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吃音と音読

私が小学生だった時、
国語の教科書がこんなに読めないのは私だけだと思ってた。
読めないというか、こんなに読むのが大変なのは私だけだと思ってた。


教室でいつもたった一人。
学校でもたった一人。
小学生でも多分私だけ。


でも、大学生の時Twitterで恐る恐る検索してみたら、そうじゃなかった。
誰にも話をしたことがないのに、同じような経験をして同じような思いをしてきた人がたくさんいることがわかった。
なんとか乗り越えてきた人がいっぱいいた。

そんな孤独だった過去の私に、
いつも一人で戦っていた小さい私に、
「一人じゃないよ」って言葉の代わりに、そっと背中をさすってあげたい。
後は、私と同じようにきっとどこかにいる、
音読が辛くてどうしようもなくて一人だと思っている誰かにも。

小学生の時の私、
中学生の時の私、
高校生の時の私、
大学生の時の私は、つい最近の私だって、
言葉の出にくい自分自身のことを心底、最悪だって思っていたから、
当時の私に「ひとりじゃないよ」なんて声をかけても、なんの慰めにも、励ましにもならないし、むしろ、「簡単に同情しないで!」なんて怒ると思う。

そのくらい吃音のことに敏感だったし、
受け入れられなかった。

そりゃそうだ。
みんなあるわけじゃないし、辛いこと多かったもんね。

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時間をかけてようやく少しずつ、
吃音の事を自分の事として受け入れられるようになってきているけれど、

なんだかそれと同時に、
皆に悟られないように必死に普通になろうとして音読を頑張っていた当時の私の経験も、努力も、
このままなかったことになりそうで、
当時の自分が見ていた教室の景色と思いを残しておきたいって思った。

先生にも友達にも吃音である姿を見られたくなかったけど、
本当は誰かに分かってほしかった小学生の私を、
今の私が救うことができるなら、
誰にも見せず隠していたその頃の私をここに残して、頑張っていたことをこの文章を書く中でいっぱい褒めてあげたい。
褒めまくってあげたい。

もしもいつか、
音読が辛くてどこかで苦しんでいる誰かがこの文章にたどり着いたら、
過去に音読が辛くてどこかで苦しんでいた誰かがこの文章にたどり着いたら、
私は直接何もしてあげられないけれど、
自分と同じ体験をしている人がいて、同じ感情の渦の中にいる誰かを感じるだけでも、
ひとりだって思うよりは救われることもあるんじゃないかと思って、
記憶を小学生まで遡って書いてみようと思う。

一生懸命戦って乗り越えた経験をここに残しておくことで、
辛い経験をなかったものにしたくないっていう、
今の私の勝手なエゴかもしれないけどね。

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小学校の音読の時間

クラスの皆にとっては音読なんて、
「ただ目の前にある文字をいつもよりもちょっと大きな声で読む」
くらいのことかもしれないけれど、
私にとっては、落ちたら奈落の底のぐらぐら揺れてる「綱渡り」みたいだった。

「読めるか」というよりとにかく「言えるか」
だたそれだけ。

国語の授業前の10分休み中なんてずっと、
頭の中は、
「今日は音読あるかな」
「最初の言葉出るかな」「上手くやれるかな」
それだけだった。
友達と喋っていても、席に座っていても、
上の空。

国語の授業開始のチャイムはいつもより重たく感じたし、
担任の先生の、
「じゃあまず丸読みしてもらおうかな~」って言葉が大っ嫌いだった。

わー最悪だ。
まじかぁ。来たぁぁー。。
”とりあえず”みたいな雰囲気で丸読みって言わないでよぉ。
ええーーーーーー、もー。
っていうか音読なんて意味ある?
先生がちゃちゃっと読んでくれればいいのに!
先生は聞いてればいいけど、こっちは大変なんだからねー。
なんなの。

先生から見たら私は多分いい生徒だったと思うけれど、
心の中ではこうやって、先生にいつも注意をされていた男の子たちみたいにいつも先生を悪く思ってた。
自分では吃音をコントロールすることもできないし、誰にも相談することもできないから、せめてもって先生を責めまくった。

でもそんな風に先生を恨んだって音読の時間はあっというまに始まるし、
自分の時間はやってきてしまう。

自分の番がまだまだ先でも、最初の子が読み始めて教室が静かになると、
もう私の心臓はバクバクしてた。
どの子も、前の子が読み終わるとすぐ最初の言葉を喋り始められるのが、
ただただ羨ましかったし、楽でいいなって思っていたし、
同時に、素直にすごいとも思ってた。
私には絶対できない事だから、私はみんなと頭の構造が違うんだと思ってた。

