怒られは発生したけれど免許は取れた話【更新6日目】
ぼくが車の運転免許を取ったのは、たしか大学3年生のときのことだ。
2週間の免許合宿で、東京からはるばる新潟まで行った。
冬の直前、まだ雪が降り出す前だった。
無事に卒業検定を終えて乗った帰りの上越新幹線、越後湯沢駅で窓の外を見るとすでに雪であたりが白くなっていて、ずいぶんびっくりしたのを今も覚えている。
とくに延泊するようなことにもならずスムーズに終わった免許合宿だったが、ひとつちょっとした事件があった。
始まってまもなかったある日の路上教習で、教官のおじさんに、運転とは別段関係のないことでこっぴどく怒られたのである。
noteやTwitterのユーザー名の通り、ぼくは豆腐メンタルである。
含意はいろいろあるのだが、ひとつには「怒られたり、怒られそうになるのがかなり苦手」ということがある。
攻撃的な言葉やアクションを向けられること自体好きじゃないし、それによって半ば自動的に萎縮してパフォーマンスが下がるのも嫌でならない。
もちろんみんな多かれ少なかれそうだと思うのだが、主観的に言ってぼくは人一倍怒られるのが大嫌いである。
あ、この人怒ってるな、と思った瞬間から頭が真っ白になりはじめる。
そして、どんどん思考が混濁し、トンチンカンなことをやりだす。
相手はそれを見てますます怒りを募らせる……。
そんな負のスパイラルを巻き起こしがちな自分に、どれだけ嫌気がさしたか知れない。それがぼくという人間の一面である。
そんなぼくが路上教習に出て2、3日目、その事件は起こった。
その日、ぼくはたしか運転中にちょっとしたミスをしたのだ。
なんだったかはまったく覚えていないのだが、まぁとにかくちょっとしたミスだったと思う(あるいはちょっとしたどころじゃないミスだったのかもしれないが)。
教官のおじさんはそのミスをちょろっと指摘し、ぼくは小声でハイ、と返事した。
ここまではまぁよかった。
その後ぼくは、これまたなんだったかはまったく覚えていないのだが、またしょうもないミスをしたのだ。
先だってしたのと同じような類の、ちょっとしたミスである。
重なったミスに、おじさん教官は少し不機嫌さをにじませた。
これをきっかけにぼくの中で、カチッとスイッチが入ってしまう。
しばらくして、事は起こる。
3度目のミス。これもなんだったかは覚えていない。
でも、これを指摘されたタイミングで、おじさんの堪忍袋の緒がブチンと切れたのはとてもよく覚えている。
「お前ちょっと車止めろ!!」
狭い車内で怒鳴られた。心臓はもうばくばくしている。
ぼくは車を交通量の少ない道路のはしに止めた。
「なんで注意されたら返事しねえんだよ!! 当たり前の常識だろ!!」
そう、2回目のミス以来、ぼくはすっかり萎縮してしまっていて、教官の指示に対してまともに返事をしていなかったのだ。
正直なところ、言い返したい気持ちもあった。
あんたが要らないプレッシャーをかけてこなかったら、縮こまってくだらないミスをすることもなかったかもしれないし、ミスがあったとしても返事くらいまともにできていたはずだ、と。
けれど、事を荒立てるのは嫌だったし、なにより言い訳ととられても仕方ないのは明らかだったので、何も言わずに謝った。消え入るような小声で。
徹頭徹尾なさけない話だが、そんなことがあった。
それがぼくの、免許合宿最大の思い出である。
例のおじさん教官とは、その後の路上教習でも何度か同乗した。
なぜかおじさんは例の事件以降、やたらぼくに親しくしてくるようになり、高校時代にサッカーをやっていた話だの、いま教習を受けに来ている若い女の子がどうだのと、毎回のようにたわいもない雑談をしてきた。
ぼくは適当な相槌を打ちながら聞いていたけれど、内心では最初に大怒られしたショックがまったく抜けておらず、親しげな顔を見せてくるおじさんに対してずっとなんとも言えない違和感を覚えていた。
二度と怒られはしなかったけれど、それでもぼくは最後まで、必要以上にこの教官と打ち解けることをぼく自身に許さなかった。むやみに敵意をむき出しにしたりもしなかったけれど。
*
いま、ぼくは29歳だ。
29歳のぼくの中には、なんであれ技術を身につけるということは面倒で億劫だという偏見のようなものがあるように思う。
ここ最近、新しい学びのようなことをすっかりしていないから、学ぶということ全般に対する敷居が上がってしまっているのかもしれない。
けれどもよく考えてみたら、運転免許ひとつ取るのだって立派な技術の習得じゃないか。
そんなことをふと思った。
たった2週間で、車の運転ができるようになる。車が運転できるようになれば、移動できる範囲はぐっと広まるし、仕事の幅も増える。
それを技術の習得と言わずしてなんと言おうか?
ぼくはなんとなくこのところ、ある技術を身につけるという行為を、難しく考えすぎていたような気がする。
もっと気軽に、大して深く考えず、いろいろチャレンジしたらいいのだ。
免許合宿のことを思い出しながら、ぼくは今日そんなことを思った。
もちろんそのことと、この記事の前半をついやして語ったおじさんとの一悶着には、なんの関係もない。
おじさんに怒られるのも、それ以外の人に怒られるのも、ぼくは相変わらず大嫌いである。