100日後に散る百合 - 30日目
『野菜』
野菜を食べるということは、
色を体に取り入れるということ。
サイショクは、私たちを彩るもの。
お風呂から上がると、
居間でいずみさんがTVを見ていた。
大抵は仕事部屋に籠っているのに、珍しいこともあるもんだ。
「お風呂、上がりました」
「んー。じゃあ入ろっかな。あ、萌花ちゃん、冷蔵庫にビール入れておいてくれない?」
「…………もしかして、終わったんですか?」
「そう!!終わったの!!完全に!!」
いずみさんが、勢いよくソファから起き上がる。
嬉しそうだ。
「ふふ、おめでとうございます」
「案外、形になってから時間かかっちゃってね。いざゲラで見てみると、微妙なとこが多くてさ~」
ビールを冷蔵庫に入れる。
そういえば、ちょうどピクルスを作っていたところだったので、小皿に取り分けて、これも冷蔵庫に入れておく。
「ピクルス、よかったら食べてください」
「気が利くね~、さすが萌花ちゃん。一緒に飲む?」
「高校生ですよ」
お酒に興味がないわけでもないが、特にビールは苦いと聞く。
あえて今、試してみるようなものでもない。
「仕事が片付いた時のビールは、もう格別よ。萌花ちゃんもいずれ分かるようになるよ」
「もう、あとは出版を待つだけって感じですか?」
「うん。まあいつ頃になるかまだ分かんないけどね。その辺は、出版社の匙加減だから」
いずみさんは、こめかみをぽりぽりと掻いている。眼鏡が邪魔そうだ。
「書いてある言葉たちが、風化しちゃいそうで怖いな」
「早く出るといいですね。随筆家・一斗リリ、4年ぶりのエッセイ集」
「ま、期待しててよ」
そう言い残して、風呂場に向かった。
と思いきや、
「そうそう、低温調理器、明日届くみたいだから」
そう言い残して、今度こそ風呂場に向かった。
金子いずみ。旧姓、平塚いずみ。
私の保護者である。
お母さんが他界した後、お父さんが再婚した相手がこの人。
〈一斗リリ〉として活動する随筆家でもあり、
エッセイのほか、詩も書くし、ちょっとした絵も描く。
「エッセイストってどういう職業なんですか?」と聞いた時は、
「随意のままに、筆を執る人のことよ」と返って来た。
要は何でもいいらしい。
その他、作詞したり、コメンテーターとしてTVのワイドショーに出たこともある。
「今度の作詞のお仕事ね、結構有名な歌手なのよ」
「へー、誰ですか?」
「教えない。ていうか、まだ教えられない」
「自分から話題出したくせに」
「萌花ちゃんがさっさと話しないからでしょ?私が頑張って繋いであげてるの」
「ああ…………」
お風呂上りのいずみさんを捕まえて、私は仕事場にお邪魔している。
「話があるから」と言って誘ったのだが、自分でも何を話せばいいのかよく分かっていない。
「まあでも、萌花ちゃんがこうして私を頼ってくれるのは嬉しいわ。本当にお母さんになったみたいで」
「そんな、いずみさんにはいつもお世話になってますし」
私は、いずみさんのことを”お母さん”と呼ばない。
お前がお母さんなんて絶対に認めねえからな!!とかそういうことではなく、
単純にそのくらいの距離感が心地よいと思ったのだ。
そもそも、お父さんが”いずみ”と呼ぶので、私もそれに倣っているにすぎない。
いずみさん自身も、呼び方に関しては特に気にしてないみたいだし。
まあ、まだ私が敬語を使っているあたり、深層心理では何か壁のようなものがあるのかもしれないけど、
決して、彼女のことを否定的に捉えている、ということはない。
いずみさんは優しいし、素敵な女性だと思う。
「料理さえ出来れば完璧なのになあ」
そう、いずみさんは料理が出来ないのだ。
だからお父さんが再婚した後も、結局、私が料理当番になった。
料理も楽しくなってきてたから、特に異論はない。
それに、いずみさんは仕事モードになると、平気で一日中ご飯を食べなかったりするので、作る人がいないといけないのだ。
「私が料理できれば、萌花ちゃんだって部活とか、放課後に友達と遊びに行ったりとかできる訳じゃない?」
「だからそこは気にしなくていい、って言ってるじゃないですか。入りたい部活もないですし、友達も全然いないんで」
「でも~、青春は謳歌しなきゃダメよ。謳歌してこその青春なんだから」
いずみさんは何か思い付いたように、机からメモ帳を持ってくる。
私が普段使っているのと同じメモ帳だ。
