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100日後に散る百合 - 59日目


「大切なことは、目に見えないんだ」

いずみさんが『星の王子さま』を持っていたので、借りて読んだ。かの有名なフレーズは、考えれば考えるほど、じゃあ自分にとって大切なものとは何なのかという問いに帰結していく。

目に見えない、ということは、五感のうち、ほかの四感では知覚できるのだろうか。いや、そういうことじゃないんだろう、サン=テグジュベリが言いたいのは。

カーテンを開けると、星はほとんど見えなかった。曇っていて、月すらもよく見えない。

「今、咲季も同じ月を見ているのかな」

そんなわけがないからこそ、定番のフレーズを呟いてみた。

夏目漱石が「I love you」を訳したときは、さぞかし綺麗な月が見えていたんだろうな。せめて、真昼間に思いついたとは考えたくない。

金曜の夜、美しくない空を見つめる。



水曜日、デートの続き。

どこか行こうと言いつつ、あまりちゃんとプランを決めていなかった私たちは、とりあえず大型商業施設”グレートウォール玉根”に向かい、適当にファッションフロアをうろつく。

私はそもそも外に出る機会が限られているので、特別、服とか興味あるわけではないのだが、咲季と付き合うようになって今後も外でデートをすることも増えるだろうし、何より、咲季の隣を歩く女として恥ずかしい恰好はできないなという自覚は芽生えてきた。

私が「あの子のセンス残念だね~」と言われるならまだしも、それによって咲季の評判が下がることは本意ではない。

とはいえ、自分で勉強するのも難しいので、今度咲季に見繕ってもらおう。

時期が時期なので、爽やかな雰囲気のものが多い。最近はやけに透け素材が流行っているなと思う。

咲季が手にするものは、どれも似合いそうだなと容易に想像がつく。スレンダーだし背も高いし、結局だいたいの服は着こなしてしまうんだろうな。咲季からの「これどうかな?」という問いに対して、私の口からは「いいと思う」しか出てこない。

「ちょっとは萌花の好みも聞かせてよ~」

咲季は少しいじけた様子だった。

「私だって、萌花が最大限好きな彼女を演じられるようになりたい」

「別に、咲季はそのままでいいのに」

私みたいな空っぽの人間ならその必要性はあるけど、咲季は咲季のままでいい。私は咲季が好きなんだ。

「………ねえ、咲季は、私のどこが好きなの?」

「どしたの、急に」

特に他意のない質問だった。でもあとから、私も咲季好みの女の子になりたいんだなと自覚する。

「顔かな」

「えっ」

「あはは、もちろんそれだけじゃないよ」

顔のいい咲季に言われると嫌味に聞こえてしまうのだが、まあそこは深く考えないようにしよう。可愛いと思われているなら、いいです、はい。

「あとは、そうだねー、”萌花である”とこ」

「???」

よく分からない。

「萌花は萌花なんだよ、私とは違うし、そして誰とも違う」

それは人間だれしもそうではないの?咲季は咲季だろう。

「すごくね、特別に感じたの。独特とか個性的とか、そういう話ではないんだけど、私にとって、かけがえのない存在」

「そ、そう………」

なんか恥ずかしくなってきた。聞くんじゃなかった。

そのあとも適当に本屋を見たり、雑貨屋に入ったりした。

そういえば、咲季の誕生日が近づいている。プレゼントは何が良いだろう。そろそろ考えなければならない。咲季はエプロンに加え、イヤリングもくれたわけだし、私も何か対価になるようなものを用意しなきゃな。

「見て~、萌花~、寝てる~」

ペットショップのガラスケースを眺めながら、咲季が笑いかけてくる。

チワワだった。可愛い。私は犬派だ。

「そういえば、咲季は猫派だけど、コイラ君のことはどう思ってるの?」

「え、あー、なんだろう。私は猫飼いたかったけどね、お母さんがアレルギーだったから」

「そうなんだ」

「元々はおばあちゃん家が飼うことになったんだけどね、おばあちゃんがすぐに具合悪くなっちゃってさ」

まあゴールデンレトリーバーはそこそこ大きいし、ご老人が飼うには少し大変そうではある。

「ふふ、この子はどんな夢見てるのかなあ」

眠るチワワを見る咲季は聖母のような微笑みだった。

そういえばいつの日だったか、授業中に寝ていたら、咲季の夢を見たことがあったな。

「咲季は、夢って見る方?」

「え? うーん、まあまあ? あ、萌花の夢も見たことあるよ」

「わ、私も!咲季の夢見たことある!」

なにこれ、運命?

