見出し画像

品川区西品川2LDK

神奈川で始まった私のソロ生活は、1年もしないうちに終わりを告げた。

家から大学まで京王線の満員すぎる電車で通うことや、1人で生活してる寂しさ、1人だからと甘えて日々の暮らしが適当になることに少しずつ心が折れて学校に通わなくなってきたためだ。

もちろん親には学校を休んでいることは秘密にしていたし、ちょくちょく元気だと連絡をしていたが大学から親に連絡が行きバレたのだった。

大学から親へ連絡が行くとは思っていなかったが、今となってはあの時連絡が行ったから無事卒業できたのだと思いありがたく感じている。

家から大学が遠く、通うのが辛くなった。1人だと鬱々とした気分になる。等と両親に告げ、優しい私の両親は姉と一緒に都心に引っ越す機会をくれた。姉もちょうど大学のキャンパス移動で今まで住んでいた寮を出ることになったのでタイミングが良かったのだ。

家は姉と両親で決めてもらうことにし、程なくして品川区西品川2LDKで姉との生活が始まった。

新しい家は駅から徒歩15分、ビルの隙間を抜けて不思議な見た目のカレー屋さんを通過し、ゴミが溜まったお家を横目に進み、神社の横を抜け保育園の前を通り、隙間で飼われている犬のいる家を過ぎてすこし高台になったところにあった。

近くに交番があり、何か起きてもこれなら大丈夫だという安心感もあった。

ちなみに向かいは協会で、日曜になると教会から聞こえる音楽で目が覚めた。いや、醒めさせられた。

新しい家は綺麗で、バストイレは別、キッチンにはコンロが3つあった。2つあるうちの広い方の部屋を姉からもらうことができて上々の暮らしだった。部屋から見える駅前の高いビルの風景がとても好きだった。

新生活が始まり人が居るためか暮らしにメリハリが付き、無事大学も卒業することができた。

都心での生活だったが、駅からは離れた場所にあるため駅に降り立った時は都会の風を感じたが、家まで歩くうちにどんどんと良い意味で馴染みのある風景になるので、都会で心が削がれるという事象も起きなかった。

休日は、近くにある大きな商店街で買い物をするのが楽しく、ハムカツを歩きながら食べるのが姉と私のお気に入りになった。

家の近くの中華屋は揚げ餃子とチャーハンともやしそばが絶品で良く行った。女子だけで行くとお店のお母さんがいないタイミングでお父さんがサービスでウーロン茶を出してくれた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?