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100日後に散る百合 - 16日目


扉を開けるのは、

いつだって、緊張する。

その向こうに、

私の知らないものがあるかもしれない。

私の嫌うものがあるかもしれない。

私を嫌うものもあるかもしれない。

昨日までいた立川は、

今日の立川とは違うかもしれない。

それでも、私は、

どんな立川でも、

会いたいと、

そう、

思えるから。


病室の扉の前に立つ。

大きく深呼吸。

ドアを、開ける。


「あー!金子さん!こんにちは」

「あ、こ、こんにちは」

”こんにちは”という挨拶は、

友達にするには、やや気恥ずかしい。

「今日も来てくれてありがとう」

今日の立川も可愛い。

入院生活だというのに、

髪も綺麗にしていて、

油断のない感じがする。

「さあさ、座って」

ベッドの傍の椅子に招待される。

立川は本を読んでいたようで、

栞を挟んだ文庫本を、棚の上に置いた。

ブックカバーがしてあって、何の本なのか分からない。

こういう時に、

「何の本を読んでいたの?」と、聞くことは、

果たして模範解答(というより模範質問?)だろうか。

ちなみに、私はその質問をされたくない。

なんか恥ずかしいから。

本といえば、

1年の頃、風薇に何冊か貸してもらったことがある。

「この本が面白かったんだ」とあまりに興奮しながら報告してくるので、

どんなもんかと、貸してもらったことが何回か。

「マドレーヌ、良かったら金子さんも食べてよ」

昨日、私が買ってきたマドレーヌは、

早くも4個減っていた。

「美味しくてさー、昨日のうちに結構食べちゃった」

食いしん坊立川、可愛い。

お言葉に甘えて、私もひとつ頂く。

フィオリトゥーラのマドレーヌは、

やや甘さが控えめで、バターの香りが強い。

そのくせフレーバーの匂いはしっかりするので、なんだか不思議。

「じゃあ、ストベリーにしようかな」

イチゴ味は好き。

理由は、安定しているから。

あとはチョコ味も好き。

理由は、安定しているから。

「可愛いね」

「へっ!?」

可愛い?

あ、

あの、

立川から、

可愛いと言われてしまいました。

けれど、

けれど、知っている。

どうせ「(ストロベリーを選ぶのが女の子的に)可愛いね」とか、そういうことなんだと思う。

思いあがるのはよくないよ、萌花。

ところが、

立川は、マドレーヌを食べる私を、

ずっとニコニコして見ている。

なんか、道端で見つけた猫を眺めるみたいな瞳で、

とても可愛い。

それにしても、ずっと見てくる。

私の食事シーンが面白いんだろうか。

「そ、そんなに見られると、恥ずかしいんだけど…………」

「可愛いね」

さっきよりも、少しゆっくりな口調で、

それは、まるで私に言い聞かせているようで。

ま、まあ、私も今日は、

ちょっと身なりに気を遣ってきたけど!?

い、いや、

でも、

そんな、

立川に、

見つめられながら、

可愛いとか、

言われちゃうと。

「大丈夫? 顔赤いよ、立川さん」

あんたのせいだよ!

あー、もう。

既にドキドキしてたけど、

指摘されたことで、より恥ずかしくなってしまった。

耳まで熱くなってるのが、自分でもよく分かる。

「そ、それより!」

マドレーヌを勢いよく飲み込んで、

話題を変える。

「立川さんは、なんで事故に遭ったの?」

これは、ずっと気になっていたことだ。

「あー、木曜日ね。金子さんとお話した日」

やっぱり。あのあと事故に遭ったんだ。

「ガソリンスタンドのところ分かる?」

「うん、ファミレスの近くでしょ?」

「そうそう、でね、あそこ住宅街に繋がる道があるんだけど、ちょうどそこに猫がいたの」

「猫?」

「うん、小さかったから子猫だと思うんだけどね、全然動かないの」

「怪我してたとか?」

「かもね。で、そんなところにいたら、住宅街の方から来た車とかに轢かれちゃうなと思って」

「うん」

「そしたら、お母さんからLINEが来て、猫の方に近づきつつ返信してたらさ、車が来てたっぽくて」

「うん」

「で、さあ猫を助けましょうって、抱えた瞬間に、道の向こうから来た車にドーンと」

「ええ、大丈夫だったの、それ」

「まあ、車もスピードは落としてたからさ、軽くぶつかったくらいだよ。倒れはしたけどね」

「…………大事故じゃなくて、本当によかった」

「全身打ったから結構痛かったけどね。頭も打ったから、そのあとのことはあんまり覚えてない」

「大変だったね」

「でも、こうして金子さんとお話できる機会ができて良かったよ」

前向きだな。

私は代償に値する人間か?

「あ、そうそう、お母さんから来たLINE見てよ」

そういって、立川はスマホを取り出した。

スマホケースは、白地に花がデザインされていて、

上品だけど、可愛げもあった。

「ほら、見て」

立川がLINEの画面を向けてくる。

立川の母親と思しきアイコンからは、

散り際の桜の写真が送られていた。

散り際といっても、もうだいぶ散った後だが。

「いきなりこの写真送ってきてさ、『よくない?』って来て。何かと思って、色々考えちゃったよね」

しかし、その写真には見覚えがあった。

「ここ、私の通学路だよ」

「え、本当?」

覚えている。

金曜に同じような場所で、同じような光景を見た。

「そっか、じゃ、お母さんはそこで写真撮ってたんだなー」

ちなみに、立川はそれに対して

『すごい!!春を出たって感じ~』

と返していた。

LINEに返信して、動物を助けて、事故に遭うって、

どこかで見たことある展開な気もするけど、

なにより、大事故じゃなくてよかったな。

そして、

画面を見て、

私は思い出した。

今日のミッションを。


立川とLINEを交換するんだ!!


