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【ムカシバナシ】松本まりか様の目覚まし時計を入手した経緯(1/3) - 囲碁ダイバー

chinです。

毒にも薬にもならない、
本当にどうでもいい自己満足の投稿です。
思い出のミニストップの近くを通ったので書きます。
きっと無駄に長くなります。

以前、少しだけ触れた
松本まりか様の目覚まし時計を入手した経緯です。
20年以上前の昔話です。
高校時代まで遡ります。

高校から囲碁部に入部

chinは中学校ではバスケ部でした。
しかし椎間板ヘルニアで腰を悪くしました。
高校では文化系の部活に入りました。
囲碁部を選びました

入部の理由は、県内の競技人口が非常に少なかったことです。
将棋ほど人気はありませんでした。
市町村予選なんてありません。いきなり県大会です。
しかも、1,2回勝てば全国大会に出られます。

と、顧問の先生に勧められて入部しました。
先生はアインシュタインに風貌が似ていました。
以下、アイン先生と呼びます

上級生も居なくて、ユルかったです。

1,2年生ではゆるーく

入部はしたものの、前提知識もないため、
初めは五目並べばかりしていました。
ルールも難しく(今でも細部は怪しい)、
定石?というのも覚えられない。
アイン先生は学年主任の業務で忙しく、
たまにしか顔を出しませんでした。

おもしろさもよく分かりませんでした。
そのため練習には週に1、2回行けば良い方でした。
ただ、脳内での対戦はよくやっていました。

そんな取り組み方だったので、
アイン先生からは大会への参加は認められませんでした。

3年生になって

2002年の日韓ワールドカップの年です。
急にまりか様の話に飛びます。

この頃まりか様は、ミニストップのCMで、
ミニストップちゃんとして活躍されていました。
私は共演していた妻夫木聡に嫉妬しながらも、
ネットでCMの動画をエンドレスで見ていました。
ハロハロキーン♪って歌ってました。

参考動画

夏には販促のキャンペーンが実施されていました。
ミニストップで既定額以上の商品を購入すると、
抽選に応募できる感じでした。景品には
まりか様のサイン(プリント)が入ったタオルや、
目覚まし時計がありました

タオルは数千名単位、目覚まし時計が100名でした。

地元にはミニストップがない

ところが大きな問題があります。
私の地元にはミニストップがありません。
おそらく今もありません。田舎です。
そのためキャンペーンに参加できません。
なんとかミニストップがあるところまで行けないものか?

そこで、私は思いつきます。


囲碁の全国大会に出て、
ミニストップに行けばいいじゃん!!


その年の全国高校文化祭は神奈川開催でした。
囲碁の大会会場は平塚です。
(この縁もあって平塚は好きな街です。)

そこから囲碁の猛特訓が始まりました。
平日、休日問わず自宅で練習しました。
アイン先生にも率先して挑んで練習しました。
大学受験の大事な夏に何をやっているのでしょう。

つづきます

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