見出し画像

37Seconds


37セカンズを観た。
この映画もまた、観ながらグサグサと心に色んなものを突き刺してくれた。
以下ネタバレ含む感想です。ずいぶんと長くなってしまいました。


わたしの仕事は、命を産み出す母と生まれようとしてくる赤ちゃんとそれを支える家族のお手伝いをすること。
だから、タイトルの意味が生まれた時に37秒呼吸が止まっていたことによって脳性麻痺となった女性のことと知り、この映画に強く興味を持った。
興味という言葉が正しいかどうかわからないけど、観なければ、と思った。

主人公のユマは母親と2人暮らし。
ユマが赤ちゃんの頃に離婚した父の記憶は無い。
母は過保護なほどに娘の世話を焼く。
自分がいなければ何もできない娘だと思っている。
もう二十歳も越えてる大人だけど、子ども扱い。
ユマはそれに対して何も言わない。
ワンピースが着たいというユマに、自立歩行も困難で車椅子生活の娘に何かあったら大変と、女性らしい格好をさせない母。
ユマはそれ以上何も言わない。
地味な色の服、ダサいズボン、地味な帽子を被り、仕事場と家の往復の日々。

ユマの仕事は漫画家。と言ってもゴーストライター。
学生時代からの友人のゴーストライター。
派手な見た目の友人が描いたことにしている。編集者もその事実を知らない。
彼女はルックスも良いので読者人気が高い。
その友人も、きっとユマ自身も、ユマが作者ではここまで人気が出ないと思っている。
そしてきっとその友人は、自分のお陰でユマの漫画の人気があると思っている。

これまでのユマは、母に反発したい気持ちがあってもやっぱり母の言う通り自分1人では生きていけないんじゃないか、面白い漫画を描いてる自負はあっても自分が表に出たらやっぱりここまで人気が出ないんじゃないかという呪縛でがんじがらめに自分を縛りつけて、どうせ自分なんかっていう思いで生きていたんだと思う。

自分の名前で漫画を描きたい。
自分自身を認められたい。
そんな沸々とした想いは、きっと描きたくも無かったアダルト漫画に足を踏み入れさせる。
そこで出逢う編集長からもらった言葉によって、彼女の人生は動き出す。

「経験も無く妄想で描いたリアリティに欠けるものを誰が面白がるのか」

それなら経験してやろうじゃないか、と動き出す彼女の行動力が凄い。
でも、行動の源は性への興味、目覚めなのかもしれないな、と思う。
きっと初めはエッチな動画だけで描けると思ってた。
でも体験してみたくなった。
身近に男性の知り合いはいないから、出逢い系サイトで知り合った、ちょっといいなと思う男性をデートに誘ったら音信不通になった。
やっぱり障がい者の自分じゃダメなんだと思ったと思う。
そもそもユマは男性にこう聞いている。
「障がい者と付き合うことってどう思いますか」
ユマは常に自信が無い。
お金を払えば経験できるかもしれないと、風俗の門を叩く。
そこでも、とても悲しい出来事が彼女を襲う。
でも、そこで彼女はまたも、運命的な出逢いをする。
障がい者専門の風俗で働く女性、舞だ。
舞との出逢いは、障がい者がSEXできるのか、自分もいつか経験できるのか、という不安に対する希望の光になったんじゃないかと思う。
そして舞の発する言葉ひとつひとつ、態度のひとつひとつが本当に素晴らしかった。

ユマは言う。
こんなわたしでも、いつか好きな人と結ばれたいと思うけど、そんなこと叶うのかな。

舞は答える。
障害があるとか無いとか関係ない。自分次第よ。

舞との出逢いによって、ユマの時間はさらに大きくうねりだす。
世界が広がってゆく。

でも、広がりを見せたように思えた世界は、母の手によっていとも簡単に閉ざされてしまう。
ここでの母子のやりとりは、観ていてとても苦しくなった。
母の気持ちもわかる。
だってきっと母にとってユマはいつまでも自分のテリトリーの中で生きる赤ちゃん。
庇護すべき存在。
そして、生まれる時に苦しい思いをさせてしまったという十字架を一生背負い続ける母。
この障がいを自分が代わってやりたいけどできないから、ユマを守り続けることで贖罪になると思っている。

