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上下関係と私-医療現場の現実-

ここ数年でうつ、もしくはコロナによる休業、休職が後を絶たないというニュースが目に飛び込んできた。

当たり前だろう。
人は目的や目標、楽しいことのために仕事頑張ってる事が多い。
(もちろん仕事が楽しいという場合もあるのでこれに限らない)

その中で、旅行にも行けず、経済もどん底、自由に出来る時間を制約されていては、正直モチベーションどころか心までも荒んでしまうように思う。


私の場合はコロナに限らず、パワハラで休職してしまった。

コロナの場合なら、「コロナがきっかけだ」と言えるだろう。だが、私はパワハラがきっかけだ。
だが、根本的に、何がダメでパワハラを受けてしまったのか、また、どうしてそれを抱え込んでしまったのか。

せっかく時間があるうちに、と、ここ数日ゆっくり考えることにした。


私へのパワハラ

パワハラされたら、早めに上司に報告しよう、などと社内規程のある会社も存在する。

だが、パワハラされている人というのは、案外自分がパワハラを受けていることに気づかない事が多い。

例えば私もそうである。

元は、軽い雑談のつもりだったのだろう。
「もうここに来て1年よね。そろそろ退職して、別の病院とか考えたら?」

これだけ見れば普通に言っていい雑談の域を越えている。

だが、この会話には前置きが存在している。

まず、この発言をした先輩は、この会社について不満をよく零していた。
そろそろ潰れそう、職場環境もう少し良くして欲しい、給料少なすぎる、など...
つまり普段から発言している内容の延長線上に近いと会話なのだ、と私は瞬時に判断してしまったのだ。

しかし、冷静に考えれば、「早く辞めろ」と言われているようなものである。

後からふと思い返して心だけが傷ついたのは言うまでもない。

例えばこれを例に出してみると、「あー、この人のいつもの癖だよな」で聞き流している話が、何度も言われるうちに心に少しずつ蓄積して、やがてジブを壊していく。

もちろん、パワハラだ!と気づくほど明らかなパワハラの場合もある。
「早く彼氏と結婚したら?」
「子供いつ作るの?」
などが例に挙げられるだろう(実際言われたことはある)。

だが、このように自分でパワハラだ!と気づいた事に関しては、周りに愚痴として吐き出したり、相談できるものだが、気づかないものに関しては、勝手に蓄積してしまうので厄介なのである。

パワハラだとなぜ気づかなかったのか


 実は先程の話は、随分昔に言われた内容なのだが、辞めたらいいのに、と言われた事を例に、自分の人間関係について考えていた。


そこで1つ気づいたのは、私は驚くくらい上下関係と年功序列が嫌いな事である。

もちろん、上司はその身分上は偉い。
だが、本当に努力してその身分を築いているのか、本当に尊敬に値する人物なのかはまた話が違うのではないかと私は思う。

例えば先述の発言をした人は上司であるし、長年別の会社で勉強も積んでいる人であった。
だが、うちの会社での経歴はさほど長くもなく、また、ミスも多かった。

またある人は、呼び出しに一切反応しないのに、後輩が呼び出しに1度でも反応がないと「最近の若い子って呼び出しにも出れないの?私の若い頃は上司にすごく怒られてたのよ」と過去の栄光を語る。

正直これが自分の上司なのかとげっそりするし、この人たちをお膳立てする社会が全く不思議でならなかった。

逆に、とある上司は、職員全員の事を把握しており、顔を見れば声をかけてくれる。
「大丈夫?最近どう?」
分刻みで仕事が入っていることが多いため、かかわりあう時間はわずかしかないが、それでも気にかけてくれる。
このような上司は尊敬できるし、上司としてお膳立てでもなんでもしたいとまで感じる。

愚痴になってしまったかもしれないが、結局私は、自分の事を棚にあげて、年齢や身分にふんぞり返って人に指示を出す人間が嫌いなようだ。

日本の現実

さて、日本では長年、この年功序列や身分制度(上下関係)が色濃く出ていたように思う。

もちろん、他国でも、日本以上に差別はあると言われればそうなのだが、他国では、犯罪に手を染めた天才ハッカーが国に雇われているなど、実は能力によって一発逆転の可能性もある。

もちろん能力が全てとはいわない。
経験がものをいうことだってある。

けれど、どれだけ勉強して、どれだけ優秀な人材になろうと、年齢や身分の元にふんぞり返る人の小間使いにだけはなりたくないと思ってしまうのである。

とはいえ、日本も、近年ではその関係も薄れつつあるように感じる。

例えばだが、少し前までは「お客様第一」と考えられていた接客業が、あまりにもマナーのない客に対してはお断りをする動画やコメントが、SNSで多く出回るようになった。
もちろん現実では少し違うかもしれないが、「お膳立て」という意識が薄れているのではないかと思われる。

しかしその反面、仕事の現場では未だにそれでは済まないことも多くある。

「誰かに従う」人生ではなく、「自分で考えて動く」人生にしていきたいものだ。

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