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料理の楽しさと、仕事への情熱を教えてくれた、SHIORIさんへ。

料理家のSHIORIさんのnoteを読んだ。

息子たちに寝かしつけをする時も、絵本を読む時も、このことばかり考えてしまう。もう8回くらい読んで、そのたびに涙がでてくる。他の人のnoteをこんなにたくさん読むのは初めてだ。

0歳の息子さんに先天性難聴があることがわかったこと。
そして「ウルトラハッピーボーイに育てよう」というご夫婦の誓いが、そこには綴られていた。

同時に投稿されていたインスタグラムでは、SHIORIさんが料理教室を運営されているアトリエを手放す覚悟をしたことが書かれていた。

このアトリエは、私もなんどもSHIORIさんご自身に、料理を教えていただいた大切な場所だ。

ただ「料理を教えてくれる場所」なら、他にもたくさんあると思う。でもこのアトリエは、他の料理教室とはぜんぜん、違う!

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まず内装がおしゃれなカフェみたいで、とても居心地がいい。料理を教えてもらうだけじゃなく、ただそこにいることが嬉しくなるような、そんな空間だ。ここでつくって食べる料理のひとつひとつが、大切においしく味わうことができた。
食器もいちいちセンスがよくて、ぜんぶ真似したくなっちゃう(笑)

お花だって、いつも季節や料理に合ったものが生けられている。私はアトリエに行くたびに、つくった料理とお花を一緒に写真に撮ることが楽しみだった。

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そしてスタッフの方々はいつもきびきびと働き、緊張感がありながらも、生徒にはとてもていねいに、優しく接してくれる

妊娠中にレッスンを受けたとき、立っているのが大変だったところ、スタッフの一人の方がすぐに椅子を出してくれ「大丈夫ですか?」と声をかけてくださった。
3000名の方がレッスンを受けたというのに、名前や顔を覚えてくださっていた時もとても驚いた。

そして、このアトリエがきっかけで友達もできた。大人になってから料理という趣味を通じた友達ができるって、私にとってはとても嬉しいことだった!

そんなアトリエがなくなってしまうこと。とても残念ではあるけれど・・・

それよりも何よりも、SHIORIさんに「ありがとう」の気持ちが伝えたくて、今日は文章を書いてみることにした。

だってSHIORIさんは私に、料理をつくる楽しさと、仕事に向き合う情熱を教えてくれた人だからだ。


「作ってあげたい彼ごはん」に衝撃を受けた社会人1年目

初めてSHIORIさんを知ったのは、「作ってあげたい彼ごはん」。
22歳で初めて出された料理本だ。

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2007年8月の出版当初、私はまだ社会人1年目だった。そう。私は、SHIORIさんと同い年。

同じ22歳なのに、私は社会人駆け出しのペーペー。慣れない現場研修の中、忙しい先輩達に迷惑をかけている自覚しかない、不甲斐ない毎日を送っていた。

いっぽうSHIORIさんは自分で出版社に企画書を送り、毎日のようにレシピをブログに更新し、料理本を出版するという夢を叶えている!

「コピーライターになりたい」という夢を抱えながらも、何をすればいいかわからず、何もせず、迷惑をかけるだけの自分と違って、行動力や実現力がすごいなぁと遠目に見ていた。

その時、何より衝撃を受けたのが、「作ってあげたい彼ごはん」というコンセプトだ。私は同年代として、このタイトルにとてもとても共感した。

だって私自身が、「料理をつくりたい」と思ったキッカケは、「彼氏に何か料理をつくってみたい」と思ったことだったからだ!こんなに斬新で、欲しかった料理本のコンセプトって他にない。私が料理本を欲しいと思ったのは、人生で初めてのことだった。

「彼ごはん」シリーズは、340万部を超えるベストセラーになったそう。広告会社の端くれだった私にも、この企画が売れるってことは、ものすごく腑に落ちた。


「本格つけ麺」に救われた北京生活

同い年でこんなに活躍している人がいるのに、私は何も実現していない・・・。

そんな悩みを抱えながらも、なんとか自分のできることを日々少しずつ増やしながら、広告会社では毎日夜遅くまで働いた。

27歳のとき中国北京に留学(のちに転職)することにしたのは、そんな葛藤の末での決断だった。

20代のうちに海外に行き、他の人にない経験をしたいと思った。それしか私がユニークになれる点はないと思った。

北京で暮らしはじめてからも、日本の料理が恋しくなったら、SHIORIさんの本やブログを開いてみた。その頃よく作っていたのは「チキンカチャトラ」と「本格つけ麺」だ。

どちらも、中国でも手に入りやすい食材でつくることができる!特に日本のラーメン屋さんが恋しかった私にとって、「本格つけ麺」はまるでお店やさんのような味を自分で再現できた。

その頃、SHIORIさんも海外のあちこちに料理修行に出かけていることをブログで発信していた。

「日本に帰りたいな」と思うことは正直なんどもあったけれど、SHIORIさんが頑張る様子を見ていると、まだまだ私にもできるんじゃないかと勇気をもらえる気がした。


はじめてアトリエに行った日

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「いつかSHIORIさんに料理を習ってみたいな」

そんなことをボンヤリ考えながら、ブログを覗いていた北京でのある日、SHIORIさんが新しく料理教室をスタートすることを知った。

料理を教える「アトリエ」の設立を決断したことから始まり、代官山に素敵な物件を見つけたこと、こだわった内装のこと、選んだ食器のこと、そして準備のために体調を崩されたこと・・・

などなどが、怒涛のようなスピード感で伝わってきた。SHIORIさんの意気込み、情熱、こだわり、お金のかけかた(!)

