
全ての性が「普通」になれますように。

その為に、この物語が広く多くの人の心に届きますように。

この作品に関わった全ての人に感謝を込めて。