1人読み終わる度、
自分のところで爆発することが決まってる時限爆弾が近づいてきてる感覚だった。

「最初の言葉どうか出てこい」
「今日は目立ちませんように」
「ちゃんと出て!出て!お願い!!」

精一杯、本当にいるのか分からない神様にそう願ったし、
息するもの忘れるくらい、
不安と緊張で頭がいっぱいで、
教科書の文字を追うことしかできなくて、
話の内容なんてまったく入ってこなかった。

自分の番まであと5人くらいになると、今誰かが読んでいるところから、
教科書の文章を5人分指でなぞって、自分の読む文章を先に確認してた。
5人が読んでいる間に、
自分が読まなきゃいけない最初の文字を練習するために。

私は最初の文字さえいえれば、後は比較的スムーズに言えることを、
音読の時間をこなす中でわかっていたから、
とにかく最初の文字を練習した。

「ある日」「あ」「あ」「あ」「あ」

これでもかってくらい心の中で何回もね。
誰かの音読の声に紛れて、
コソコソ小さい声を出して練習したこともあった。

心の中でいくら言えたとしても、実際声に出すと嘘みたいに言葉が出てきてくれないから、練習はあんまり当てにならないけど、それでもしないよりはましなような気がしてた。

先読みすることで練習できるのは良いんだけど、一個落とし穴もあって。
自分まであと2人くらいになった時、自分の読む文章が1文分ずれてた事に気づくってことが何回かあって、そういう時は、かなり焦った。

「あんなに練習したのにここじゃないじゃん」
「えーさっきの文章の方が読みやすかったのに」
って。

自分の前の席の人が読んでいる時なんて、もう心臓がうるさすぎて、
体も一緒に揺れてるんじゃないかって恥ずかしかったし、
実際、足は心臓の動きに合わせてピクピクいつも震えてた。
変に力が入っちゃだめだって、
無理やり心の中で「ぜーんぜん緊張してなーい!」って言って、
体をゆらゆらリラックスさせてみるけれど、
まあ悲しいくらいいつも吃音には勝てっこなかった。

いよいよ自分の番。
最初の文字を言うまでに時間がかかると、
みんなが私の方を見るからそれがすごく嫌で、
普通に見られるように目立たないように、気づかれないように、
自分で考えたいくつかの工夫で必死に乗り越えてた。

よく頑張ったよ、私。本当に。
落ちたらアウトの綱を一人でなんとか渡りきるために、
毎回辛かったね。
頑張るというか、
なんとか乗り切らないといけなかったから必死だったね。

・前の子がまだ読み終わらないのに、最後の2文字くらいでもう喋り始める準備をしてみたり。
そうやってちょっとフライングすれば、ちょっと言葉の出始めに詰まっても、皆からは普通に見えるかなって思ったり。

周りに見えないように、なるべく小さい動作で体をたたいたり。

・教科書で顔を隠しながら、顔に力を入れながら力業で声を出してみたり。

・咳払いして言葉が出るまで時間稼ぎしたり。

・読む場所分からなくなってるフリしたり。

・ちっちゃい声で「せーのっ、せーのっ」って喋るタイミングのリズムをとってみたり。

こんなに頑張っても上手くいくことはほとんどなくて、
みんなが繋いできた声の一本線は私の前で途切れちゃうことばっかで、
5秒くらい沈黙が続くと、
皆が私の方を見るし、こそこそなんか言われてるし、
先生(私の吃音の事は知っていた)は、
「読む場所?漢字がわからないの?」とでもいうように首を伸ばして真顔でこっちを見てくるし、

いつも私の影の努力は報われなかった。

漢字だって家で調べてきてわかっているのに、
ちゃんと音読する場所だって分かっているのに、
真面目に授業受けてるのに、
私を見る目は「なんかちょっと変わってる子」だった。

でも吃音なんてものをもっているのはクラスで私だけみたいだったから、
みんなの普通になるために私が努力するのは当たり前の事だし、
クラスの子が私を見るのも笑うものしょうがないことだよね、
って思ってた。
こんなの分かってもらえるはずもないしって。

