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映画「ノマドランド」と家について少し

一緒にライブに行く予定だったやつがとんだお寝坊野郎だったので、関内駅付近で時間を潰すことになりました。昼ごはんを一緒に食べるという話だったのに、16時に着くらしい。4時間あるんですが。まあライブに間に合ってくれればいいか。

その人は名前を北原といった。

北原は週末によく空港に行く。別にどこかに旅に行くわけではない。展望デッキで空とそのついでに飛行機を眺めるだけだ。

何度か北原と一緒に成田空港に行ったことがある。空港までの電車の中で、どうしてわざわざ空港にまで行って空を見るのかと尋ねたことがあった。

「空が一番広くて一番青いから」そう答えた。

「そもそも都会の空は窮屈すぎる。高いビルばかりで狭苦しい。歩いていても窮屈だし、見上げても窮屈。ぜーんぶ窮屈。」
「山に登ればいいじゃないか。」

次は佐倉だとアナウンスが告げる。それに続く英語はひどくカタコトで、なんの役にも立たないように思えた。北原は一度こちらを向き、また前を向いた。視線の先にある空っぽの座席は光まみれだった。

「それに、都会の空は本当の青じゃない。桜の花の話は知ってる?」
「昔は色がもっと濃かったってやつ?」
「そ。正確に言えば昔と色自体は変わってないけどね。色鮮やかなものが増えすぎたせいで今の桜は薄く感じられるってこと。空もそれとおんなじ。」
「じゃあなおのこと山でいいじゃん。昔と全部同じでしょ?」

北原は目を合わせてくれなかった。右目の、白と黒の境界線がはっきりしすぎていると思った。

空港の展望デッキは、落下防止の高い柵に囲まれていた。空は東京駅の空と変わらないそこそこの青さで、目に悪そうなピンク色の機体が目立っていた。「窮屈じゃん」とも「あんま青くないね」とも言えなかった。言えるわけなんかなかった。

北原はただじっと空を眺めていて、そして、それだけだった。その北原を今待っている。

関内駅近辺で時間を潰すとなって最初に思いついたのは中華街でした。でも何度も行ったことがあるし、休日だからどうせ混んでいると思ったのでやめました。ありえない人混みの中を車が無理やり通るありえない場所になんかわざわざ行く必要もないと思ったのです。

そういう車に対して「なんだよあの車!」なんていう声が聞こえてきたこともありましたが、中華街であることを忘れてはなりません。中国なんて歩道をバイクがぶっ飛ばしています。まだマシでしょう。

じゃあ横浜スタジアムに行くか、ともなりましたが、その日は試合がない日でした。試合がなくても売店はやっていますが、売店は前にのぞいたことがあるのでなしです。どうせ行くなら試合が見たいので、横浜スタジアムも選択肢から消えました。

そうなってくるとやることは、あてもなくフラフラすることしかありません。このあてのないフラフラはフランスで「フラヌリー」と呼ばれています。フラヌリーする人は「フラヌール」です。フラフラ笑。

ユアールという人によれば、フラヌールの条件は「丈夫な脚とよい眼を持つこと」らしいです。たくさん歩いて、たくさん発見するためには確かに必要そうですね。

まずは駅周辺をふらつきます。駅の周りにはたくさんのステッカーやグラフィティがあります。グラフィティはなんと書いてあるか分かりにくいですが、ステッカーにはかわいいものもあるのでステッカーの方が好きです。

在波うゆ (ALPHA UYU)

地下道への階段を見つけたので降りてみます。

マリナード地下街入り口

入った瞬間異様な空気を感じました。地下通路の両端に段ボールが並んでいたのです。ゴミ置き場か?とも思いましたが、そうではありません。ホームレスの居場所になっているのです。

球場や繁華街が広がる街に、こんな光景が広がっているとは想像もしていませんでした。階段をわずか数十段降りただけなのに、です。

彼らはホームレスと呼ばれています。しかし、自らをホームレスではなくハウスレスと呼ぶ人もいます。それこそが「ノマドランド」の主人公、ファーンです。

彼女はキャンピングカーで生活を続けています。日雇い労働で生活費を稼ぎ、キャンピングカーで夜を明かしています。仕事がなくなると別の都市に移動し、また別の仕事を探します。

彼女は、なぜ自らをホームレスではなくハウスレスと呼ぶのでしょうか。

ホームとハウス、どちらも日本語訳は「家」ですが、本来の意味は少し違います。ハウスが家という建物そのものを指すのに対して、ホームは思い出や安らぎなど感情的な意味が含まれます。「家庭」といえば少し近いニュアンスになるでしょうか。

