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本当に運がいいとはどういうことか
運がいいとは、どういうことを言うのだろうか。
意図をせずとも、自分の願いが叶った状態?思い通りになる状態?
本当の意味で運がいいなあと思う瞬間は、そういうときではないなぁと、
2018年最後の日、めちゃくちゃな大みそかを過ごしながら思ったのである。
2018年12月31日。
大みそかの日は、抜けるように晴れていた。この一年でしたたくさんの決意が多く死んでいく日。そして、明日からまた新たなもののために生きていく日。なんて素敵だろう、と思う。こんな分かりやすい日があるから、生きていける。
年末に、一つ大きなことがあった。私がこの一年、大事に抱えて大きな問いとして持っていたものだ。人を信じることも、愛することも。
この何か月も、きちんと生きようと、向き合おうとしすぎて、私の喜怒哀楽全てを振り絞って大みそかの日に願いを繋いだ。
どうしてもこの日を一緒に生きたい人がいた。でもそれは、今は叶うことがなかった。
今はなるべく一人で居るな。事情を知る全ての人がそう言った。大みそかの日も、迎えに行くから。そう言ってくれた友達がいた。
でも、その全ての言葉は痛みに負けていたし、当日、私は外に出れる気がしなかった。
こんなにつらいなら、私は一旦ここで無くなってしまおう。生きるのは明日からでいい。
そう思ってぎゅっと潜った時、それを許さないと言わんばかりに着信が鳴り響いた。
電話の相手と話しているうちにあれよあれよと30分も経たず、私は家の外で待っていたその子に会っていた。
私の顔を見てゲラゲラと笑って、
「あーあ、ひどいもんだなあ。でも肌の透明感、一段とあがってるねぇ、なんか透けて消えそうなぐらいだな」
と、面白くもなんともないことを言ってまたゲラゲラと笑った。
その無神経な笑い顔と声に全くついていけず、やっぱり私の友達は頭のおかしい人(時にはいい意味、時には悪い意味で)ばっかりだったわとうんざりした。
ほら、と半ば無理やりに促され、私はぬるっと車に乗った。中にはその子の恋人も居て、やっぱりずーっと訳の分からない話で笑い倒していた。朝の9時。東から刺すように登ってくる太陽が目に入りながら、彼らの笑い声を聞いてそのまま私は溶けるように眠ることができた。
そのあと昼頃に目を覚ますと異様にスッキリしていた。それまでまったく動かなかった胃に、用意してくれていたカレーパンといちごみるくを流し込む。どこだかわからない場所で食べるその2つは、相性は最悪でもとっても美味しかった。今度は、どうやらお金がないという話で盛り上がって笑っている二人。悲しい出来事に、最高の天気に、味の合わないごはんに、ゲラな彼ら。ちぐはぐだなあ、全部が。でも、全部が詰まっていた。
そこで私は、ありがとうの気持ちとともに、私は何て運が良い人間だろうと本当に思った。
彼らが居なかったら、無理に連れ出してくれなかったら、こんな全部が詰まった空間に来られなかった。私に用意された救いだった。
今思えば、こうやって本当に深く潜る時、こうやってふと誰かに助けられたり、大きな出会いがあったり、そのときの答えを出すヒントとなる言葉に本の中でふと出会うことがある。願いが叶わなくても、心の底で悲しくとも、その時は本当に辛くとも。そうやってふとした瞬間に、本当にその時必要なものが目の前に現れることがある。何事もなく万事うまくいっているときよりも強く、運の良さを感じる瞬間だ、そう気づいた。
本当に運がいいとは、こうやっていつでも生きるための救いが用意されてることを言うのではないか。
次の目的地に送ってもらうまでに、その話をなんとなくでゆっくり伝えると、救いとかいうなってと、二人でまた恥ずかしそうに笑っていたので、良い年末だな、と心の中で思った。
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