カミングアウトの先は「いつも温かい」わけじゃない。だけど、
頑張ったら必ず報われると思ってた。
勇気を出したら楽になれると思ってた。
でも違った。
『人生は何もかも自分の思うようにいく訳じゃない』
『全ての人が自分の気持ちを分かってくれる訳じゃない』
そんなこと、もちろん頭では理解しているけど、
やっぱり期待してしまって、
そして期待していた分、思っていた反応や結果が返ってこないと勝手に落ち込んで、勝手に辛くなって、言わなきゃよかった、やらなきゃよかった、
なんて後悔する。
私ってほんと自分勝手。
私が最初に吃音の事を自分から話したのは
大学生の時。
できることなら、吃音の事なんてずっと隠していたかった。
相手の頭の中にある私のイメージを表す単語の中に
「吃音」という二文字が追加されるのが
とてつもなく恥ずかしくて嫌だった。
それでも今まで、
臨床心理士さんや会社の人、その他何人かに吃音の事を
打ち明けてきたのは、
配慮をお願いするためというのもあるけれど、
自分の中には、多分もう一つの意味もあって、
一人で抱えているこの辛さを分かってほしかった。
ただ聞いてほしかった。
「そうなんだ、辛かったね」って。
だって言ったら、
無条件に吃音の辛さが軽くなると思っていたから。
私が勇気を出した分、
相手から共感という名の優しさが返ってくると思ってた。
でも、そうじゃなかった。
“カミングアウト”のその扉を開けた先で感じる感情は、
いつだって、さっきより辛いものでした。
「吃音って知ってますか?」
「私吃音があって・・」
私の場合、80%の確率で、
いつもその後、相手の口から発せられるのは、
「えー全然分からないよ!」
「大丈夫、気にしなくて大丈夫だよ!!」
「今ちゃんと話せてるし!」
「つっかえちゃうのなんて私もたまにあるもん!」
私はこの言葉を聞くと、反射的に毎回涙が出そうになります。
相手にとっては励ましの気持ちから言ってくれている言葉が、
私の今までの努力とか、
一人で苦しんできた気持ちを一気に踏みにじられたようで。
皆と同じように見られていることが辛くて。
「みんなのつっかえると私のつっかえるは次元が違うんだ!」
「ちゃんと話せてる様に見えてるだけで我慢たくさんしてるし!」
「じゃあ毎回喋る度、言い換えとかしてる?」
「おはようございますとか言いたいのに言えない事あるの?」
「一言出すのに息を止めて苦しんだことある?」
「みんなと同じにしないで!」
なんて胸の苦しみを解消するために、
性格の悪い悪魔みたいな自分が出てきて、
そうやって反論したい気持ちを毎回抑えて、
「あー、ほんとですか?ありがとうございます^^」
なんて思ってもいない事を言って、
苦笑いしてなんとか涙を堪えることしかできません。
空気を壊さないように。
こんなことを思っているなんて誰にも言えません。
だって、
みんな悪気があって言っているわけじゃないし、
むしろその中心にあるのは優しさだということも分かっているからです。
だからこそ余計心が痛いのです。
もうそれ以上、なにも言えない。
「気にしなくて大丈夫」と言ってくれた人に対して、
これ以上私の事をお話しするのは、
辛さアピールみたいに感じ取られて怖いんです。
たまに勇気を出して、
「一見普通に喋れているように見えると思うのですが、言い換えをしていて、言えないと思ったら瞬時に違う言葉に言い換えて喋っているだけなんですよね。言い換えができない言葉はやっぱり言いにくいです。」
って言ってみるけど、
やっぱり、目に見える障害と比べると、
「困難さ」が想像しにくいから、
「辛さ」を低く見られたり、理解されにくい。
(目に見える障害をいいといっているわけではありません。)
アドバイスなんていらない。
特別な言葉もいならい。
ただ、ただ、
「そうなんだ」って聞いてほしいだけなのに。
期待して打ち明けて、勝手に苦しんでる自分が毎回バカみたいで。
私だけ一方的に恥ずかしいこと話しただけで終わってしまう。
私はそんなこんなで、人に吃音の事を打ち明けるのが怖いです。
分かってもらえないって諦めている部分もあります。
またどうせあの言葉たちを言われるって分かっているから。
今も勇気を出して言う度に、痛感しています。
「カミングアウト」は、
した側の勇気に対して必ず温かい何かがもらえるわけじゃなくで、
場合によってはかえって傷つくこともある。
そんな私だけど、
打ち明けた先にあるのがいつも暗い気持ちというわけでもありません。
吃音のことを肯定も否定もしないで
ただ聞いてくれる人に出会うこともできました。
ただただ嬉しかったです。
たくさんありがとうと言いました^^
この世界はみんながみんな自分を理解してくれる訳じゃない。
反対に私だって、知らないうちに誰かを傷つけてしまっていることもあるだろうし、どうしても理解できない気持ちだってある。
どちらか悪いという訳じゃない。相性だもんね。
私にとっては、
苦しいことが大きくても、
「ありのままの自分を受け止めてくれるという人がひとりでもいる」
という経験が心にあるだけで
救われました。
1人の偉大さよ。
受け止めてもらえた経験が大きくなって、
だんだんと辛いことも「まあそういうこともあるよね」と
考えられるようになった気がします。
まだ、
すぐ落ち込むよわよわ人間だけど(笑)
過去の自分へ。
分かってくれる人がいないなんてことはきっとないよ。
まだ出会えてないだけで。
だからどうか、相談するということを諦めないでね。
皆に言わなくて大丈夫だからね。
話してみようかなって思うとき、
話したいなって思う人がいたら、
ちょっとだけ勇気出して言ってみてね。
今の私の課題は、
もうちょっと人との関わりを増やすことかな。
心と相談しながらゆっくりと。きっと大丈夫。
ちな
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