🔲「驟雨(しゅうう)来たりなば」
「明けたかと 思ふ夜長の 月あかり」
秋の夜長を詠んだのは、文豪・夏目漱石。1年で最も日が暮れている時間が長いこの季節の切なさを、ユーモアをもって表現しています。
このコラムを書いている今日は皆既月食でした。天から僅かに涙が零れ落ちそうな、隠れてはまた現れるような不安定な観測になりましたが、これもまた一興。小倉百人一首にある、かの有名な紫式部の歌、
「めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月かな」
のように、現れては消えるその様は、切ない恋心にも似ています。
百人一首には月を詠んだ句が実に12首も。この時代、恋は最大にしてほぼ唯一の娯楽でしたし、月や秋といったものは、そんな恋心の堰を切る、格好のトリガーだったのでしょう。
「秋の心」と書いて「愁(うれ)う」とも読みます。愁うとは、思い悩むこと。昔から秋は煩い悶える季節。生命力の枯渇していくこの時季、昔も今も同様に、人の懊悩(おうのう)と悲哀を感じます。
翻って、一過性の雨のことを驟雨(しゅうう)といいます。夕立を表す夏の季語ですが、どこか切なげな響きを伴ったこの言葉は秋を連想させます。その意味では驟雨は“愁”雨であるといえるかもしれません。少し悲しげですが、儚げな美しさも感じます。ですが…
驟雨来たりなば、春遠からじ…暑さを超えて、冬を超えて、今からもう春が待ち遠しい、そんな心境にもさせられる夜でした。
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因みに『新古今集』では同句の最後の終助詞が「夜半の月かな」から「夜半の月かげ」になっています。写真もいい具合にちょっと雲隠れした陰影になってるでしょ。笑
私が今年心掛けるテーマの一つは、夏目漱石の草枕の冒頭
「理に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」
よく「理に優って情に薄い」という言葉を聞きますが、理を重視しながら、情を大切にして生きたいと思うこの頃です。
堀部晨