「どんな夢だった?」

「あんまり覚えてないけど、入院してるはずの咲季が、ユリの花を持って学校に来る夢」

「なにそれ」

なんだろうね。まあ夢とは、そういうものだ。

「あ、でもね、私も萌花の夢見たのは入院中なんだよ。萌花がね、一生懸命花壇に水あげてるの。私が行くと、いつも花壇の傍に座って、じーっと土を見てる。私はそれをただ眺めてるっていう夢」

その花は咲いたんだろうか。



咲季は、ひとつだけプランを決めていたらしい。

玉根駅から少し離れたところに、その施設はあった。何やら白くて大きな建物があるなあとは思っていたけれど、プラネタリウムだったのか。

「実はねえ、チケット取ってあったんだー」

「ありがと。言ってくれればよかったのに」

「サプライズってほどでもないけど、まあ、ね?」

あまり精度のよくないウインクを披露されて、可愛かったけど、つい笑ってしまった。

そして、入場して驚愕する。

「…………なにこれ」

「カップル席だよ」

ドーム型の部屋の中に、1人用の椅子と並んで、いくつか卵型のシートが並んでいた。こ、これが、カップル席…………。

恋人と二人だけ(っぽい)空間で、星を見てロマンティックな気分に浸らせようというのか。誰なんだ、そんな下心しかないことを思いつくのは。ありがとう。嬉しいです。

「とはいえ、恥ずかしいなあ」

シートに座る。ソファなのですごくフカフカしてる。これは寝そうだなあ。
ていうか、女同士でもカップル席取れるんだ。時代かな。

平日だからか、客足はかなりまばらだ。大学生カップルと思しき人たちは何組かいる。あとはおじさんとかおばさんとか。

左を向くと、当然だけど咲季の顔が目の前にあって、やはりドキドキしてしまう。慣れない。上を向く。

それなりに歩いていたので、身体を休めるという意味でも、横になれるのはよかった。普段運動していないので、すぐに疲れてしまうのだ。

「なんで、プラネタリウム? 星とか好きなの?」

天井を見つめたまま聞く。

「好き……かな。最近『銀河鉄道の夜』を読んだからかも」

なるほど。私は、何かそういう読書経験はあっただろうか。『星の王子さま』は読んだことあるけど、あれは、どっちかっていうと惑星的な意味での星だよなあ。

私は、作中のバラの話を思い出していた。確か王子様は、別の星からやってきた、たった1輪のバラを大事に育てていた。ある時、そのバラと喧嘩してしまって、違う星に行くと、そこには数千本ものバラが自生していて、バラというのはとてもありふれた存在だったのかと落胆したんだよね。

しばらくすると、優しいアナウンスが聞こえ、幻想的な音楽が流れ始める。本当にこれ眠ってしまいそうなんだけど。テスト勉強のせいでこっちは寝不足なんだぞ。

照明が落とされ、空間が闇に包まれる。

非日常的な雰囲気もあって、私は意外と楽しみになっていた。プラネタリウムって、本当に子供の頃に一回だけ来たことがある気がする。宇宙はまだ謎が多いと聞くし、まあ神秘的ではあるよね。

ぎゅ。

静かに、左手を握られる。暗闇の中、横を向いても咲季の顔は見えなかった。また私は天井を見上げて、優しく彼女の手を握り返す。

自然にできるようにはなったが、結局、付き合っても咲季といるとドキドキするのは変わらないし、むしろ、もっとときめくことが多くなった気もする。

まあ、カップル席だし、このくらいのことはしてもいいだろう。

プラネタリウムの内容は、軽く宇宙誕生の歴史を紹介したあと、太陽系の話、そして今見えている星たちの紹介がなされる。近々、七夕ということもあって、夏の夜空の解説に多く時間が割かれていた。