今、立川がスマホを出している状況なら自然に行けるはず。

「あ、ねえ、立川さん」

「ん?」

大丈夫。

自然に。

自然に聞け。

「らい…………ん」

「らい?」

えーと、

ほら。

「いや、あの、委員会の連絡とかもあると思うし!その、あの、お互いに知っておいた方がいいかなと…………思って……………………」

あー、もう!!!

こういう文句で聞くのはやめようと思ってたのに!!!!

立川は、ややあって

「あー、LINE交換しようってこと?」

「う、うん」

ごめん、立川。

こんな言い方しかできなくて。

「じゃあ、はい」

立川がQRコードを見せてくる。

読み取る。

すると、私の画面に

”Tachikawa Saki”と表示された。

アイコンは、猫だ。

「猫、好きなんだね」

「ああ、それ、キッサだよ」

キッサというのは、うちの学校に来ているらしい猫で、立川が密かに餌付けしちゃっている。

そういえば、保健室の河瀬先生は、立川が餌付けしているのもバッチリ見ていたらしい。

「金子さん、読みは<もえか>で合ってる?」

「うん」

急に名前を呼ばれてびっくりしてしまった。

私は普通に、”金子萌花”で登録しているから、確認したかったのだろう。

風薇が呼ぶように、<モカ>と読む可能性はなくはない。

「可愛いね」

「あ、ありがとう」

う、嬉しいな。

「咲季って名前も、素敵だと思うよ」

「本当? ありがとう」

立川は、LINEの設定をいじったりしているのか、

しばらく黙っていた。

立川に名前を呼ばれて、立川の名前を呼んだ私は、

なんだか気恥ずかしくて、その沈黙が辛かった。

とにかく、これで立川とLINEを交換することが出来た。

今日は赤飯を炊こう。

「ねえねえ」

立川が、呼んでくる。

少し、意地悪そうな顔にも見えた。

「金子さんのこと、萌花って呼んでもいい?」

え?

まじ?

まじですか?

いや、

ちょっとそれは、

距離が縮まりすぎでは、ないでしょうか?

私なんて、金子と呼び捨てにされても、

構わないですが。

「ねえ、だめ?」

立川が、やや上目遣いで聞いてくる。

か、可愛いな!!

クゥーンと鳴いている犬みたいである。

「いや、あの、いいけど…………」

「やった、じゃあ、萌花!」

「は、はい…………」

「萌花!」

「は、はい…………」

「萌花!」

「は、はい…………」

何回続けるんですか、これ。

いい加減恥ずかしいですよ。

「ねえ、私は?」

え?

「私のことは、なんて呼ぶ?」

いや、

いやいやいや、

これは、咲季って呼べってことですか?

無理無理無理。

無理無理無理無理。

けれど、

立川は、待っている。

「餌、くれるよね?」と期待する犬みたい。

おおおおおおおお。

おおおおおおおおおおおおおおお。

いや、

呼べるか?

でも、

呼ばなきゃ。

立川におねだりされては仕方あるまい。

勇気を出すんだ、私。

「えっと…………」

立川が、少しずつ近づいてきている気がする。

「さ、さ、」

立川が「頑張れ」と目で言っているような気がする。

ううううううう。

「さ、…………」

うううううううううううううう。

「さ、き……………………」

言った。

言いました。

言いましたよ、立川さん。

「ごめん、聞こえなかったよ?」

はあ!?

お前、そんなに近づいてきておいて、

聞こえなかったはないでしょう!!

「ほーら、呼んで?」

ひゃいん!?

立川が、私の手を両手で握ってきたんだが!?!?

無理ですって!?

ドキドキが、どんどん早くなっていて、

呼吸もしづらい。

熱い。

熱いなあ、身体。

こんなに近くに顔があるのに、

もう私は、立川のことなんて見ていられない。

視線を落とした先に、

立川の手に包まれた私の右手が見えて、

余計にドキドキしてしまう。

「ほら、呼んで。萌花」

うううううううううううううう。

このタイミングで名前呼ばないでくださいよ!!!

立川の手が、ぎゅっとなってる。

はあはあはあはあ。

もう、

もういい。

呼べばいいんでしょ、

呼べば。

咲季。

咲季咲季。

咲季咲季咲季咲季咲季咲季咲季咲季。

「……………………咲季」

一瞬、

立川の顔を見た。

ぱあっと花が咲いたような、

そんな表情をしていた。

立川は、自分の右手だけ離して、

「ふふっ、よくできましたね~!!」

にゅおうkじゃkjぁっかwヵkjばおいうnっq!?!?!?

あ、あ、あ、

頭!?

頭を撫でられている!?!?

やめてください!!立川さgにjkl!!

ふにゃああああああああああああ。


その後、放心状態だった私だが、

トイレに行って、なんとか冷静さを取り戻した。

病室に戻るも、

恥ずかしさが全く拭えそうにないので、

今日はもう帰ることにした。

「明日も来る?」

立川が、読みかけだった文庫本に手を伸ばしながら聞いてくる。

「さっきみたいに、からかわなければね!」

そうでなければ、私のメンタルが持たない。

「あはは、ごめんって」

立川は悪気もなさそうに笑っていた。

「じゃあね、萌花」

「うん、じゃあね」

当然、咲季などと、改めて呼べるはずもなかった。



#100日後に散る百合

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