横の糸は・・・
紀元前6世紀頃、場所は北インドの釈迦族の王子として生まれ、
彼の名前は正確には伝わっていません。
石碑などにも刻まれていませんが、彼の偉業から、
ガウタマ・シッダールタと呼ばれたり、ブッダと呼ばれたりします。
母の名が、マーヤーと言われ、父の名が、シュッドーダナと言われ、
叔父の名が、アーナンダと言われ、叔母の名が、マハーと言われるように、
また、妻の名は、ヤショーダラーと言われ、
子の名前はラーフラと言われます。
親族の名前は伝わっているのにも関わらず、彼の名前は伝わっていません。
ガウタマ・シッダールタが本名でない理由がいくつかあります。
ガウタマと言う名前はバラモン階級の名前で、
シャーキャ族はクシャトリヤ階級なので、
当時の階級制度からするとありえない苗字になります。
シッダールタも、意味が「目的を達成した人」と言い、
後付けでつけられた称号のようなものだと考えられます。
このことからも、彼は自分の名前を伝える気はなかったのでしょう。
彼、ここからはブッダと呼びますが、
ブッダの王子としての実績はありません。
ブッダが王子として国の運営にかかわったことも無いようです。
出家して、悟りを得てから、ブッダの記録は増えていきますが、
当時の一次文書や記録はありません。
あるのは口伝だけです。
そして、ブッダの一番大事な考え方が、
あまり日本には伝わっていないような気がします。
初期のブッダが言っていたのは「悪いことをしない」
「心の平静を求める」「真実を知る」というとても簡単だが
とても続けるのは難しいことでした。
「悪いことをしない」とは文字通り他人、
つまり人間として人間に対して寛容であり、
毀損しないということです。
人を人として大切にすれば良いんだよ。
それがブッダが言いたかったことかもしれません。
「心の平静を求める」とは、悪行を行わず、
日々、安寧な生活をする。
もし、それが難しいなら、ブッダを良き友人とすれば、
悲しみ、嘆き、苦しみなどから遠ざかることができるんだよと
それがブッダが言いたかったことかもしれません。
「真実を知る」とは、ブッダが知りえた真実はそこにあるから、
それを見なさい、知りなさいという、ものすごく単純なことで、
自分のような「ただの人間」でさえ真実を知ることができたのだから
真実を求めさえすれば、すべての人も真実を知ることが出来るんだよ。
それがブッダが言いたかったことかもしれません。
このように、ブッダは人が人として生きる道について語ったようです。
縦の糸も、横の糸も、きっと人なんだと思います。
あぁ、中島みゆきさんの「糸」という曲は仏教理念だったのですね。
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