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100日後に散る百合 - 34日目


「女同士とかありえないでしょ」


確かに、咲季はそう言っていた。

それを聞いた私は、声をかけられないまま。

結局、放課後も咲季を捕まえられず、

そのまま週末を経て、

月曜を迎えてしまった。

秒針を睨む。

ちきたくちくたく。

来てほしくない。

その時を迎えたくない。

しかし、どうしたって、それは進む。

私が何を思おうと、世界は普通に回っている。

ちくたくちくたく。

ちくたくたくたく。

ちくたくちくたく。

ちくたくちくたく。

キーンコーン。カーンコーン。

…………鳴っちゃった。


6限後のホームルームが終わって、

私はすぐに席を立ち、図書室に向かった。

今日の放課後は図書委員会なのだ。

とはいえ、咲季と共に行く勇気はない。

あー。

ちくちくちくちく。

ちくちくちくちく。

胃がちくちくする。

咲季に会いたくない。

会いたいけど。

あー。

お腹も空いたな。

お昼はあまりお弁当が喉を通らなかった。

今になって、食欲が出てくる。

「こんにちは。えーと…………金子さん」

「あ、先生、こんにちは」

司書の先生だ。

こんな平凡で中身のない生徒の名前まで憶えてくれている。

「この前の本、どう?」

「まだ読んでるんですけど、面白いです。自分に合ってました」

「ならよかった。あ、延長の仕方って教えてあったっけ?」

「はい、大丈夫です」

先生に勧められた『四丁目のフラワーショップ』をまだ読んでいる。私は本を読むのが遅いのだ。

うちの図書室の貸出は2週間で、延長もできる。

まあ、でも残りページも少ないし、今日ここで読み終えてしまうだろう。

「あのー」

「何かしら」

「料理関係の本ってありますか?」

「それは料理本?それとも料理がテーマの小説とか?」

「んーと、小説で」

「じゃあ、後で持ってくわ」

「あ、すみません。ありがとうございます」

司書の先生は、気さくで話しやすい。

全人類がこういう人なら、コミュ障なんて生まれないのに。

「もう一人は? えーと、綺麗な子、えーとね」

「あー」

「待って、言わないで」

いずみさんも偶にこういうことを言う。

自分で思い出さないと気が済まないタイプの人か。

「んーとね、川…………立川!立川さん!」

手を叩いて、明るい声を出す先生。

が、すかさず口元を抑えて、申し訳なさそうな顔で辺りを見ている。

いくらうちの図書室がお喋り可とはいえ、少しうるさかったかな。

咲季はそろそろ来るだろうと伝えると、先生は司書室へ戻っていった。

はー。

咲季、来ないな。

委員会の仕事も忘れて、帰ってしまってはいないだろうか。

だとしたら、まあ私にとっては都合がいいのだが。

咲季が来るまでに、心の準備はしておきたい。

ガラガラ

引き戸の開く音がして、意図せずそちらを見遣る。

「すみません、遅くなりましt……」

あ。

咲季だ。

来ちゃった。

目が合った。

可愛いな。

咲季の登場により、ドア周辺がバラエティ番組のセットのように見える。

って、違う。

気まずさ故、私は目を逸らすべきなのに、

咲季を目に焼き付けようとしていた。

美少女の前では、心の距離感というものは狂う傾向にある(私調べ)。

すかさず本を手に取る。

えーと『プツヨシーワラフの目丁四』。

あ、逆だ。

本をひっくり返して、あたかも今ずっと読書してた感を装う。

咲季は貸出カウンターを回って、私の隣に座る。

