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ズブのダブ ZUBNODUB について

メインストリームのロックがリアルでなくなったから


ロックDJとしてキャリアをスタートさせた僕がどうして今ダブのパーティーを始めたのか

僕はロックが好きで、それは今でも変わっていない

12歳の時にテレビで観たザ・ブルーハーツ
子供心に「この人はテレビに出てはいけない人なんじゃないか」と思った
でも甲本ヒロトがドブネズミみたいに〜と歌い出した瞬間の、脳天から稲妻が全身を駆け抜けたような感覚
世界の化けの皮がメリメリと音を立てて剥がされるような気がした
大袈裟でなく、その歌はその人は真実を歌っていると直感した

僕にとってのロックとは、この世界への居心地の悪さの表明であり、世界と自分との軋轢によって生じる音そのものだった

高校生になってニルヴァーナが現れた
カート・コバーンが何を歌っているのか言葉の意味はわからなかったが、彼の声、彼のギター、クリスのベース、デイヴのドラムは、僕の心象風景を音として具現化したものだと思った
絶望、怒り、哀しみ
シアトルから放たれたニルヴァーナのサウンドは鬱屈としたフラストレーションを抱える日本の北に住む十代にとってもリアルでしかなかった

ロックは本来、日陰者の為に鳴らされるべき音楽だと思う

日本でロックが市民権を得て、今では親子で仲良くロックコンサートに行くなんてことも珍しくないけれど、僕は部屋で大音量で聴いていると、訳の分からない音楽を聴いて我が子は頭がオカシクなってしまったんではないか、と心配され注意されるようなものがロックだと思っている
段々とロックが僕にとってリアルな音楽ではなくなっていった


ダンスミュージックにおけるリアリティ


ロックはエルビス・プレスリーにしろリトル・リチャードにしろ、虐げられ蔑ろにされてきた人の叫びだった

それは現代のメインストリームのロックが安易な共感(お笑いにおけるあるあるネタのような)を獲得することに走るのとは真逆で、安易な共感をこそ拒絶するものだ

お前になんかわかってたまるか糞喰らえという姿勢こそがロック
その最も良い例がセックス・ピストルズではないか

ともかく僕はなかなかロックからリアルを感じ難くなってしまい、ボーカル、ギター、ベース、ドラムのオーソドックスなロックとも自然と距離を置くようになっていった

ザ・クラッシュ、ザ・ストーン・ローゼズやプライマル・スクリームの影響でダンスミュージックには抵抗は無かった

ダンスミュージックは享楽的で快楽性と機能性だけにフォーカスした音楽だと思い込んでいたのだけれど、田中フミヤのカラフトとムーディーマン、オウテカのアルバムを聴いて印象は一変した
こんなにもソウルフルで血生臭いシリアスな音楽があるのかと横っ面を殴られたような気持ちになった

単に流れていれば気持ちいい音楽としてのハウス、テクノについて色々と調べていくとラリー・レヴァンやフランキー・ナックルズ、デリック・メイやアンダーグラウンド・レジスタンスがどのような動機でダンスミュージックを鳴らしていたのか、ほんの少しだけ理解が出来てきた

ゲイであったり有色人種であったり、まさにマイノリティが世間からの抑圧に抵抗し同胞を解放すべく鳴らしていたのがハウスでありテクノだった

言葉は少なくとも喜怒哀楽をサウンドのみで雄弁に語るダンスミュージックにドンドン魅力されていったし、僕にとっては出会った頃のような輝きを感じさせてくれなくなっていたロックへのカウンターとして響いた

そうするとロックのパーティーにロックDJとして呼ばれてもストレートなロックをかける割合は減っていき、次第にそこで敢えてダンスミュージックをかけるようになった

主流に対する反主流、王道に対するオルタナティブ、メインストリームに対するアンダーグラウンド、その姿勢を貫くことがロック本来の姿だと思ったから
それは今でもそう思っている


レゲエは苦手だった

ヒップホップは中学生の頃から親友の影響で聴いていた
ドクター・ドレ、スヌープ・ドッグ、パブリックエネミー、サイプレス・ヒルなどなど
僕はピート・ロック、ア・トライブ・コールド・クエストやデ・ラ・ソウル、ファーサイドとかが好きだったけど、理由はなんかカッコいいから以外になかった

その流れで当然レゲエも聴いてみたのだけれど、ヒップホップのお洒落なストリート感みたいなものも感じられず、正直に言って、ボブ・マーリーみたいなルーツロックレゲエはユルいしファッションも世捨て人みたいと思ったし、ダンスホールレゲエに関しては、僕とは真逆のヤンキー文化みたいな感じがダサく感じてしまった

