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始まりのはじまり

去年の6月、吃音の若者たちが接客する一日限定のカフェ、注カフェ(注文に時間のかかるカフェ)に ”当事者のお客さん" として参加した。

場所は佐渡島。(ずっと離島に行ってみたかった!!!!)

吃音の事を隠して生きてきた私が、

人との関わりを避けて生きてきた私が、

同じ当事者の方と会うことに勇気が出なかった私が、

ここなら大丈夫かもって、一歩を踏み出した日。

この日が小さな小さな「さいしょのいっぽ」になるんだと思っていたのに、

いつのまにかハンディカメラを持った女性の方に話しかけられて、

数日後には大きなテレビカメラの前で喋るという、

私にとっては、全然小さな一歩じゃない、

自分と向き合う大切な一歩になった始まりの日。

♢♢

大丈夫、大丈夫、怖くない、いける、いける!いけるよ!!

緊張して数十分、建物の物陰に潜みながら自分に言い聞かせて、

ようやく古民家をリノベしたような、小さいけれどとても趣のある建物の入り口をくぐると、既にたくさんの人がいた。

多くは、吃音を持つお子さんとそのご家族で、私が参加した三部構成の最後の時間帯に、一人で参加しているのは私だけだったような気がする。

主催者である奥村さんの熱心な活動のおかげか、テレビでも特集されることが多く、その日も後ろでズラッと構える、初めての大きすぎるカメラに少し圧倒されながらも奥へ進んだ。

しばらくしてカウンターの先から私の名前が呼ばれて、全校生徒の前で作文を発表をする時のような、緊張が分かりやすく周りに伝わる足取りでカウンターの前まで進んで、店員のお2人とカウンター越しに向き合った。

お客さん一人一人に、吃音の説明や、吃音症の方に対してどのような対応をしたら良いのか、メニューの説明まで丁寧にしてくれた。

私の耳は、全神経を集中させてその説明を聞いていたのだけれど、正直心は、すぐ目の前に同じ吃音症の方がいて自分が交流できているという現実が信じられずにいた。そのせいか肝心の頭は、この興奮と嬉しさ、緊張をどうにか体の外に出さないようにと、「ちゃんと説明を聞いているお客さんである私」を維持することだけに必死だった。

今までずっと一人で内側にこもっていたし、こうやって同じ境遇にいる人と交流できるようになるまでになったことが本当に感慨深かった。

注文を終えて、オレンジジュースを受け取った後、空いていた小さいソファに腰かけて、「今日来れてよかった」なんて思いながら記念に写真を撮り、一口飲んだ。私はなんせ一人で来たのでお話しする方もおらず、店員さんはお仕事で忙しそうだし、目線をどこに合わせればいいか迷よったあげく、ある家族連れテーブルと、お友達2人テーブルの間から見える外の景色に焦点を合わせた。

嬉しさ4割、緊張6割の心を抱えながら、目の前の風景とストローの先、たまに他のお客さんに目線を行ったり来たり。

オレンジジュースが残り半分になったくらいの時、左前から、女性の方の視線がずっと気になってはいたけど、人見知りの私は気づいていないふりをした。嬉しさ3割、緊張7割(笑)。

しばらくして声を掛けてきてくれたその女性はアナウンサーの方で、私が今日参加した経緯やこれまでのことを丁寧に聞いてくれた。(どうして私に声をかけたんだろうか、、、)アナウンサーとしてではなくて、一人の人として私の言葉を受け取ってくれているように感じて、温かい気持ちになった。

自分を知らない方に、ここまで自分の事を話している事にびっくりしたけれど、(でも知らないからこそ話せるってあるよね)

この場所の「吃音というものが当たり前であること」や、この空間から「ゆっくりとした温かさ」を感じたこと、ここでは「強がらなくても頑張らなくてもいいんだ」と私の心が感じたからだと思う。

今まで押さえつけていた感情が溢れるように、いろんなことを喋った。

ジュースが残り少なくなってきたとき、

吃音について理解を深めていただけるような特集を放送したいと考えてて、よかったら別日に、ちなさんのご経験や思いを取材させていただけないかなと思っていて、ゆっくりでいいので考えてくれたら、、

私に、負担になってしまうようだったら断って全然構わないことを、何度も何度も口にしながら伝えてくれた。

(え?なんで私?私で良いのかな?)

絶対私じゃない方がいいと思った。

私はこうやって喋っていても言い換えをしているので一見吃音だとは分からないですし。テレビで特集を組むのなら、吃音の症状がもう少し分かりやすかったりする方がいいんじゃないかなって思うんですけど、。私なんかより、もっと説明が上手な方もいらっしゃいますし、、。

素直にお伝えした。より多くの方に現状や大変さ、目に見えない頑張りを知っていただくには、私じゃない方がいいと思ったから。吃音というくくりで見た時には、私なんかより症状が重くて過去に大変な思いをされていたり、もっと頑張っていらっしゃる方がたくさんいるって分かっていたから。

でも、
吃音の症状が周りに伝わりにくいからこそ悩むこともあるんだとお話を聞いて教えてもらったし、そういう方がいることも知ってほしいと思っています。

と言われた時、

私の中で何かが破れた。

いつからか心にかぶしていた膜のようなもの。

私のように軽度だったり、一見吃音だと分からなくても、この辛いという気持ちを理解しようとして受け取ってくれる人がいること。私もちゃんと辛いと言っていいんだと、初めて思えた瞬間だった。隠して大丈夫なふりをするべきだと思っていたから。

始めの一歩が、また次の一歩を踏み出す機会をくれた。

この日は本当に、今までとは少し違う自分になる始まりのはじまりだった。

♢♢

後日、家で取材を受けた。

この日、アナウンサーの方が家に来る前に、自分の中で一つだけルールを決めていた。ルールというか、自分との約束。

『言葉が詰まる予感がしても言い換えしない事』

このアナウンサーさんの前だったら、吃音の症状もさらけ出せそうな気がした。家族以外にはずっと隠してきた症状だったけど、せっかく、吃音症を持つ一人として取材を受けるんだから、もう一歩踏み出すなら今日だと思った。

取材の中で、電話対応の難しさを話そうとして、普段のやり取りを再現しようと思った時、やっぱり最初の「はい」が出てこなかった。

一気に静まり返る部屋と、こっちを向く大きなカメラに焦ったけれど、アナウンサーさんも初対面だったカメラマンさんも、表情一つ変えず、優しい表情のまま待ってくれていた。逃げずにありのままの私が伝わればいいと、手でリズムをとりながら、数秒の沈黙に耐えた。

言えた後は恥ずかしいというより、ただ聞いてくれていたお2人への感謝と、何かの殻を被った達成感だった。初めて家の外で、ちゃんと吃音の症状を見せることができた。

何日かして夕方ニュース内のひと枠を使って放送された。自分の吃音が出てる姿はあまり見たくなかったけれど、数日前の自分が勇気を出したんだからと、その日の私も、テレビ画面を通して自分の吃音をしっかり受け止めた。

あの日をきっかけに「吃音も私の一部としてあると受け入れた私」が顔を出し始めた。

それからこうして、あまり言えてなかった吃音の辛さや過去の経験を、言葉にして外に出せるようになった。感情を言葉で表現しようとすると自然と自分と向き合える気がする。

言葉にすることは、自分のことをもっとよく知る為、自分へのセラピーなのかもしれない。


ちな



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