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100日後に散る百合 - 45日目
「ごめん…………」
少し落ち着いてきた彼女に言う。
さっきまでの豪雨は一時的なものだったようで、今は雨脚も弱まり、雷も少し遠のいている。
静まりかえった部室には、そのノイズだけが絶え間なく刻まれていく。
耳障りなようにも聞こえるが、なぜか心が鎮まる気がするのは、雨音の不思議なところだ。
けれど、胸がぎゅっと締め付けられていて苦しく感じる。
私だけ?
「ごめんね、風薇…………」
「…………なにが」
「えと、その、気持ちに応えてあげられなくて」
「…………私が勝手に自爆しただけだ。謝んな、やめろ」
そして、深くため息をついた。
「あー、もう、最悪だ。モカに散々な醜態を晒してしまった」
苦笑している。
あの子は、一貫して負けず嫌いだった。
「いつから好きだったの、私のこと」
「だから、好きとは思ってなかったんだ。というより、思わないようにしてた」
「もう少し、早く言ってくれてれば―――」
「付き合ったのか?本当か?」
「……………いや、自信ないかも。たぶん、すごい混乱すると思う」
「だろうな。女同士だし」
「えと、風薇は、女の子が好きなの?」
「分からん」
そう言って、風薇は立ち上がる。
その顔は、とてもすっきりしていて、いつもの強気な女の子だった。
さっきまで、弱々しく震えたり、激しく泣き叫んでいた彼女はどこへ行ってしまったんだろう。
「私と付き合わなかったこと、後悔させてやるからな」
あの子は、一貫して負けず嫌いだった。
*
昨日の風薇の言葉が、耳にこびりついている。
昨日のキスの感触が、唇にこびりついている。
ファーストだったんだぞ、おい。
咲季にささげたかったのに。
でも、それを奪われたからとはいえ、風薇自体を否定的に思っていない自分がいて、少し複雑であった。
しかし、風薇が私を好きだなんて、全然考えたこともなかったし、未だに混乱はしている。
”好きを認めたくなかった”、か。
私のように一目惚れでもない限り、明確に恋を自覚するのは難しいのかもしれない。
そもそも、恋とは何なのか。愛とは何なのか。
人間はそのテーマについて、ずっと翻弄され続けている気がする。
きっと、答えはない。だから、解法もない。
故に、コントロールできない。
得体のしれないものを、得体の知らないまま持ち続ける恐怖に、我々は立ち向かわなければならない。
ときめいて、悲しんで、喜んで、苦しんで、楽しんで、愉しまれて、情緒のバランスが著しく破壊されていく。
病気みたい。
恋をした相手の言動ではなく、恋という病そのものに精神が蝕まれているらしい。
もはや、他者とではなく自己との問題なのだ。
この奇病と向き合うのか、それともそれを自己を放棄して溺れていくか。
溺れることは、ある種の快感なのかもしれない。
とはいえ、溺死したくもない。
「…………萌花?」
「え、あ、はい」
「いや、聞いてる?」
金曜日の昼休み。
今にも雨が降り出しそうな空。
あまり日の当たらない私たちの秘密空間は、今日はやや肌寒い。
お弁当を食べ終えた咲季は、隣に座って私の顔を覗いている。
近いんだよな。可愛いな。
「うん、聞いてる聞いてる。テストの話でしょ」
本当はあんまり聞いてなかったが、話題だけは分かっている。
「うん、そうなんだけどさ…………」
咲季は少し訝しんでいるが、
昨日告白されてキスされたことを思い出してましたなんて、正直に言えるわけがない。
「さっきから、唇ずっと触ってるけど、どうしたの?口内炎でもできた?」
まずい、無意識だった。
「そ、そうなんだよね。ちょうど唇の裏に出来ちゃってさー。ご飯食べる時にどうしても気になっちゃって」
嘘をついてはいけないルールだったのに、早々に破っている自分がいる。
あと、唇の裏に出来たものは、果たして口内炎と呼ぶのか。
「あー、そういう所にできると結構治りにくかったりするよね」
すると、咲季がじっとにじり寄ってくる。
だから近いんだって。
可愛いな。
「見せて?」
「は?」
何を言っているんだこの人は。
「見せて?」
「え、なんで…………」
「んー、見たいから」
「理由になってない」
しかしそんなことはどうでもいいように、咲季の細い指が私の顎にあてがわれ、軽く上に持ち上げられる。
え、ちょ、え!?
