うわぁ、この質問めっちゃ答えたいです。すごーく答えたいのでこの質問から答えます。 結論から言うと、好きだから「好き」と素直に伝えるのは全然ダメじゃないです。むしろ沢山伝えてください。ただ、それを伝えて重いと思わない、好きの重さが釣り合う人を選びましょう。 私も重いって言われて振られたことが何度もある、「激重族」です。1回好きになったらめっちゃ好き。好きだから好きって沢山伝えたい。相手の喜ぶことを沢山してあげたい。尽くしたい。むしろ趣味は彼氏!みたいな感じです。 昔付き合っ
文章の構成も特に決めてない。書きたいことも今から考える。 パソコンを開いて文章を書かずにはいられなかった今。大切な大切な親友への想いを書いてみようと思う。 私は、知り合いは多いけど、友達はそんなに多くないと思う。そもそも友達の定義が人より狭いと思う。高校の時、部活に勉強にすごく忙しくてなかなか中学の友達と会う機会がなくなった。大学に行ったら高校の時の友達とはほぼ会う機会がなくなった。今でも会ったり連絡を取ったりするのは部活の友達くらい。 毎日会う=友達でもないし、気軽に
開催にするに至った経緯 スナックちーまるに対する想い 開催するに至った経緯 まず、なんでスナックちーまるをやることになったの?なのですが、私はもともとビールの売り子をやっていて、お客さんと直接関われて一緒に盛り上がれたり、私を選んで買ってくれたりする時間がめちゃくちゃ幸せでした。 病気になってからそれはできなくなってしまって、舞台はライブ配信に変わるんだけど、ライブ配信も私を選んできてくれるお客さんばっかりだし、楽しいけど、でも、やっぱりお客さんの笑顔を生で見たいし、
1.なぜやるのか 2.何をやるのか 1.なぜやるのかちーまるの、「かわいい」に対する想いと、なんでかわいいだけじゃものたりないかと思ったかについて話します。 それには私の幼少期のことから振り返る必要があるので、長くなりそうですが読んでいただけると嬉しいです! ちーまるは、物心ついた頃から、ミニモニとかおジャ魔女どれみのおんぷちゃんとかが大好きで、 幼なじみと一緒にお絵描きしたり、折り紙を折って妹の幼なじみ達に配って喜んでもらうのとかも好きな女の子でした。 小学校の時にニ
なんだか深夜に唐突にみんなへの感謝の気持ちを伝えたくなって、これを書きはじめました、現在2時10分…あと40分で江頭がやってくる時間です。 メンヘラはこの時間に元気になるんです、許してください。。 わたしはこの1年ちょい、休学という名のくそニートをやっています。休学している理由は最近話してくれた人なら知ってくれてると思うけど、ちょっとした、命に関わるほどではない、病気になってしまったことです。 正直、自分の人生設計が狂って、とてもとても病みました。病気になって辛かったこ
2018年9月22日 ベイスターズvs中日戦で 売り子2年目が終了しました。 燃え尽き症候群で一日中動けなかったので、 他にやることやって前に進むためにも 気持ちをアウトプットします😌 1年目は、売り子になれたってだけで嬉しくて 大好きな球場で働けて、プロ野球の雰囲気が楽しくて続けてこられました。 2年目の今年は、楽しいだけじゃなくて 去年の「総売上5位」がちょっとだけプレッシャーでもあり、もっと上に行きたくて、 でも数字だけに目がいって目の前のお客さんを大事に出
ちーちゃんです🌷 女子大生人事部長(だった人)です。 先日22歳になりました。私は、小さい頃から、22歳になったら自立した立派な大人の女性になれると思っていました。 私の母親が22歳で結婚したからです。 その時に感じたことをツイートしたら共感してくれた人が6人もいたので、 (Twitterでのフォロワーさんが少ないので私の中では多い方です。) 書いてみようと思います。 保育園の時、将来の夢に「お母さん」て書いた小娘は、22歳になった。(ワタシ) 周りには19歳
プリキュアになりたいという記事がバズっていたので、私もプリキュア見てみよう! と思い、見てみました。 でも、実際に見たのは、HUGっとプリキュアではなくて、 「Yes! プリキュア5 GO! GO!」と、「おジャ魔女どれみ」です。 (いや、HUGっとじゃないんかい) youtubeで見れたのがその2つだったのです。。。 私は小さいとき、おジャ魔女どれみでいったらおんぷちゃん、 セーラームーンでいったらマーズになりたかった。 その2人に共通してるのは、スペックが
私が15歳の時からずっと、心の片隅にずっとあった苦しい気持ちがやっと解放された話をします。 結論から言います。 最高のプレゼント、それは愛です。 ・なんでずっと苦しかったのか ・どういう経緯で愛をもらったのか ・それをもらって今の気持ち ・友達のこととこれから ・最後に という流れで話します。 【今の自分じゃダメ、成長し続けなきゃって、ずっと思ってた】私は、中学3年の12月、親元を離れることを決めました。実家から出て、地元より都会の進学校で勉強と部活を頑張