「こちらは天の川です。地球の属する太陽系は、天の川銀河という銀河の中に存在すると考えられており、この天の川は、その銀河を内側から見ることによって帯状に見えるのだそうです。天の川銀河の直径はなんと10万光年、約2千億個の恒星が集まってできていると言われています」

”恒星”で”構成”されてるのね。

「英語ではミルキーウェイ、つまり乳の川。ギリシャ神話ではこんな風に語られています。”大神ゼウスには、人間の女性アルクメネとの間にヘラクレスという子がおりました。ゼウスは彼を不死身にするために、その効果があるとされる女神の母乳を飲ませようとしました。その女神とは、ゼウスの正妻であったヘラ。しかし、他の女性との間に生まれた子どもに自分の母乳を飲ませるほど、ヘラは優しくありません。むしろ、かなり嫉妬深い性格で、ヘラクレスのことも嫌っており、彼の眠る籠の中に毒蛇を放ったこともありました。結局ゼウスはヘラに眠り薬を飲ませて、ヘラが眠っているあいだにヘラクレスに母乳を飲ませます。その時に目覚めたヘラはたいそう驚き、ヘラクレス突き放した時に母乳が流れ出した”と言われています」

毒蛇のくだりで、少し会場がざわついた。まあ気持ちは分からなくもないけど、嫉妬で蛇放つのは怖いな。メンヘラの”ヘラ”ってここから来てるのか?

