ナミビアの砂漠をみた 家についたらお父さんにすごく会いたい気持ちになった。お父さんの写真に「ただいま」と発声したら涙が止まらなくなってしまった。お父さんに対して何か言葉を発そうとすると、涙が出てしまう。そして言葉を喋ることができなくなってしまう。 この後に及んで言いたいことが口に出せない。 どこに行ったらお父さんに会えるの。と声に出さなかった。お父さんに会いたい。 お父さんに会ったら、今、この数年父について考え続けた私は何を話すんだろう。会えたら、事実を知ったけど、責め
数ヶ月前にssに相談した「父親の仏壇の前ですら当たり障りないことしか言えない」ということ。うちでは普段は食事の前にお膳を上げるタイミングで線香をあげる。 毎回父と祖父と亡くなった猫3匹、犬一匹の名前を念じた後、心の中で語りかけることとしては ・「今からご飯一緒に食べようね」 ・「帰ってきたよ」 ・「東京に帰るよ お母さんのことよろしくね」 この3パターンしかない。 帰って来たよは帰省の初日、お母さんのことよろしくねは帰省最終日とすると、普段は仏前でご飯関連の話しかしていない
高校からの友人とは、お互いPMSや生理が始まると、報告としてLINEを送り合う。10年続くルーティンだ。 生理がきた。PMSやばい。来そうで来ない、来るなら来いイライラするなど。 それだけで近況報告としてはかなり充分だ。長年こんなことをしていると、やりとりの書き方やテンポ感で相手の精神状態がわかる。 生理前-生理きたの連絡は、そのときの生理を面白おかしくしたい時にだけ送るし返事が来る。余裕があればそのあともやり取りが続くし、そこでお出かけなどの良いアイディアが出たときは、2
月に一度、生理が近づいてくる予感が訪れる。そんな時フリルやレースたっぷりの服の画像を見ながらめちゃくちゃ癒されるのだが…同志おるか? 普段は少しかっこいい感じの服に惹かれるのだが、気がつくとレースやフリルの服をみて「わ〜かわいい これ欲しい」と思っている自分がいる時がある。 それをカートに入れたタイミングで、「ん?これ生理前か?」と気がつく時がある…。 PMS…自分の感情のコントロールまでも奪い、さらには感覚までをも支配してくるとは…。 お前にPMSという名前がついてよか
先日、念願かなって辰巳湯に行きました。 古くて落ち着けるクオリティの銭湯を探していた自分にとって素晴らしい銭湯だったので、記録としてここに記します。 外観 巨大かつ非常にシンプルな物量のイルミで富士山が作られている。 突撃 サウナセットを頼むと、フェイスタオル、大きなバスタオル、キティちゃんのツラの帽子のセットを渡される。(これをサウナの中で被っていたのは私だけでした…) 脱衣所 長く大きな立派な木の机と長椅子のある脱衣所。 水槽もあった気がする。漫画や足マッサー
最近友達の手伝いでコミティアに行った。 3月から地元に戻ってしまう同級生の漫画家の友達と、今回がコミティア初出展の十年来の友達のお手伝いのため。 漫画家の友達の手伝いをきっかけに、去年初めてコミティアへ足を踏み入れた。デザフェスすらも行った事がないので、あまりの賑わいに驚いた記憶がある。 漫画家の友達は連載を持ちつつ、自分の描きたい漫画をこうして自費制作して出している。 毎度強い熱量で新刊を出す友達からの「ここの中、全部がみんなのオリジナル漫画だと思うとワクワクしない!?
毎年9月の頭は決まってナイーブになる。父の命日が近づいてくると、つい考えることが増えてしまう。 先日、朝会社に着くと忌引きで休んでいる方がいたので、オフィス内は家族や相続などの話題で持ちきりだった。「ていうかお墓って誰が管理してるんだろう」「墓参りとか別にしたくなくないですか」「恐らく介護も葬儀も兄弟がやってくれるだろう」会話からは自分たちには遠い先の話というのがよく伝わってきて、そのまだ想像もできない同僚たちの非現実が、私にとっては直面し今後も継続していく現実であり、日々
考えすぎて眠れない 10日に父が亡くなった 51歳だった 病院に搬送された2日後だった 15.16日で葬儀を終えた 葬儀までは朝から晩までたくさんの人が家に来た 葬儀は200人ほどの人が集まった 49日の供養のことを話し合い、納骨するにも絶縁した親族に話をつけなきゃいけなかった 父を看取った 親戚が5人、父の親代わりの先生夫婦、私 遅れて母と、父の高校の同級生一家の5人 この目で父が命を閉じる瞬間を見たのに、葬儀を終えたのに、火葬の直前に、冷たく石のように固くなった
出来ない自分を改善したくて向き合うのはいいが、そのせいで毎日大声で泣いていたら声がほとんど出なくなってしまったことには驚きだ。 喉は痛くないので会話したいんだけど、発声が出来ずストレスで、文字を打ち込むしかない状態です。 幼馴染とは特に理由はないが最近になるまで会いもせず、一切連絡を取っておらずという状況だった。 彼とは私が小学校1年生の時に住んでいたボロい借家の取り壊しが決まり、引っ越した先で出会った。歳は三つ下なのでその時彼は3歳だった。 その時から顔も性格も変わらな
祖母が今日で90歳を迎える。 金曜日から熱と関節痛で悩まされていた私は、週末帰省することができなかった。現在祖母は実家から徒歩10分の施設で暮らしており、近くにはいるがコロナがあってからは面会も思うように出来なくなっている。 ここ数年は、元々祖母が飼っていたペットたちが次々と寿命を迎え、祖母にも伝えねばと思い、面会のたびに悲しい報告が増えた。 めでたい時にこそ会いに行けない事を歯痒く思う。 最近は面会に行く母のことが誰だかわからないらしい。私ももう覚えられていないかもしれな