ユマの気持ちもわかる。
母の想いをひしひしと感じながらも、自分の中に芽生えた自立心と向き合い始めたユマ。
本音をぶつけることのできたユマ。

ボロボロと泣いてしまった。
自分自身が携わったお産で、こういう想いを抱える母や子を生み出してしまうかもしれないと思ったら改めて怖くなった。
自分たちが関われるのなんてせいぜい生後1ヶ月くらい。
でも人生はずっとずっと続いていく。当たり前だけど。
生まれた直後、すぐに泣かず数秒経ってから呼吸を始める赤ちゃんもいる。そのわずか数秒でもとても怖くて、必死に身体をさする。
泣いてくれた時が本当の意味でのおめでとうと心の底から思う。

ユマは言う。
宇宙から見たら人の一生なんて一瞬の出来事なんだろうな。わたしの人生は夏休みの課題みたいなものなのかな。

ユマのような想いを、ユマの母のような想いを、誰にもさせたくないと思った。


ユマは母と衝突後、家出をする。
障がい者専門風俗のドライバーを務める介護士の男性、俊哉。彼のアパートに身を寄せつつ、遠い過去、唯一受け取った手紙の住所を頼りに父に会いに行くことを決意する。
自分に障がいがあったから捨てられたのかもしれないという不安もあったかもしれない。
ハガキに描いてくれた絵のように、自分のことを可愛がってくれていたのかもしれないとどこかで望みを持ちながら。

父は亡くなってしまったこと、ユマには双子の姉がいることを父の弟から聞かされる。
ユマは姉に会うことを決意する。

ユマは姉に、どんなお父さんだったかを聞く。
姉はユマにどんなお母さんかを聞く。
お母さんが超過保護というユマに、姉は「お母さんはユマが1番大事なんだよ」と言う。
そう。姉もまた、母から捨てられた人。
捨てたというのは適切で無いかな。
きっと母はユマに脳性麻痺があったことで、ユマのことにかかりきりになったんだろう。
姉のことは二の次になった。
そんな状況だったから家庭は崩壊したのかもしれない。
姉も苦しんでいたんだろうな。
母から生まれたのが脳性麻痺となったユマだけでは無く、健常者の姉も存在させたことで、障がいが無くたって生き辛さを抱えることはあるんだと教えてくれる。

姉はユマの存在を知りながら、ユマに障がいがあることで会うのが怖かったと言った。
ユマの「もう怖くないですか」という問いは、ユマが自分を認められたことを意味しているような気がする。
もし1秒でも早く呼吸をしていてら、こんな体にならなかったかもしれない。
もし自分ではなく姉の呼吸が止まったいたら、自分が姉のように自由に生きていたのかもしれない。
それでも、呼吸が止まってしまったのが自分で良かった、と言ったユマ。
ここ数日、ユマは今まで関わったことのない人達との時間の中で、ありのままの自分を丸ごと受け入れてもらえてきた。
自分がやりたいことをやって生きていいんだと感じられるようになったのだと思う。

自己の肯定。

自分を信じて、前を向いて胸張って生きていくのって、すごく難しい。
それは障がいのある無しは関係ない。
どれだけ経験して、どれだけ感じて、糧にしていくか、だ。

家出を終えたユマ。
いつも玄関までユマを出迎える母はいない。
リビングのテーブルで「おかえり」と言う母。
ユマを1人の大人として扱おうとしている母に胸がいっぱいになった。
ユマは姉に会ったこと、姉が母に逢いたがっていたことを伝えた。
ポタポタと涙をこぼすその姿は、母もまた、娘を手放してしまった後悔をも抱えながら生きてきたことを感じさせた。

ユマはアダルト漫画の編集長に逢いに行く。
あなたの言葉がきっかけで世界が広がったことのお礼を言いに。
アダルトをやめ、自分が描きたかった漫画を描いているユマ。
その顔は、もう以前の自信のないユマではなかった。

自分のことを縛っている呪いは、きっと自分自身がかけた呪い。
だから、その呪いを解けるのは自分自身の心でしかないんだと、この映画は教えてくれる。
でもその心をときほぐすのは、様々な人との関わりなんだということも。

本当に素敵な映画だった。
全てをさらけ出し、全身全霊でユマを体現してくれた佳山明さんに最大限の敬意を。