そういえば『星の王子様』にも、毒蛇が出てきた。最期に王子が噛まれるんだ。

あとは星座の話もあった。私は双子座で、咲季は蟹座だ。そういえば、星座の相性占いとかあるのは知っていたけど、結果が悪かったら怖いので調べるのをやめたことがあるな。

20分ほどだっただろうか、プラネタリウムは終盤に差し掛かる。案外面白くて、結局寝なかった。

たまに咲季の右手が、私の左手を握り直すように少し力が入った。私はそのたびに、握り返していた。

「さあ、みなさん、星間旅行はいかがでしたか? まだまだ、宇宙は知らないことばかり」

ドーム型の天井に映された星々が本物ではないと知っているのに、吸い込まれそうな感覚がした。

「今夜みなさんが夜空を見上げた時、そこに光る星々はとてもとても遠い場所にあって、もう宇宙には存在していないかもしれません」

見えているのに、そこにない。

光がなければ見えないのに、光はない。

「しかし、爆発した恒星は新たな恒星を生むと考えられています」

生死は繰り返す。

「皆さんが見ている星は、あってもなくても、きっと、何かに繋がっているはずです」

音楽が止み、

満点の星空が、すっと、急に暗くなる。

何もない暗闇の中で、

唇に慣れた感触があった。

キスされた。

本当に一瞬だったけれど、私にはちゃんと分かった。

このタイミングを、咲季はずっと狙っていたんだろうか。それを考えて、少し可笑しくなる。

すぐに明るくなった場内で、咲季は上を見て、何食わぬ顔をしていた。

あれ、本当はキスなんてされてないんじゃないかと思ってしまう。

「カムパネルラのことを思い出してた」

咲季が呟く。

「銀河鉄道の旅の途中でカムパネルラは消えてしまって、ジョバンニが起きたら本当に命を落としていた」

手は繋いだまま。

「”僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。”って言ったんだけど―――」

「…………私は、消えたりなんてしないから」

私たちは、手は繋いだまま、

プラネタリウムをあとにした。



天気はよくないからか、初夏の夕方にしてはやや暗かった。

夕飯前には帰るという話で、そのまま玉根駅で解散する流れだったのだが、なんとなくお互いに渋っていた。

「こっち来て」

咲季に手を取られ、着いたのはこの前2人でお弁当を食べた公園。

公衆トイレがあって、その裏に回る。人の気配はない。

意味は分かっていた。

目を瞑った。

少しだけ、上を向いた。

「んっ」

咲季は私の腰に、私は咲季の首にそれぞれ腕を回す。

感覚的には久々のキスなので、やっぱり嬉しかった。

幸せで胸がいっぱいになって、

でも飽和することはない。

大好き。

大好き。

大好き。

精一杯、咲季にそれを伝えたい。

今はこの気持ちを押し付けたい。

なんでかちょっと、興奮してる。

ロマンティックに浸ったからだろうか。

まあ、いいか。

幾分か満足するまでキスをしていた。

「ね、もえか、あの」

口を離した咲季が、ためらいがちに言う。

「えと、嫌だったら、拒んでほしい……」

珍しく不安そうな顔で、腕を私の腰から、徐々に上げていく。

星を見ながらずっと繋いでいた手が、私の頭を固定するように押さえた。

目を瞑る。

いつもの咲季の匂いと一緒に、また唇が当てがわれる。

さっきと同じように、キスが繰り返される…………

わけではなかった。

ぬるっとした感触があった。

舌だった。

ちょっと驚いて、薄目を開けると、咲季が一生懸命ちろちろと私の唇を舐めているのが分かった。

そんな姿を見せられて、私が受け入れないことがあるだろうか。

咲季の大好きが、私にも伝わってくる。

嬉しいな。

いいよ、咲季。

もっと、伝えて。

「あっ、ふ、んぁ」

口を少し開けた途端、咲季の愛情がぐりぐりと押し付けられる。

どうやってキスすればいいんだろうって、一瞬考えたけど、私が何もしなくても、しっかりと深いキスをしている感覚があった。

咲季の舌は、私の舌を丹念になぞっていく。表と、裏と、先と、奥と。

一通りそれが終わると、私の唾液を吸い取るように口をすぼめ、きゅーっと音を立てて口を離す。

きもちいい。

もちろん、幸福感もあった。さっきよりもっともっと、私の中は幸せで満たされていく。けれど、それらすべてが「きもちいい」に転化されていく。

咲季が首の角度を変えながら、舐めて吸ってを繰り返す。

頭を固定され、ただその快感に浸っていた。

何も考えられなくて、ただ咲季がきもちいいことしか分からなくなっている。

風邪をひいた時みたいに、全身が熱くて痛い。背中にかいた汗がとても不快だった。うなされたように私は声にならない声を上げて、荒くなった息を細かく吐き出す。

ぼーっとして、ひたすらに気持ちよさを与えられている。

咲季も一心不乱になっていて、かわいくて、愛しくて、すごく性的だった。

1分くらいだったか、1時間くらいだったか、完全に時間の感覚がなくなった頃、ようやく咲季がキスをやめた。

何も考えられないから、寂しいとか、もっとしてほしいとかさえ感じなかった。

ただ終わった。それだけだった。

「…………嫌じゃ、なかった?」

咲季が聞いてきた。

少しずつ意識が戻ってきて、今していたことの不埒さにやけに動揺した。

けれど、気持ちよかった感覚がどうしても忘れられない。

「こういうキス、好き、かも…………」

舌をどう使って発声していたのか憶えていなくて、とてもたどたどしく答えた。

「ふふっ。そうだ、萌花の好きなとこ」

いたずらっぽく笑う。

「えろいとこ、かな」

よだれでべとべとになった口回りから、咲季の臭いがして、少しだけ腰が疼いた。



世界にたった1本しかないバラを持っていると信じていた王子は、それがどこにでも咲いているありふれたうちの1本でしかなかったことに気付いた。そして泣いた。

そこに1匹のキツネがやってきて、寂しかった王子は遊ぼうと誘うが「仲良くなっていないから」と断る。それでも”絆”のことを話してくれたキツネと数か月を経て仲良くなれた。

お別れの時になって、キツネが悲しんだ。仲良くなったことを後悔する王子だったが、キツネは「大切なものは、心で見るのだ。大切なものは、目には見えない」と教えてくれた。

王子のバラは、数千本のうちの1本ではなくて、王子が大事に育てた特別なバラであることに間違いはなかった。心にあるものを守る責任が、王子にはあったんだ。

カーテンを閉めて、

咲季に電話をするか悩んで、遅い時間だったので、結局しなかった。

ベッドに転がって、目を瞑る。

今日はなにか、夢を見そうな気がした。



#100日後に散る百合


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