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誰にも知られず死ぬ朝

劇団た組。『誰にも知られず死ぬ朝』初見感想。Twitter過去記事の転載。


ずっと考えてて。
藤原季節さんが出演にあたってのコメントで言っていた「僕の役は一筋の希望」という言葉。
ずっとわからなくて。
だって死んでしまうから。

「死にたい」とフリでも自殺までしかけたりっちゃん。
そんなりっちゃんが歩美さんと話すことで元気になって、結婚して生まれたのが基樹。
りっちゃんが救わなければ生まれてこなかったかもしれない命なんだとしたら、それはやっぱり歩美さんにとっての一筋の希望。
自分の存在した意味みたいなものなのかもしれない。


ずっと死ねない歩美さんは、大切な人との別れが辛いから大切な人を作らない。
知り合いになった人とある程度の時間を過ごしたら、死んだように見せかけてお別れをする。リセットする。自分が辛くないように。
でも、人と深く関わることで人生が豊かになるのだとしたら、歩美さんは生きてることがずっと辛い。寂しい。

そんな歩美さんを好きになった良嗣は、歩美さんに辛い想いをさせないように、死ぬなら一緒に、と願う。
一緒に死ねるように、何度も歩美さんを殺してみる。何度も。
願いは叶わず、病気を患い歩美さんを残して亡くなってしまう。
歩美さんの「大切な人を作ると別れるのがつらくなる」気持ちを知った上で、歩美さんと共に人生を歩く決意をし、「先に死なないようにするから」「死ぬ時は一緒に死ぬから」と言ったのに、良嗣は自分の死に方を選び、自宅で歩美さんの顔を見ながら、自ら命を絶つ。

人生で初めて、大切な人ができた歩美さん。
人生で初めて、大切な人との別れを経験した歩美さん。

大切な人が死に、何度も生き返る様を見てきた良嗣。
大切な人を残して死んでいった良嗣。

どっちが辛く苦しく寂しいのだろう。

死ねない歩美さんは、人と深く関われないから、生きてるだけで寂しい。
大切な人が苦しんでいるのを見ているのも辛い。

歩美さんも良嗣もきっと同じように辛かったはず。

でも歩美さんのラストシーン。
最愛の人がいなくなってしまったことで、やはり死ぬべきだと、死を試みる。
やっぱり死ねないけど、きっと未だかつて試みたことがないくらいの死への選択の仕方だったんじゃないかと思うと、死ねないけど、良嗣が死んでしまったことは、歩美の心も死なせたんじゃないかと思った。

歩美さんのように、死にたいと願う人でも、まだ死にたくないと思う人でも、大切な人が死んでしまうことからは逃げられない。
歩美さんが良嗣さんとお別れしたように。
良嗣が歩美さんとお別れしたように。
りっちゃんが息子に死なれてしまったように。


大切な人が死んでしまったとしても、死に際に立ち会えるだけ、それはまだ幸せなのかもしれないな、とも思う。
だってラストシーンのように、何の前触れもなく、人はいとも簡単に死んでしまう。

りっちゃんは昔、飛び降りて死のうとした。
自分が死ぬことで苦しむ人のことを考えていただろうか。
きっと自分のことしか考えて無かった。
そんなりっちゃんの子どもの基樹は、無免許で車を運転してあっけなく死んでしまった。
もし良嗣の遺書を基樹が先に読んでいたらどうだったんだろうな、と思う。
きっと基樹の命を繋ぐものにもなり得たんじゃないかと考える。意図してなくても。
でも読まない。
願いは繋がらない。
これが現実。
歩美さんにとっての一筋の希望だったはずなのに。
1人の人の命は限りがあるけれど、命は受け継がれて繋がっていくものだから。
歩美さんがりっちゃんの命を繋がなければ生まれなかったかもしれない命。
まだまだ死ぬはずもない「若い命」。

でも死んじゃうんだよ、基樹。

これのどこに救いを求めたらいいんだろう。
「一筋の希望」も現実はあっけなく人から奪い去る。
やっぱり現実は残酷。
世は無常。
願うことは自由でも、叶わない。

救いは無用なのかもしれない。
やっぱり人は死ぬ。
それが現実だから。
だから、生きるしかないんだろうな…