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洋と邦

5/13は #StevieWonder 御大の誕生日でした。

 私は十代の頃から棺桶にはStevieWonderの盤を入れて逝くと決めている。特に70年代。70年代の御大は、音オタク魂とポップミュージックであることがバランスしていると感じる。

 長いこと色んな音楽を追っかけていると、いくら私のように漫然と、勘だよりで聴いてきたとしても、自分の好みが何となく分かってくるが、好みのキーワードの一つが「ゴスペル」。まあ嫌いな人の方が少ないとは思うけれど。ゴスペルを観ていると人間も楽器だなぁと感じる。しっかりとリズムをとるところも好きだ。座ってじっくり楽しむ音楽ももちろん好きだけど、踊ることが好きなので、身体性のある、機能的な「ノれる」音楽が基本的に好きだ。いわゆるブラックミュージックと括られるジャンルが好きなのも必然で。

 Stevieは2007年に一度だけライブに行けた。part time loverのイントロをまず一音だけポーン、と弾くと観客が「??」となる。もう一度ポーン。さらに期待感が上がって、続けて2音、さらに3音、4音、と弾くと「わぁぁ!」と歓声が上がる。楽しい瞬間だった。長いこと来日されてないようだし、あれが最初で最後の生Stevieなのかも。何聴いても興奮しすぎて落ち着いて聴けなかったのが残念。好きすぎるとライブで上の空になるという弊害がある。

 洋楽と邦楽、と、日本では分けて語られること。「最近の若い方達は洋楽を聴かない」らしい。

「洋楽っぽい」とか「洋楽を意識した音」といった形容が20年くらい前には意味があったような。その頃は、日本(やアジア)で生まれ育った方が作ったかどうかは、極一部のひとを除いて、英語詞であったとしても、いわゆるメインストリームではなくとも、聴いて分かった気がする。専門的技術的なことは分からないけど、なんだか聴いて分かった。
洋邦という区別もある程度意味があったのかも。最近でこそspotify等でランダムに聴いていると、洋邦の区分けはピンと来ない。最近聴いてる日本やアジアのアーティストの方達のかっこ良いことよ。そうゆうとこでは若者が洋楽を聴かないのではなく、区分の方が消えて来てるのかもと思ってみたり。
 日本やアジアの土着由来の感性も時を経て西洋由来のものと混じり合って洗練され続け、垣根が曖昧だ。反対に海の向こうからも歩み寄りがあったりしてて(80年代シティーポップの再評価とか)更に混じり合って昇華されて来ているような感覚。

 私なりに何が違うのか考えたりするけれど、先に挙げた「ノり」という部分が一番違うんじゃないかと、個人的には思ってきた。ところでノリってなんですかね。リズム感?なのかしら。いやきっとコードとか録音とか演奏の専門技術的な奥の深いところの積み上げでもあるだろうし。

 例えばピアノコンクールなんかの課題曲の動画観てて思うのは(バレエコンクールでもそう)同じ曲でも弾く踊る人によって全然違って聴こえる。あれいつも不思議。形容詞として使ってる割にはそもそも「上手い」ってよくわかってないし自分。ヘタウマ、とかゆう形容詞もあったよね。。。。漫然。。。。漠然。。。。

 このあたりアレコレ考えてるのは楽しい。答えなんかないし、時々でブレるから、暫く考えて疲れて終わる笑

 「最近聴いてる日本のカッコ良いアーティストの方達」について、まとめて書きたい
「音楽鑑賞が趣味」とか言いながら、漫然と漠然としか受け取ってこなかった私により深く音楽の楽しみ方を教えてくれた方達がいる。
 下書きは始めてるけど、愛が強すぎて上手く書けるか自信がない。けどせっかくなので何処かに書いておきたい。

today’s songs
Stevie Wonder / Please don’t go
昔に「一曲選べと言われたら」と一人で考えて決めた曲。けど60年代、70年代はどれ聴いてもいいよなぁ。

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