今日も隠れてことばの教室に向かう
「ことばの教室」
って、この言葉を聞いたり見た人は
この教室がどこにあって、どんな所だと想像するんだろう。
最初にどんなイメージが頭の中で描かれるんだろう。
何色なんだろう。どんな単語が浮かんでいるんだろう。
ことばの教室に行ったことがある方の頭の中のイメージも、
行ったことがない方のイメージも、とても気になる。
なんでこんなことが気になるんだろうって、手を止めて考えてみたけど、
きっと、「行ったことがない方のイメージが気になる」のは、
小学生の私がとても気にしていたから。
きっと、「行ったことがある方のイメージが気になる」のは、
当時小学生の私が抱えていた思いが自分だけじゃないと今の私が思いたいから。
私は保育園の頃から小学4年生まで、地元の小学校の中にあったことばの教室という所に通っていました。話し方に関して支援を必要とする子が通う場所です。途中でその時間だけ授業を抜けて行く子もいれば、私みたいに放課後に行く子もいたみたいです。
当時は知らずに行っていたけど、
私のように吃音がある子だけじゃなくて、
発音が上手くいかない子、語彙数が少なかったりいろんな子が通います。
私の「ことばの教室」イメージ遍歴は、
・~保育園まで:保育園を途中で抜けて、お母さんとお出かけできる場所。
(嬉しい!やったー!)
・小学校1、2年:お友達は帰るけど、私はもうちょっと残って勉強する場所。(すごいでしょー)
・小学校3,4年:恥ずかしい場所。できないことを再確認させられる場所。できれば行きたくない場所。(皆にバレたらどーしよ)
小学校2年生までは、みんなが行かない場所に私だけ行けて、特別感を感じていました。子どもって「自分だけ」が嬉しいんですよね。
まだ自分の話し方も、皆とは違うって認識していなかったと思います。友達に何か言われても、なんか言われたなくらいで気にしていませんでした。
(記憶から消し去っただけかな?笑)
でも、その「自分だけ」っていうのが窮屈に変わったのが小3。
私の中に「恥ずかしい」という感情が生まれます。
そこからどんどん感情の枝分かれが始まって、
「知られたくない」
「隠さなきゃ」
って皆と同じでいる為に、お友達に嘘をつき始めました。
嘘つきは泥棒の始まりなのに、私は小3から定期的に嘘をつくような子になっていました。将来が不安ですね。(笑)
放課後に言葉の教室に行く日は、月に2回あったのですが、
私だけ、
ちょっと行くとこあるから先帰っていいよ!
っていうと、
絶対になんで?どこ行くの?って聞き返されると思っていたので、
ことばの教室の時間が迫っているのに、
「今日お母さんが迎えに来る日なんだったぁー、忘れてたよ~」
とかって演技して、
保護者専用駐車場までわざわざ行って、誰かに怪しまれないように木の下に隠れて時間を少しつぶして、お友達が帰ったであろう時間がたったら、
猛ダッシュでことば教室に向かうということをやっていました。
友達がおしゃべりしていてなかなか帰りそうな雰囲気に無いときは、
その子たちが帰るときに私の靴が下駄箱にあることを見られたくなかったので、普通に帰るふりして玄関を出て、別にあった低学年用玄関に靴を置いてから、教室に向かっていました。
なんか今、当時を思い出しながら文字を打ってるんですけど、
頑張ってるなー(笑)って思います。
もうなんかただひたすらに頑張っている小さな女優みたい。。
そこまでする?って感じですが、当時の私は、人に絶対知られたくない欲が異常でした(大学までずっと続きます笑)。
私の試練はまだ続きます。
お友達の目は回避しても、ことばの教室に入るところを同級生とか、同級生のお姉ちゃんとか、お掃除グループが同じ上級生に見られたら、そこから噂が広まるかもしれないという恐怖もありました。
本当にどこまでも
臆病というか、気にしすぎというか、神経質というか、、、
だからもし、ことばの教室の前を誰かが歩いていたりしたら、
「私はこの教室に用はないでーす」って心の中で言いながら
通り過ぎて、見えなくなったら、
忍者のようにそそくさと教室に入っていました。
教室に入れば、中の様子が見えるところはないので、
一安心なんですけどね。
担任の先生や言葉の教室の先生から、
クラスメイトへの説明は一切なかったので、
私が隠せばなんとか隠せる状況だったので、
そんなこんなで小学3年生からこの行動をし続け、
小4になると、もういつバレるのかという恐怖と戦う日々に、
身体的にも精神的にも疲れてしまって、
何のためにことばの教室に行っているのか分からなくなりました。
やめたい。
みんなと同じになりたい。
私は教室に行かなくたってやっていける。
吃音の悩みをこれからは一人で抱えていかなきゃという恐怖もあったけど、
いつバレるか分からない恐怖の方から逃げたかった。
この他にもう1つの理由が重なって、
小4で私はことばの教室を卒業しました。
学校には、
「図書館」「給食室」「体育館」「理科室」「音楽室」って皆が共同で使う場所がたくさんあって、入学してすぐの教室探検では、各教室がどこにあってどんな場所か説明があるし、毎日みんながそこを自由に移動する。使っていない昼休みなら、悪さをしない限り誰でも入ってオッケーだし、何か風通しが良い場所です。
でもことばの教室は、違う。
通う子じゃなければ、どんな教室かも説明されることはないし、一回も入ってみれない。
分からない場所だからこそ、
ちょっと変わっている子が行く場所で、触れちゃいけない場所。あそこに入っていく子は何かがある子
みたいなイメージがつくんじゃないかなって私は思います。
意識してなくても自然に。
私は同級生からそんな雰囲気を感じていました。
だから私の中に恥ずかしい場所だという認識が生まれたのかもしれないし、誰にも話せない環境ができた要因の一つだったんじゃないかなって思う。
学校は、皆が使う共有スペースなのにそういう場所だけ特別扱いしなくてもいいのになって思うんです。
先生たちの中に、障害自体や障害を持ってる子たちがいじめられないように、守るために、丁寧に慎重に扱わなきゃみたいな思いがあるのかもしれない。でも隠せば隠すほど、知りたくなるし一方的に想像した偏りのあるイメージが作られていってしまう。
ちゃんと説明すれば小学生だって、計算式も漢字も毎日学んでいくみたいに、聞いてくれるし理解できると思うんです。
今、ことばの教室に通っている子どもたちにとって、そこがいい所だなって思える場所であるなら、その感情の脇に「恥ずかしい」という感情がないといいなって思います。
放課後、お友達と歩きながらお喋りして、ことばの教室の前で「またねー!」って言って、毎回お友達とお別れできたら楽だったなって思います。
次の日はまたいつも通り、女子トークなんかして。
でもその当時は意地でも知られたくなかったから、
もし今私がこんな話をしても、
「知られるより隠していた方がいい」って小4の私は言うと思うけど。
今は、「吃音を知ってもらうのもいいな」とちょっとずつ思えるようになりました。
成長です。
表面的じゃなくて本当にみんなが心から、
「悩みを人に話すこと」、「心が辛くなったらカウンセリングに行くこと」とかへの恥ずかしさがなくなったらいいのにと思う。
私がそうじゃないからそう考えると思うんですけどね。
悩みを言ったり、カウンセリングに行ったり、今いる道を立ち止まったりすることって、全然恥ずかしくなんかなくて、
むしろ自分と向き合ってる強い人なんだなと私は思います。
ちな