それもそのはず、私のメモ帳はいずみさんからプレゼントされたものだ。
「”謳歌”と”桜花”、どう?」
ペンを走らせ、2つの熟語を見せてくる。
仕事柄なのか、いずみさんは言葉というものに敏感である。
私もそういうのは好き。
「青春もこう、桜の花がパッと咲くように美しく、そしてあっけなく散るように儚いんだよ…………」
「いずみさんの青春って、どんなだったんですか?」
「恋多き乙女だったわ…………」
遠い目をしている。
「ラブレター送ったりしてね」
「へ~、素敵。やっぱり、その頃から言葉に対する興味はあったんですかね?」
「そうかもね。ラブレターにもポエムとか書いちゃってさ~。恥ずかし~!!!」
「和歌の時代みたい」
「まあ、私もそれだけ若の時代があったってことよ。って、おばさんの昔の話なんて聞いても面白くないでしょ」
「そんなことないですよ。お父さんとは、高校が一緒なんでしたっけ?」
「そう。あの時は、私がずっと片思いしてただけなんだけど」
「あ、そうなんですか?てっきり、昔付き合ってたのかと思った」
「違う違う。壌治さん、当時モテモテだったんだから。私の入る隙もなかったわよ」
「えー、本当ですか?」
「本当よ。だって、顔も良いし、優しいし」
確かに、顔は良いと思うが。モテモテとはにわかには信じがたい。
「出版社で再会したときは、運命感じたわ~」
お父さんはオフィスビルの建築関係の仕事をしている。いずみさんが打ち合わせで来ていた出版社に、お父さんが仕事で出向いた時にばったり会ったらしい。それを機に、また仲良くなったそうだ。
いずみさんはその時バツイチで、うちのお母さんが他界したことを知り、お父さんに再婚を提案したとのこと。
「でもやっぱり、私が結婚していいのかっていう不安はあった。生前の美陽さんのこと聞いたら、素敵な奥さんだったみたいだから」
そういう割には、結構早めに籍を入れていた気もするが。
ガチャ
「呼んだ?」
「あら」
ドアからお父さんがひょっこりしている。
ノックもせずに入るんじゃないよ。
「だめよ、壌治さん。今ガールズトーク中なんだから。男子禁制~」
いずみさんはキンキンに冷えてやがるビール缶を持ちながら、追い払うように腕を動かす。
「いずみは、ガールなのか?」
「あ!ちょっと!今この人失礼なこと言った!」
立ち上がって、お父さんを指さしながら「悪魔的だ」と主張しているいずみさん。
「今のはダメだよ、お父さん」
「そうやって、女性に気を遣えない男は、娘からも嫌われちゃうんだよよ?ねー、萌花ちゃん」
「そうだそうだー」
「だ、大丈夫だよ、萌花はお父さんのこと好きだもんな?」
「は?明日から洗濯別でいい?」
「いや悪かったって!!!!」
その後、すごい謝ってたお父さんだった。
「このピクルス美味しいね。食べやすいし」
また女2人だけになった部屋に、いずみさんの咀嚼音が響く。
「それ、ピクルス液にハチミツ入れてるんですよ。酸味もマイルドになるし、味に深みも出るし、砂糖を使うよりカロリーも低いし」
「へー、そうなんだ」
「なんか、いずみさんが野菜食べてるの、未だに面白いです」
「前まで野菜嫌いだったからね」
「嫌いっていうか、美味しさに気付いてなかっただけだけでしょ」
「憶えてる? 私が初めて、萌花ちゃんの料理を食べた時のこと」
箸で私のことを指してくる。
その目は鋭い。
「『嫌いなものありますか?』って聞かれて、野菜全般って答えたら、その日の夕飯、野菜しか出てこなかったんだよ?」
「ありましたね、そんなことも」
「他人事みたいに言わないでよ~。地獄だったんだから」
いずみさんは、箸をそっと皿に置いた。
静かに、カチャリという音がする。
「嫌われてるんだなと思った」
「そんなことっ…………」
「当時の話だから。もちろん今はそんなこと思ってない」
その目は優しい。
「まあでも、知らない人が急に家族になるんだもん。そりゃ、子供は戸惑うよね」
私は、この前の倫理系YouTuberの話を思い出した。
子供は親のエゴで生まれてくる、と。
その話には、あんまり共感できなかったのだが、
例えば、離婚や再婚というのは、明らかに親の事情と言えるだろう。
そういう意味では、両親が再婚した私は、親のエゴに振り回されたことになる。
幸い、いずみさんは良い人だったから、私は特に嫌な思いをしたことはないけれど、世の中にはきっとそうじゃない人もいると思う。