またしても同い年なのにすごすぎると思ったし、日本に帰国したら絶対に料理を習いに行こうと思った

念願かなって、アトリエにはじめて行けたのは、30歳の誕生日を迎えた次の月だった。

あのSHIORIさんに、料理を教えてもらえる!ものすごくウキウキしたことは忘れられない(笑)

その日に習ったのは、本格的なインド料理。あれインド料理って、こんなにおいしいものだったっけ?

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・スパイスで作るバターチキンカレー&ターメリックライス
・タンドリーチキン
・カリフラワーとじゃがいものサブジ
・生野菜のサラダ(カチュンバ)
・フルーツとカルダモンのマリネ
・ラッシー

遠い国の料理だって、SHIORIレシピになれば、身近でかけがえのないおいしさに変わるからとても不思議。

「スパイスで作る」ってなんだか難しそう&面倒くさそうって、レシピ本だときっとスルーしていたメニュー。

でも料理教室でデモンストレーションをして見せてもらうと、
ひとつひとつの工程はとても簡単で、家でもすぐに再現できた

それからもアトリエには、欧風カレー、ハヤシライス、ローストビーフ、蟹クリームコロッケ、パエリア、シーフードドリア・・・などを習わせてもらいに行った。

どれも老舗レストランより、断然、おいしい!しかも料理がさほど得意でない私にもつくれる。

子供を産んでからも、私が料理教室に行くと言うと、夫はちょっと嬉しそうなのが可笑しかった。きまって期待されているのは次の日の"復習"なのだ。

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復習したパエリアは夫の誕生日の定番に!

「どうしたらスタッフといい関係がつくれますか?」

アトリエに通わせてもらっているうちに、ふと疑問に思うことがあった。

それはSHIORIさんとスタッフさんとのいい関係だ。

1回の料理教室には4〜5人の若い女性のスタッフさんがいらっしゃり、その方々の動きがとてもテキパキと機敏で、つねにSHIORIさんの行動を先読みして動いているように見えた

スタッフさんたちは緊張感がありながらも、SHIORIさんのことをとても慕っているようだった。そんなに年も離れていないはずなのに、すごい。

そして料理教室当日までに、それぞれの方が、準備を重ねてこられたのだろうということが伝わってきた。

「どうやったら、スタッフさんといい関係がつくれますか?」

私はSHIORIさんの講演会で、そう質問してみたことがある。するとこう答えてくださった。

「自分と縁があって一緒に働いてくれるスタッフには、家族のような愛情を注いでいます。それを受け止めて全力で返してくれる、そんなスタッフに恵まれて本当に幸せだなぁと思います。だからまた、その倍の愛情を返します。」

家族のような愛情、というのが見ていてぴったりだと思った。

当時、私は仕事で後輩との関係に悩むことがあったけど、まずは私からと、自分自身ができることを考えてみようと決意した


わたしの決断

育児と仕事を同時並行でこなし、精神力と体力の限界を見た気がした、この自粛期間。

寝かしつけを終えた時間にちょうど、SHIORIさんがインスタライブをやっていることが多く、それを見ながら新しい料理を家でつくる時間に癒された。

トマトつけ麺、麻婆豆腐、タイ風焼きそば、海老パン、もやしそば、バナナケーキ、サバ缶パスタ、ヨーグルトのふわふわ、豆乳冷やし坦々うどん、唐揚げ、フレンチトースト、春巻き、豆乳味噌バターコーン鍋、納豆ドレッシング、アボカドと明太子のアヒージョ・・・

この3ヶ月、こんなにも多くのレシピが私のレパートリーになった!改めて書いて、試した数の多さに驚いた(笑)

毎日こんなにレシピをLIVE配信できるパワーって、どこからくるんだろう・・・そう思っていた時に読んだのが、冒頭のnoteだった。

これからの仕事は、極力家にいながら息子の側で、自分のペースでできて、収益もあげられる、そんな働き方がしたいと思った。

こんな思いを抱えて、毎日のように明るく振舞って配信していたなんて。

そして息子さんのために、こんな決断ができるなんて。

どちらも、私にはできるだろうか?
ちょっと自信がない。


いま、私はフリーランスのコピーライターとして働いている。私なりに小さな挑戦と、努力を繰り返しながら、新入社員だった頃の夢を、ようやく叶えることができている。

それでもいつか、息子や家族と、仕事のやり方で、迷うことがあったら。その時は、このSHIORIさんの決断を思い出そう。

そう、いつだってSHIORIさんは私の先を行く、尊敬する存在なのだ。

そんなSHIORIさんがどういう形で活動を続けるのであれ、私はずっと応援していきたいと思っている。


私のいちおしレシピはこれです

続編を書いてみました

小森谷 友美 (🐤Twitterはこちら

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小森谷 友美|大学院に通うコピーライター
サポートしてくださった方へのおまけコンテンツ(中華レシピ)を現在製作中です。随時お送りします!