確かに、キャンピングカーはハウスとはいいにくいかもしれません。普通の一軒家やアパートとはかけ離れています。

ではホームとは言えるでしょうか。答えは「はい」です。彼女のキャンピングカーには思い出が蓄積されています。

高校卒業祝いとして父から贈られたお皿、キャンピングカー生活の中で出会った友人からもらった石。そして、キャンピングカーそのものを彼女は改造し続けてきました。棚やスライド式のテーブルは彼女だけのものです。同じ型のキャンピングカーにはついていません。

冷えるから教会に泊まることを提案されたとき、彼女はそれを拒みました。キャンピングカーは安らぎだからです。

買取の提案を出されたとき、彼女はそれを拒みました。キャンピングカーは思い出だからです。

このキャンピングカーを手放したとき、彼女は本当の意味でホームレスとなってしまうでしょう。例え、新しいキャンピングカーで生活を続けたとしてもです。

彼女の友人であるデイブは、キャンピングカー生活を途中でやめました。孫の家に戻り一緒に生活をするのです。

それからしばらくして、デイブはファーンを家に招きました。そのとき、ファーンは庭に放置されているパンクしたキャンピングカーを目にしました。デイブにとってのホームは、キャンピングカーではなくなったことをファーンは理解しました。

デイブはファーンに一緒に住むことを提案しましたが、彼女はそれを拒みました。彼女にとってのホームはキャンピングカーだけなのです。

今の時代、「家」はハウスであってもホームではない場合があります。疲れて帰ってきて、寝るだけであったり、親とうまくいかなくて居心地が悪かったりすると、そこに思い出や安らぎが入り込む余地がないからです。家にいながらホームレスになっているのです。

一時期、トー横界隈というものが問題となりました。中学生や高校生の少年少女が家出をして、歌舞伎町にたむろをしているというものです。

彼らはハウスでしかなかった家を飛び出して、歌舞伎町にホームを見つけたのでしょう。そこにハウスはありませんが、ホームがあるということが何より大事だったのだと思います。ホームレスよりもハウスレスを望んだのです。

ハウスがあるとき、それは同時にホームである必要があります。ハウスがホームであるとき初めて、家は家と呼べるのではないでしょうか。

16時になっても北原は現れなかった。連絡しても反応はないし、電話も繋がらなかった。ストーリーズにあったはずの投稿は24時間をすぎて消えてしまっていた。それでも、まだ開演まで2時間ある。

開場時刻の17時になり、入場のための行列が出来上がった。少しずつ会場に吸い込まれていく。その中に北原を探した。北原の背はそこまで高くない。前ならえの時に一人だけ違う格好をしていたことを知っている。

だから、ゆっくりと、見て歩いた。横顔を、白と黒がはっきりした目を探して歩いた。いるわけないことなどわかっていた。そして、おそらくもう知っていた。北原が来ないということなど。

当然のように、開演時刻になっても北原は現れなかった。チケットは北原が二人分持っているから、自分も入ることはできない。

もう誰もいなくなった広場にただ一人立ち尽くしていた。ライブに行く格好をしているのに会場外にいることはひどく馬鹿らしかった。日は傾いていたが、まだ沈んでいなかった。

スマホを取り出す。北原からの連絡はやはりきていない。そのまま成田空港までの所要時間を調べた。2時間と出た。嘘をつくな。タブを消す。もう一度調べる。2時間と出る。120分のことだ。長い。とても長い。でも他にどうしようもなかった。

私にできることは祈ることと空港に向かうことだけだった。

乗り換えををするたびに、空港に近づくほどに、外国人の割合が増えていった。荷物の大きさと態度の大きさは比例するのだろうか。そう考えるくらいには落ち着きを失いつつあった。連絡が来ないことはもうわかっているはずなのに、何度も何度も通知を確認した。時間の進みがひどく遅く感じられ、そして実際にひどく遅かった。

駅に着く。電車を降りる。急いで展望デッキに向かった。一面に広がる夜空はあの日の青空よりも広く感じられた。展望デッキを隅から隅まで歩いた。知らない人ばかりで、北原はいなかった。北原が求めるのは空港から見る青空であって、夜空ではない。少し考えればわかることだった。黒く塗りつぶされた空に月は浮かんでおらず、名前も知らない星ばかりが輝いてた。クソみたいだと思った。

残されたのは北原の家だけだった。そこにいないのならもうどこにもいないだろう。また一時間近く電車に乗った。駅を出てから六分歩いた。北原の家はアパートの一階で、電気はついていなかった。予想できたことだ。

インターホンを押した。音だけが虚しく響いた。鍵は閉まっていた。もう一度インターホンを押した。音だけがもう一度虚しく響いた。

この空間をなんと呼べばいいかわからなかった。



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