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中国語0の私が中国への留学を決めた理由。
私は中国語を話せない。読めもしない。「中国語0」の状態の人間なのである。知っている単語といえばニーハオ、シェイシェイくらいだ。(うそいつわりなくこの2単語しか知らなかった。勉強を始めたのは留学開始の3か月ほど前である。)
こんな状態の私がなぜ中国に留学することになったのか。その経緯についてここで記そうと思う。
私は昨年、「中日友好大学生訪中団」というものに参加し、北京や洛陽を7日間かけて廻った。参加理由は「無料で海外に行けるから」「政治を学ぶ学生として政治体制の異なる中国に興味があったから」「中国の歴史世界遺産(紫禁城や龍門石窟)い行ける貴重なチャンスだったから」というごく普通の理由。しかしその7日間の体験は私に大きな影響を及ぼすこととなった。
留学決断の理由を一言でいうと「竹のカーテン」というパンドラの箱を開けてしまったからである。カーテンを少し開いて、20歳の私が体感した中国は、想像と180度異なる社会であり、完全に虜になってしまったというようなところである。
とくに私がこの訪中団で感じたのは3つの衝撃だ。
1.「発展途上国」中国が想像以上に発達していた点。ニーハオトイレの中国はそこにはなかった。スマホ1台で何事も決済し、何事もデジタルが基本の社会であった。「発展途上国」なのに「デジタル」な国。2.30年前の日本の雰囲気がするのに、スマホとデジタルが良い意味でも悪い意味でも重要な社会であるという点。このギャップに衝撃を覚えた。
2.訪中団で農村を訪れた際に村と都市の格差を痛感したということ。話には聞いていた、都市と農村の格差は私が想像する以上だった。舗装されていない道路、もちろん都市部で見かけるようなシェアサイクルなんてものはない。発展途上といわれても納得の風景がそこには広がっていた。北京と農村、どちらも体験したことで初めて実感できたこの格差を、現地の方たちはどのように思っているのか興味を抱いた。
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3.政治の話ができたという驚き:
福島第一原発処理水問題で日中関係が尖閣問題以来の緊張関係を迎えていた当時、中国政府が日本の水産物輸入禁止を発表するなどの緊張の真っただ中にあった。渡航前には教授に「町中で日本人とばれないよう日本語を話すな」と言われたほど。しかし実際に中国で体験したのはそうした反日的な対応ではなく友好的に触れあってくれる気さくな地元の方々(洛陽のゲームセンターで無料でトトロのぬいぐるみをくれたお姉ちゃんや、「これは政治的な問題だ」と言って草の根の交流の大切さを共有できた大学生)であり、とくに北京大の学生と(検閲がある国とは思えないほど)ある程度自由にいろいろと話をすることができた。
こうした経験から、かねてから抱いていた「社会主義国」中国への興味は格段にあがったのだ。
また、大学在学中に交換留学に挑戦したいと考えていた私であったが、昨今の円安で欧州や米国の留学は家計に相当の負担をかけるので、半ば留学を諦めかけていた。「全額給付の奨学金をもらえない限りは留学しない」と決めていた私だったが、偶然この訪中団に同行していた教授から「中国・アジアの大学生向けの奨学金」を教えていただいたのだ。さらにその奨学金の指定大学には北京大学もあるということで、これは千載一遇のチャンスに違いないと感じ、昨年9月にあった訪中団からの帰国後、すぐに留学準備に取り掛かることにした。10月末までに大学に申請資料(教授の推薦書や語学要件となるIELTS6.5の獲得など)を整えなければならず、かなり焦りながらの準備となったが無事12月には交換留学生に内定、4月には奨学金にも合格し、7月には北京大学から入学許可も届いた。
これが意味するところは、北京大学留学はこの1年間で突然実現できたもので、ゆめゆめ中国に留学することになるとは思ってもいなかったということである。したがって大学で中国語なんて学んだことはないし、十分な準備時間すらなかった。しかし政治を学ぶ生徒として中国での生活はとても興味深いものであり、中国語を学んでいないという障壁を上回るだけの興味がそこにはあった。「選挙がない国」とはどういう国か?人々は政治にどのような感覚を持っているのか?当の北京大学では民主主義をどのように教えられるのか?挙げ始めると枚挙にいとまがない。
このような政治体制の異なる国で生きること、それはその国の政治体制をいわば生活者として体験することであり、その視点に立ってこそ見えてくる何かがあるに違いない。