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生きるみなもと
「お花にお水を、1日一回で良いから。お願いね」
父親の海外出張に同伴した時など、何日も家を開ける時、母はいつもそのお願いを一つのこした。置き手紙みたいに。
お花とは、地上5階のベランダに作られた小さな小さな花園の植物たちのことだ。オリーブ、ラベンダー、紫陽花、日々草....名前も知らない植物が沢山ある。母が一つ一つ買い付けに行って連れ帰ってきたものだ。
この植物たちがまた、不思議なのである。
私は全く母の言う通りに水をあげ、ちょっと古くなった葉を取ったり、支えを組み直したりしてみる。時々声もかける。それでも一部の花は元気を無くしてしまう。必ずだった。
遠方から帰ってきた母にその説明をすると、彼女はすぐに植物たちの手入れを始める。丁寧に葉を剪定し、水を適量与える、声かけをする。やることは私のそれと変わらない。ただ、翌日かその次の日には小花園は再び英気溢れた彩りの命の園となる。
葉は脈がしっかり見え、花びらはふかふかになる。枯れかけていた植物も、大した肥料もなくとも、次の年の旬の時期には花を咲かす。
これは母の魔法か。そう思った。
でもあれは、何より大事なことの見落としだったと最近気づくできごとがあった。
10月後半から、私の恋人は仕事の関係で3ヶ月間地方に飛んでいた。その間、私は彼の猫をお世話に行くことになっていた。
前から何回も会っていたが、こんなに何ヶ月も2人で一緒に過ごすことはなかったし、私も動物を飼ったことがなかったので、命への責任で緊張感を持っていた。
それを感じ取ってか、彼の猫は近づいて甘えるものの、私がトイレに行こうと立ち上がるたびにピュンと逃げた。撫でる時もいきなり近づくとビクッと体を震わせて後退してしまう。恐る恐る私の行動を見てくれているという感じだった。しかも、これは前からだったが、普通の猫さんより一回り体が小さくて細く、臆病な女の子だったのである。
そこで、しばらくの間はいきなり立ち上がらないようにゆっくりゆっくり動いた。撫でる前はそっと彼女の鼻の前に手の甲を出し、ニオイを嗅がせてから下からゆったり優しく撫でた。膝の上に乗ってきてくれたら必ず目を見てかわいいねーいい子だねー彼が帰ってくるまで頑張ろうねーなどと言いながら手の力も気をつけながら撫でた。帰る時も、次はいつ来るかを彼女の目を見ながらしっかり告げた。言葉が伝わらなくても、気持ちは伝わると信じた。
すると、だんだんと変化が起きた。行くたびにニャーンと迎えてくれるようになったし、隠れずにすぐに出てきて膝に乗ってくれる。チューブ状のオヤツも、お皿に出さないと食べなかったのに、私の手から直接食べてくれるようになった。寝る時も布団を敷いて電気を消すと、布団に潜り込んでくるし、腕枕に頭を乗せて寝るのである。顔に顔を近づけてチューをしたり、どんどん何かが1人と1匹の心の間に生まれる気がした。
もう今では私がお風呂に入ろうとすると、帰るのかと勘違いして慌てて行く手を阻みニャンニャン言うので、何度も抱っこをして大丈夫よ〜となだめるぐらいになった。
彼女が可愛くて、その気持ちを惜しみなく出していたらこんなにも返ってくるものがあった。
そして、この間一時的に帰ってきた彼がその子を見て「ちょっとふっくらした?顔が丸くてかわいいなぁ」と言っていたのである。
その時にふと母の小花園を思い出しながら、やはり、と思った。私が母の植物たちに触る時、母よりも圧倒的に愛が足りてなかったのだろう。愛情は他のどの栄養より、美容液より、何よりものトリートメントなのである。
これはよく語られることで、ありきたりかもしれない。でも、これを一つでも実感していると知識だけで知るのとは違う。心が違う、人生が違う。
その一瞬の満たされをどんな言葉にしようか。この幸せな気持ちをなんと表現しようか。
とにかく、出会ってくれたその子に感謝し、出会わせてくれた彼の命にも改めて感謝した。
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