ちらちらと私を見ていたようだけど、やがて俯いてしまった。

「…………探したよ。一緒に行こうと思ってたのに」

あ、それはごめん。

悪いことしたな。

「避けてない?私のこと」

咲季は消え入りそうな声を零す。

なんで咲季が泣きそうなんだ。

「………………避けてないよ。私が逃げてるだけ」

咲季は、そのあと何も言わなかった。


『四丁目のフラワーショップ』は、章ごとに登場するゲストにこそ物語はあれど、主人公、つまり花屋の店員にとっては何気ない日常の一部に過ぎない。

その日常によって、主人公の何が変わるでもなく、主人公が何か起こすでもない。

読者にとって、それはとても安定した世界で、こちらの心が大きく揺さぶられることなんてない。不安になることなんてない。

変わらないことは、とても幸せなのだ。

この世界は絶妙なバランスを保って出来ている。

家庭も、学校も、会社も、その均衡を崩すまいと、みんな頑張っているんだろう。

そもそも地球の存在自体が、奇跡らしいじゃないか。

そんな釣り合いを無理やり壊そうとすれば、同等の代償が与えられて当然なのだ。

ぱたん。

栞の代わりにしていたメモ用紙を抜き取り、本を閉じる。

自分で返却処理をして、本はとりあえずカウンターに置いた。

返却ボックスを見に行くと、十数冊溜まっていたのでこちらも処理をする。

ピッピッという電子音が、響く。

咲季はこちらを見るなり、立ち上がろうとしたり、手を伸ばそうとしている。

手伝ってくれようとしているのだろう。

けれど、このくらいは1人で出来るので(というか2人だとむしろやりにくいので)、私だけで済ませてしまう。

ついでに棚に仕舞って来よう。

「あ、萌花」

席を立つと、咲季が呼び止めた。

「私もやる」

うっ。

2人きりになりたくない。

「2人共いなくなったら、借りる人が困っちゃうよ」

思ってもないことを言ってしまう。

「じゃ、じゃあ、半分は私がやるから!萌花が帰ってきたら、私が行く」

なんだか必死そうだった。


代わり番で本棚に向かった後は、貸し出し業務もなく、ずっと暇だった。

咲季は、自分の本を読んでいたが、

対する私は『四丁目』を読み終わってしまい、手持ち無沙汰であった。

窓からはグラウンドが見える。

運動部が一生懸命汗をかいている中、こうして椅子に座ってゆったりとしている私は、やっぱり価値なんて無いんじゃないか?

部活に所属しても時間の関係上積極的に参加できないのは仕方ないとして、それでもどこかに入っておけばよかった。

中学の時の私は家庭科部で、料理班だった。お母さんが他界したのは、中1の春だったので、まあ必然的にここに入るしかないと思っていた。

その頃は、部活に友達もいたし、先輩後輩という付き合いもあった。仲良くできていたかと言われると自信はないのだが、何にせよ、そういうコミュニティは、自分の構成要素のひとつだった。

高校でも、どこか入っておくべきだったのかもしれない。

そうすれば、こんな劣等感を感じずに済んだのかな。

グラウンドは近いわけでもないので、聞こえる声は決して大きくないのだが、彼らの熱はよく伝わってくる。

部活と言えば、咲季は本当にどこにも所属しなくてよかったのだろうか。

あんなに運動神経抜群なのだから、きっとどこに行っても活躍できるだろうに。

「金子さん」

「は、はい」

先生が声をかけてくる。

「これ、さっき言ってた本」

「あ、ありがとうございます」

先生が私に一冊の本を向ける。『éclair』と書いてある。なんて読むのか分からない。え、えくらいる……?

