「思い出すように」「思い出せるように」

『みんなの日本語』第36課聴解タスク1の問題に「結婚したときのことを思い出すように(写真を)飾ってある」というのが出てくる。

「~ように、~」には無意志動詞(可能動詞や「わかる」「見える」「聞こえる」「なる」など)の辞書形、それから、動詞のない形が接続する。しかし、上に書いたように普通に考えると「思い出せるように」だが、「思い出すように」となっている。

しかし、前件と後件の主語が違えば「意志動詞」も来る。例えば次のようなものだ。

A:この貼り紙は何?
B:子どもが約束を守る守れるように、(私が)貼ったんだ。

「守る(意志動詞)」が使えるといっても、「守れる(無意志動詞)」も使えるので、2つの意味の違いが問題になり、また話がややこしくなる。それに最初に挙げた「結婚したときのことを思い出すように、(写真を)飾ってある」に関しては主語は同じであるとも解釈できる。ますますわからない。

とりあえず考えた例文を列挙する。

1.(妹が)元カレを忘れる/忘れられるように、(私が)思い出の物を全部捨てた。
2.(Aさんが)みんなの期待に応える/応えられるように、(私が)一生懸命応援した。
3.彼が私を信じる/信じられるように、本当のことを話した。
4.子どもが本を読む/読めるように、赤ちゃんのときから読み聞かせをしている。
5.子どもが九九を覚える/覚えられるように、いっしょに練習している。
6.子どもが貯金する/できるように、お金について教えている。
7.子どもが勉強に集中する/できるように、部屋にテレビを置いていない。
8.子どもが医者になる/なれるように、勉強させている。
(*上手になる/×なれるように)「無意志動詞」としてふるまう場合は「なれる」は使えない。

もしかしたら意志動詞を使っているものを許容できない人もいるかもしれない(こういった文法の問題はしばらく考えていると許容度が麻痺してくる)。ただし、意志動詞のほうに「てくれる」を加えるとその許容度は上がる。

しかしながら、表題である「思い出す/思い出せるように」については、多くの人がどちらも許容できると思う。やはりこれは意味の違いを考えないといけない。

どこかに説明してあれば教えていただきたいが、とりあえず私の個人的な考えでは、意志動詞のほうはその意志的な行動が自発的になるようなニュアンスだと感じられる。つまり、「AようにB」で後件の主体がBの行動を行えば(Bの状況を作り出せば)、自然とAになるということである。可能動詞のほうはAの状態に近づくためには労力がかるというように感じる。以下のようなイメージ文法でまとめてみる。

意志動詞のほうは「(飾った写真を)見ると、思い出す」
無意志動詞(可能)のほうは「(飾った写真を)見て、思い出す(努力をして思い出せる)」

どうだろう。

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