「確かに、最初は少し戸惑いました。私、人見知りだし」
本当は、心の底では嫌だと思っていたかもしれない。
大好きなお母さんがいなくなったのに、お父さんは他の人と結婚するって言うんだもん。
「お母さんのことはどうでもよくなっちゃったの?」とか「お母さんのことを忘れて、他の人を好きになったの?」とか色々聞いた気がする。
もしどちらかが死んだら、他の人を見つけて死んだ方の分まで幸せに生きよう、ってうちの夫婦は決めていたらしいから、お父さんにとっては当然の選択だったみたい。
「行雲のこともあったし、萌花ちゃんには本当にお世話になってる。ありがとう」
「それは私よりも、行雲ちゃん本人に言ってあげてください」
行雲ちゃんというのは、いずみさんの連れ子である。私の義妹にあたる。
しかし正確には、いずみさんの離婚相手に元々親権があったので、再婚した時点では、まだ彼女は金子家ではなかった。
ところが、離婚相手が行雲ちゃんを虐待していることが発覚。後に親権がいずみさんに移り、うちに来たのは1年半くらい前の話だ。
そういう意味で、行雲ちゃんはかなり親の事情に振り回されたことになる。
「仕事も片付いたし、また行雲に構ってあげないとなあ」
「そうしてあげてください」
「新刊にね、行雲のことたくさん書いちゃった。本人の話じゃないけど、行雲について色々考えたこと」
「そうですか」
「萌花ちゃんのことも書いてるよ」
「えっ!?恥ずかしい!!」
「いや、これも別に萌花ちゃん本人の話じゃないから。例えばね~」
いずみさんは、机の引き出しから、大量の紙をとりだした。あれがいわゆるゲラ刷りというものなのだろう。
「あ、これこれ」
咳ばらいをして、『野菜』という散文を音読した。
「萌花ちゃんが、野菜嫌いだった私に教えてくれたこと。最初の食事に言ってくれたことだよ」
「それ、お母さんの受け売りですけどね」
「そうなの?」
「昔も私は嫌いな野菜くらいありましたよ。緑の野菜が青臭くて苦手で。そしたらお母さんが、健康のために食べなさいって。体にはいろんな色があった方がいいのよ、って」
「へー」
「まあ、その時の私は”サイショク”がダブルミーニングっていうのに気づいてませんでしたけど」
小学生には、少し難しいレトリックだった。
「でも、萌花ちゃんのおかげで野菜も食べれるようになったからね」
「食材って、美味しさを見出せれば勝ちなんですよ」
「なるほど」
「その食材のポテンシャルを最大限、あるいは限界突破して発揮させるのが料理っていう行為だし、それが消費する立場としての責任だと思います」
「責任?」
「例えば豚とか牛は、私たちに消費されるために生まれて、育てられて、殺されて、食べられるじゃないですか」
彼らは、人間のエゴによって生まれている。
「じゃあ美味しく食べないと、彼らに申し訳ないかなって。私たちのエゴで命を扱ってしまうことへの償いって言うんですかね」
「”ショクザイ”ってことね」
「ふふ、そういうことです」
いずみさんは再び箸を手にして、ピクルスをつまむ。
「野菜の魅力を知れたのは良かったわ」
「なによりです」
「…………野菜って、青春に似てるわよね」
キュウリを食べる。
「青臭くて」
プチトマトを食べる。
「甘酸っぱくて」
セロリを食べる。
「爽やかで」
ビールを飲む。
「ほろ苦い」
「それは、ビールの味じゃないですか」
うるさいなあ、と小言を言われる。
「それで?話は?」
「え?」
「話があるから、私にところに来たんでしょ」
「んー、いや、話があったというか、いずみさんとお話したかったというか」
「別に、悩みごとなら恥ずかしいものじゃないよ。青い春の真っただ中。女の子は悩んで当然よ」
いずみさん曰く、野菜(及びビール)に似ているらしい青い春。
「まあ、思春期の子たちの頭の中なんて、みんなピンクだろうけどね!春を思う時期とはよく言ったもんよ。桜花らしくていいじゃない!!でも、人生って薔薇色の方が良いわよね…………」
なんか一人で盛り上がっている。そろそろ酔ってきてしまったようだ。
「じゃあ、話しますよ」
「おう、どんと来い」
脚を組むいずみさん。いずみさんは手足がスラっとしている。
「あ、待って、それはエッセイストとして聞くべき? コメンテーターとして聞くべき?」
細長い指で、眼鏡を直す。
「それとも、あなたの保護者として聞くべき?」
「…………いずみさん個人として、聞いてください」