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あの本棚のてっぺんに手が届くまで

物心ついた時には、背丈の2倍ぐらいある本棚とそこにみちみちに詰められた何百冊の本と友達だった。

兄が生まれた時から両親が少しずつ買い進めた色とりどりの絵本は、手の届くところがちゃんとその年齢に合うよう並べられていた。最下段にはノンタンやクマくん、ねずみくんのチョッキなどが一通り揃っていたし、中段には青春小説、最上段には村上春樹があって、そのグラデーションは思い出せば出すほど知性に満ちていた。


女の子


記憶がハッキリしている5歳ぐらいのときのお気に入りは世界の童話集。モネの絵画みたいに繊細さを柔らかく壊したような絵を携えた絵本たちだった。のにもかかわらず、足を切ったり、魔女を火に投げ込んだり、イバラで手足を縛ったり、過激さと絵とのギャップにドキドキした。

ねぇね、この字はなんて読むの?
ねぇね、これはどういう意味?

その質問が日常だった。最初は読めない漢字ばかりが並んでいたが、そのときの記憶力はスポンジ並みで瞬く間に読めるようになっていった。そのうち読めない漢字が出てきても、前後の文脈から予想してこう読むんだろうな、と推測することもできるようになった。小学生になる頃には常用漢字はほとんど読めていた記憶がある。

あの時は文字が並ぶ絵本の世界が全てだった。絵本の世界を離れても頭はその物語でいっぱい。アリとキリギリスは踊った。長い髪を塔から垂らすお姫様は美しかった。

意味が分からなければ分かりたい、全部知りたい、理解できるようになりたい、言葉の面白さにどんどん巻かれて一つになる。

あまりに質問をするので両親は、あなたは好奇心旺盛だねぇと言った。今思えばああやってニコニコと見守られていたこともまた二人からの贈り物だ。

背が伸びるにつれ、本棚のもっと高い段の作品に手が届き、人間の心の機微が垣間見えるようになった。童話のように悪者がいて、正義を貫く者がいてという王道に収まるものばかりではなくなった。悪者が一番良い心がけを持っていたり、どこにも着地せずままならなさだけを残す物語りも増えていく。信頼しているように見せかけて、裏切る。好き合っているのに、別れる。思い合っているのに伝えない。憎しみ合っているのに笑い合う。そんな世界に私はあそこで足を踏み入れたのだ。


女性


背伸びをして一番上に手が届くようになったとき、初めてノルウェイの森を引っ張り出した。そこにはアリとキリギリスも、人生のままならなさも、誰かの死も、悲しみも、生きる歓びも、男女の営みの素晴らしさも、生きるほどに痛みが増すことも、それでも人は生きていくことも、すべて、全部が入っていた。ああやっと、手が届いた。私はそこからずっと文章を愛し、読むことにも書くことにも救われ続けている。

「私は、あなた達にとって決して良い親ではなかったわよね」
時折、母親がこんなことを言うたびに、あの見上げていた頃の本棚を思い出して首を横に振る。

あの本棚に詰まっていた全てで、いま私は生きているのだから。


いつもありがとうございます。 頂いたサポートは、半分は新たなインプットに、半分は本当に素晴らしいNOTEを書くクリエイターさんへのサポートという形で循環させて頂いています。