なんとか言い終わっても、自分の喋っていた大っ嫌いで失敗した声がいつまでも脳内に響いているし、顔がすっごく熱かったのを覚えてる。

言い換えが効かない時間だから、
目立たないようにするのが大変だった。

つっかえてもみんなには分からないくらいに音読できた時は、
「よかったぁ、セーーフ!」っていう安心感。

みんなと同じように普通に言えた時は、はちゃめちゃに嬉しかった。
「どうだ!!私普通に喋れたんだぞ!」
「これが私の本当の姿だ!!」
って皆にとっては当たり前に過ぎていく時間が私にはすごく貴重で、
自信たっぷりになれる時間だった。
胸を張って背筋を伸ばす余裕があるくらい嬉しかった。

工夫のおかげか、音読でいじめられることも、
直接何か言われることもなかったけど、
隠したり工夫し続けるのは結構ストレスだった。
でも自分のこの喋り方の正体を知られたり直接見られない為の努力だと思えば全然、頑張れた。

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今の私が「大丈夫?」って小学生の私に言っても、
「うん、大丈夫」って、絶対クラスメイトにも先生にも配慮は求めないと思う。それくらい吃音は隠したいものだったし、吃音ってバレることさえなければ私は何でもよかったから。

でもやっぱり今考えると、無理して本当の自分を殺してたなって思う。

私が自分の吃音を意識して恥ずかしいと思ったのは記憶上、小3だから、
もし小1の頃から、クラスのみんなに説明できる環境があって、
私のありのままの喋り方が、みんなにとっても私にとっても普通になっていたら、私はこんなに頑張って隠さなくてもよかったし、
吃音を恥ずかしいと思う感情も小さかったのかな、なんて思ったりもする。

吃音って頑張れば隠せてしまうし、
知られたくないという気持ちが強ければ頑張れちゃうから、
表面上は大丈夫な子に見えてしまって、
辛い気持ちが外からはわかりにくい。

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小学生の私へ

信頼できる先生が傍にいるなら、
吃音の事をそのまま伝えた方が
楽になれると思うんだけど、
きっとあなたはそうはしたくないよね。
とにかく目立ちたくないし、
みんなと同じが良いもんね。
だから無理に言いなとは言わないよ。
自分の気持ちが一番大切だからね。

でも一人で頑張り続けるのは辛いよね。
頑張ってるのに成功することの方が少なくて、
ちらちら見られて恥ずかしいし、
授業中静かに泣くこともあるもんね。

私はあなたのこと全然おかしいとも思わないし、
むしろ誰よりも頑張っててすごいと思う。
綺麗ごとだって思うかもしれないけどさ。
だって吃音ってのがあるのに皆と
同じレベルでやってるってすごくない!?
頑張ってる事、たくさん考えてるって事、
ちゃんと知ってる人がここにいるって事だけ
分かっておいてね。

アドバイスって好きじゃないかもしれないけど、聞くだけ聞いてね。
先生がね、私の事知ってか分からないけど、
一回だけ、
「隣同士の2人組で丸読みしてみましょう!」
ってことがあったでしょ?

その時びっくりしたよね。
だって誰かと一緒に読んだら
すらすら言えるんだもん!

それに、クラス全体がみんな2人組で読むから、
私だけ特別扱いされてる感じもしないし。

だからもし本気で辛くなったら、
先生にこっそり、
また2人組で読みたいですって言ってみてね。
先生は絶対分かってくれるから。

あなたは誰にも吃音の事を知られたくない
って思ってるのに、
ここにこんなに赤裸々に書いちゃってごめんね。

でも今の私は、
小学生の頃の私が心の奥底で思っていた、
「頑張ってるって知ってほしい」っていう気持ちも大切にしたい。

だから、

あなたの頑張りと努力と辛さが、
自分の中だけに留まって、
誰にも知られないのはなんだか悲しくて。
この文章の中で褒めさせてね。

あなたが葛藤しながら
吃音と小さい頃から向き合ってくれたおかげで、
今こうやって自分自身を受け入れつつあります。
ありがとう。

良い所たくさんあるから、吃音で辛くても、
自分はダメだと思わないでね。
今は思えなくても知っておいてね。

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みんなが音読で辛い思いをしないように、
音読の辛さで自分をだめだって思わなくてもいいように、
小さい頃から、吃音の事を安心して話せて、
この喋り方が自分の中の普通だと素直に受け入れられる環境が傍にありますように。

みんなが辛いとき、
「大丈夫」じゃなくて「辛い」って素直に言えるような環境が傍にありますように。

みんなが、吃音の事を変に意識する時間が減って、自分の好きな事とかやってみたいことに力を注げるような環境になりますように。

理解しようとしてくれる人が増えますように。

ちな












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