「主人公がパティシエ、あ、女性だからパティシエールか。料理っていうよりお菓子がテーマだけど」

ということは、この本のタイトルは『エクレア』と読むんだろう。

「はい、別に大丈夫です。ありがとうございます」

「金子さんは、料理するの?」

いつかしたような会話。

「ええ、まあ。母親が他界したので必要に駆られて」

「あら、そうなの。大変だったわね」

咲季が、視界の端で物言いたげな感じだった。

結局、何も言わなかったけど。

「立川さんは、本はどうかしら」

「ちょうど今、別の借りたとこで」

先程の棚の整理のついで、咲季はとある本を持ってきて貸し出し手続きをしていた。

先生に『カンパネラの些細な過ち』という本を見せる。

深夜ドラマ化もした小説で、ドラマのテイストは時間帯よろしくコミカルなものだった。

なんで私がそれを知っているかというと、いずみさんがそのドラマの主題歌の作詞をしていたからだ。知ってる人は知っている微妙な知名度のアイドルの曲だった。

咲季がそのことを知っているのかどうかは分からないが、もしかしたら一斗リリの相当なファンなのかもしれない。

「さて、もう今日は人も来ないだろうし、本の整理も終わっちゃったよね。帰っていいわよ」

先生が言う。

閉館時間まで、あと30分ほど時間はあったのだが、ありがたく帰らせてもらおう。

荷物はすべて図書室に持ってきているので、そのまま帰ることになる。

咲季の方が支度が早く終わったようで、カウンターを後にする。

が、ドアの付近で私を待っている。

2人きりになりたくない。

図書室を出てから昇降口に向かうまでの間とはいえ、だ。

でも「用事があるから先に帰るね」は、仕事が早上がりになった時に言うセリフとしては不自然だ。

こうなったら、

「教室に忘れ物したから、先に帰ってていいよ」

これしかない。

咲季は、少し私を睨んだような顔をしていた。

初めて見る顔に、少しドキッとしてしまった自分が情けない。

「…………私も忘れ物した」

うっ、そう来たか。

これでは2人きりの時間が余計に長くなってしまう。作戦が裏目に出てしまった。


教室に着くまでの間、お互いに何もしゃべらなかったのだが、

咲季は、教室のドアを後ろ手で閉めるやいなや、

「なんで逃げるの」

と。

冷たい声だったが、同時に熱っぽくもあった。

私は、低温火傷にも似た感覚に襲われる。

低温火傷したことないけど。

「それより、咲季、忘れ物は?」

話題を露骨に変える。

「萌花こそ、忘れ物は?」

「あ、いやー、よくよく考えたら忘れてなかった。筆箱忘れたと思ったけど、鞄に入れたの思い出した」

「そう。じゃあ、私もそんなとこ」

”じゃあ”って。

どうしよう。

他に話題を見つけたい。

あ、そうだ。

「咲季は、一斗リリは好き?」

「うん。好きだけど」

話を変えられて不服そうではあったが、興味のあるトピックだけに、ちゃんと答えてくれる咲季であった。

「一斗リリ、本名・金子いずみ。私の義理の母だよ」

「えっ、嘘!?本当に!?」

さすがに声が明るくなってしまったようで、少し気まずそうにしている。

「本当だよ。今度新刊出るよ」

「えええ!?何それ、知らない!!」

「まだ公になってないから、他言はダメだよ」

咲季は、私の突然のカミングアウトに面食らっているようだった。

まあ、好きな作家が実は身近な存在で、おまけに待望の新刊が出るんだから、ファンとしては色々ショッキングなんだろう。

教室には私たちだけしかいない。

運動部の声は、図書室にいた時よりずっと近く、静寂なこの部屋によく響く。

「あのさ、」

咲季が、ためらった感じで言ってくる。

「萌花と、一斗先生は、仲いいの?」

「まあ、それなりに」

仲がいいと、何なんだろう。

あー、

「もしかして、サイン?」

「ぅえ!?」

図星だったらしい。

「いいよ。言ったら多分くれると思うよ」

「い、いやいやいやいや、そんな。悪いって。いくら何でも図々しいでしょ」

「そうかな?いずみさん、結構そういうの寛容だし」

「でも……」

「遠慮しないで。友達でしょ」

そう言った瞬間、

身体に違和感が生まれる。

胸のあたりから、生ぬるい液体が染みていく。


ああ、あの時みたいだな。


どろどろしていて、不快。

全身が重くなる。

このままだと、押しつぶされてしまう。

吐き出さなきゃ。

「ね、”友達”でしょ?」

私の脳裏にその2文字がこびりついている。

「あ、そうだそうだ」

吐き出される言葉は、どこで作られたのかよく分からない。

「この前の話なんだけど」

脳、あるいは心を介在することなく、口から零れていく。

「日曜日に言ったこと」

何でこういう時だけ饒舌になれるんだろう。

「あれさ」

思ってもない言葉を言う時の方が、得意なのかな。

「忘れてくれない?」

身体の中はこんなにどろどろしているのに。

「気にしないで、私もきまぐれで言っちゃっただけだから」

口からはするすると出て行ってしまう。

「あんまり深く考えないで」

考えや感情は、言葉にした瞬間に届くのに。

「私、咲季とこのまま”友達”でいたいんだ」

私たちは、その形だけでは本物か否かを判断することが出来ない。

「これからも、”友達”で、よろしく」

なんでだろう。

吐き出したのに、全然楽にならない。


「……………………なにそれ」


咲季が、俯いたまま言う。

あの時に聞いた声だ。

重苦しくて、暗く響く声。

「なにそれ、意味わかんない!!」

かっ、と勢いよく顔を上げる。

前髪が暴れる。

瞳孔が開いてる。

声には、力がこもっている。

これは、

怒ってる?

「どういうこと!?ねえ!」

「え、ちょ、咲季」

「”忘れて”ってなに?”深く考えないで”ってなに!?」

咲季が詰め寄ってくる。

顔がいい。

「なんで!?なんでそういうこと言うの!?」

それは私にもよく分からないけど。

「私、ずっと考えてたんだよ!?萌花のこと!!」

目が潤んでる。

「好きって言われて、萌花の気持ちにちゃんと向き合わなきゃって思って」

声が震えてる。

「でも、なかなか答えが出せなくて。だからちょっと考えさせてって言ったの。私も色々確かめたくて。けど、そしたら萌花が逃げちゃうし」

だって。怖くて。

「私は精一杯、萌花に応えてあげたかったのに、どうして言った本人がそこから逃げるの!?」

「…………ごめん」

「そういうのって責任じゃん!!自分の気持ちを届けた責任じゃん!!」

責任。

「人に感情を”押し付けた”と思ってるなら、そのままでいてよ!!どうして突き放すの!?」

言い返せない。

「私、告白してくれて嬉しかった、って言ったよね…………?」

言った。言ってくれた。

「信じてくれなかったの?」

子犬のように無垢な瞳で、

けれどその奥は、狼のような覇気を宿している。

「……………………萌花のばか」

咲季は、走って教室から出て行った。



#100日後に散る百合


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