100日後に散る百合 - 36日目
水曜日。
週の真ん中。
なんとも、やる気の起きない日だ。
いつもどうやって、この水曜日を乗り越えていたのか憶えていない。
とにかくこの登校する時間が一番嫌い。
登校という行為は、私がその学びの場に自ら赴くことであり、それは教育に対する自発的な受容を意味する。
学校に着いてしまえば、あとは受動的に授業を受けさせられるだけだ。椅子に座ってさえすればいいのだが。
まあ、とにかく行くのが面倒くさいのだ。
しかも、暑い。
何だ今日は。天気予報は見てなかったけど、ここ最近で一番暑い。
そういえば、今週からは衣替え期間に入っている。登校中にはブレザーを着てくる必要がない。
いやー、着てこなくてよかったわ。本当に暑い。
でも、今からこんなに暑くて、夏本番は大丈夫なのか?なんか、本当に平均気温が毎年上がっているような気がする。昔のこの時期は、暖かいな~と言っていた気がするぞ。
あー、でもその前に梅雨入りか。
ますます学校に行きたくなくなってしまうな。
しかし、
そんな、心身共に疲弊してしまう”登校”だが、
今日の私は、それほど嫌な気分ではなかった。
太陽の照りつける通学路には、大きな庭のある家があって、とても綺麗。
普段あんまり気にしてなかったけど、意識的に外の世界を見るというのは、案外新たな発見があって面白いと思った。
私は、いつも自分のことしか考えていなかった。
その割には、自分の心を見つめるのが嫌いだった。
でもそれを自覚して、結局ネガティブな思考を自分の中に巣食っていた。
けれど、もっと外に開いていかなきゃいけないのかもしれない。
例のお庭で、ひときわ目立つ花があった。
茎は細いくせに、大きな花びらを目一杯広げて、日光を浴びている。
その百合の花はとても優美で、私は咲季から貰ったプレゼントを思い出し、なんだか嬉しくなった。
これからの季節、百合の花が咲くんだろう。
そう思うと、この通学路を歩くのも悪くない。
それに、
登校で嫌な気分にならない決定的な理由が、あった。
それは、
教室に着けば、
「おはよう、萌花」
立川咲季という、
私の、愛しの〈彼女〉がいることだ。