何よりもレゲエから漂うマチズモ、男尊女卑的な雰囲気がどうしても好きになれなかった

たぶん当時から、色んなレゲエを聴き漁ったら、必ずしもそういったものだけだはないと気付いたのかも知れないが、入口として聴いたレゲエが偶々そういう匂いをプンプン放っていたからなのか、積極的にレゲエを聴くようになるのは、それから随分経ってから

キース・リチャーズとロンドン・コーリングとバニシング・ポイントとマッシブ・アタック


そんな風にレゲエに対して偏見と言っても良い位の感想を持っていたが、いつかはちゃんと聴いてみたいなという気持ちはずっとあった

中学生の時に洋楽も聴いてみようと初めて買ったのがザ・クラッシュのロンドン・コーリングとT・レックスの電気の武者

少ない小遣いで買ってるから元を取らなきゃと何度も聴いた
電気の武者は子供にも分かりやすくてノリも良いから、すぐに気に入ったのだけれど、ロンドン・コーリングは色んなタイプの曲が入ってバラバラな感じがしたし収録時間も長いので飽きちゃうし、ジャケットめちゃくちゃカッコいいのに騙されたぐらいに思った記憶がある
それが何度も聴くうちに気が付くとロンドン・コーリングの方が大好きになってしまい、そこからザ・クラッシュにハマった

ロンドン・コーリングにはレゲエ調の曲が入っていて、その前にレンタル屋で借りたローリング・ストーンズのキース・リチャーズのトーク・イズ・チープにもレゲエっぽい曲があった

ローリング・ストーンズは父親の影響で好きだったが、ザ・クラッシュにせよキース・リチャーズにせよ、カッコいいロックを演る人たちがどうしてユルいレゲエなんかと不思議に感じた

色々なロックを聴いていくとレゲエからの影響を感じさせる曲が多く、徐々にレゲエへの抵抗や苦手意識も薄れていっていた

ダブという音楽を意識するようになったのは大好きなロックバンド、プライマル・スクリームがアルバム、バニシング・ポイントを発表したことが一番大きい

当時のプライマル・スクリームはロック界のトレンドセッターみたいなポジションでもあって、プライマル・スクリームがやった感じが流行るみたいな風潮があったように思う

バニシング・ポイントの先行シングル、コワルスキーが、サンプリングを使ってブレイクビーツをダブ処理した曲で、ちょうどビッグビートが流行っていた時期だったし、とにかくスゴくカッコ良かった

正式なリリース年は面倒くさいから調べないけど、それとそう遠くない時期にマッシブ・アタックがメザニーンをリリース

これがデカ過ぎた

マッシブ・アタックについてはブルー・ラインズも好きだったし、プロテクションも買って聴いてはいたが、のめり込む程のファンではなかったが、メザニーンの暗く重く深いサウンドは、ブリットポップ隆盛のメインストリームとは明らかに一線を画すものだったし、トリッキーやポーティスヘッド、アンクルなどの人気のあったトリップホップとも見事にリンクするもので、沼のようなサウンドにズブズブと惹き込まれた

機が熟しズブのダブ主催へ


随分と長くなってしまったが、それでもかなり簡単にまとめて、僕がロックからダブへと傾倒していった切っ掛けの話はこんな感じで

マッシブ・アタックに夢中になってからレゲエやダブも積極的に聴くようになり、ロックだけからダンスミュージックもかけるようになった時はリンドストロームやプリンス・トーマスなどのディスコ・ダブに熱狂していた時期でもある

要は、世間でロックと定義される音楽(特に日本において)が、刺激的で無くなりポップミュージック界でも主流派となったことで、少なくとも僕の考えるロックとは乖離してしまったのが大きい

ロックはいつでもマイノリティの、弱者の、声小さき者の、部屋の隅で膝を抱える人のために鳴らねばならない

とすれば、今そのような機能性を備え、メインストリームに対するカウンターとして響き、地下の住人たちを鼓舞し、祝福する音楽がダブだ

ロックが抜かれた牙を、失ったエッジを現行で感じさせる音楽、それがダブ

かなり乱暴な物言いが多くなってしまって申し訳ないけれども、今、僕がダブのパーティーを立ち上げて、最後に行き着いた、純度100%に研ぎ澄ましてやりたいことがダブのセレクターだった理由は以上

毎月第3月曜の夜8時、札幌プラスチックシアター、ズブのダブで待ってます








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