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生きるわたし、傘のあなた

耳に差し込んだイヤフォンの音量をガンガン上げなければならないのは、自分の心の声がそれ以上に煩いからだ。どうしても食べたいのは痩せなければ美しくないと思い込んでいるからで、どうしても見てしまうのは、SNSの写真の世界の中が羨ましいからである。

何かの行動には、何かの欲求には、何かの考えには全て、無意識の裏がある。

本当は「痩せなくても、若返りなどしなくてもいいように生きたい」と誰もが思っているのではないだろうか。本当に見つけたいのは、もう痩せなくても、綺麗(カッコよく)でなくとも、筋肉質でなくとも、ちょっとタマには落ち込んじゃう心を持っていても、若々しくなくても、いいんだと安心できる愛。そしてそれは何よりも優先されるべき探し物だ。

引退後、結婚後、産後、休暇中に激太りした芸能人を、下世話な週刊誌がここぞとばかりに誌面に刷っていく。この世で1番下品な文字がそこには嬉々として踊る。でも重要なのは何故そんなに大々的に取り上げるか、である。その答えはあんなに華やかな世界に居て、それを捨てて第二の道に進み、もう誰かのお手本になれるぐらいに美麗で居なくても良くなったのに、幸せである。その人間として1番の成功を、皆が羨ましがるからである。喉から手を出して欲しがっていて尚且つ、その欲求を隠しているからである。

みんなあの、現在の山口百恵のような柔らかな眼差しを持ちたいのだ。

薬物、不倫、その他スキャンダルで消えていった芸能人や政治家の背中も、週刊誌やワイドショーは追いかけつづける。それに乗っかり再登場してくる芸能人たちを激しく下品と思いつつ、私は羨ましくてたまらなくなるときがある。

彼らはとんでもない大きなお金やら色んな人の生活を一変させてもいまそこにただ生きている。そして静かに反省の弁を垂れる。憶測でしかないが、きっと彼らにはそうして生きていこうと思わせてくれた誰かが居た。何百人、何万人に疎まれようが、その人と会えたから生きていこうと思う人がいるような気がするのだ。それだけを傘にして、逆風と侮辱の嵐を。そんな人間の弱さと、哀しさと、そして温かさを凄い温度で体感する彼らに、ニンゲンのゼンブを見る気がした。

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ちぃころ
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