こ、こ、こ、これは、俗にいう、顎クイなのか!?!?!?!?
「はい、口開けて」
「いや、今、お弁当食べたばっかだし」
「別に気にしないよ」
「私が気にするの!」
下顎を支えられているので、上顎を動かして喋るしかない。とても喋りにくい。
「見せてくれたら、頭撫でてあげる」
「それは、今日のお弁当の分でやるでしょ」
前回に引き続き、私がお弁当を作ってきた褒美は、頭ナデナデとなっている。
「じゃあ、オプション付けてあげる」
「な、なに」
「私の頭も撫でていいよ」
「それ私にメリットなく……………………いや、あるか」
「よし、決まり」
「いや、やっぱ―――」
「はい、あーん」
私の抵抗もむなしく、咲季は要求を続ける。
まあ、咲季の綺麗な髪にはもう一度触ってみたいと思っていたし、悪くない提案ではあった。
もう、仕方ないか。
「…………あ、あーん」
おとなしく口を開ける。
って、うわぁ、咲季に見られてる。
なにこれめちゃくちゃ恥ずかしい!!!!
思わずぎゅっと目を閉じてしまう。
歯医者に行った時の気分だが、あの時より段違いに恥ずかしい。
好きな人に口の中を見られてる…………。
そう考えると、ぞくぞくっと背筋がうずく。まただ。なんなんだろう、これは。咲季といると骨髄がピリつく症状によく襲われる。
口内が外気に触れ、少し涼しい。
舌の所在にやけに違和感を覚えて、動かすつもりもないのに勝手に彷徨ってしまう。
「萌花の舌、ちっちゃくて可愛いね」
恥ずかしい!!!!!
ぞくぞくっ。
ううう。
こんなに口を開けていて、乾いてしまうはずなのに、なぜか唾がどんどん出てくる。溜まってくる。
「唇の裏にできてるんだよね?下唇?」
咲季はそう言うと、顎クイをしたまま親指を伸ばし、私の下唇を軽くめくる。
「んっ」
柔らかい指の先端が触れた瞬間、身体がびくっと跳ねてしまった。自分で触っていた時にはなんでもなかったのに。
恥ずかしくって、口元を抑えるなり、下を向くなりしたいけど、口を開けている今、私はそれができない。
「んー、見えないね。舌で弄った時の違和感に比べて、実際の炎症は意外と小さかったりするんだよねえ」
それはそうなんだけど。
でも、ごめん、本当はデキモノも出来ていないよ。
あー、ていうかもう唾が溜まっている。このままだと垂れそう。
「じゃあ、今、頭撫でちゃうね」
「!?!?!?」
やばいって。今はダメ。今はダメ。
「なでなで~」
「んんっ」
またさっきみたいな感覚が襲ってくる。
腰から背骨を通って後頭部に何かが突き抜けていくようにビリビリする。
咲季は空いた左手でいつものように私を優しく撫でるだけなのに、今日はやけにそれを愛おしく感じてしまう。
私、口の中見られながら、頭撫でられてるの?
あー、もう、なんかよく分かんなくなってきた。
息が荒い。
「あー、あっ、んー」
無意識に声が出ている。
多分、よだれも垂れてしまっているんだろう。
どうでもよくなっている。
私の身体なのに、もう自分で制御できなくなっているようで、でももうそれに抗おうとさえしなくなっている。
どうしちゃったんだ、私。
「じゃあ、もう閉じていいよ。顎、疲れちゃったよね」
「…………へ?あー」
お許しが出たので、閉じる。
ずずーっと唾を吸って飲み込む。
なんだったんだろう、今の時間は…………。
「大丈夫、なんか、ぼーっとしてるけど」
「え、あ、うん」
「はい、じゃあ、どうぞ?」
咲季がこちらに頭を差し出してくる。
一瞬、何だろうと思ったが、
ああ、撫でるのか。
「うわ、すごい、綺麗」
意識が混濁し、感覚も鈍麻してしまった指先からでも、その髪のなめらかさは十分に分かった。
彼女の頭の形を確かめるように撫でる。
咲季は少しくすぐったそうにしていて、それがまた可愛かった。