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国連・子どもの権利委員会、子どもの国際的返還命令において子どもの最善の利益評価を怠ったとしてチリの条約違反を認定

 国際的奪取の対象とされた子どもの返還をめぐり、国連・子どもの権利委員会が個人通報制度に基づいてチリの条約違反を認定したことを、先日の投稿で紹介しました。

 決定(CRC/C/90/D/121/2020、2022年6月1日付)はいまのところスペイン語版しか公開されていませんが、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)のプレスリリースが英語で出ましたので、概要を紹介しておきます。

★ OHCHR - Chile: UN Child Rights Committee decides first-ever international child abduction case(チリ:国連・子どもの権利委員会、国際的な子どもの奪取に関する史上初の事案について決定)
https://www.ohchr.org/en/press-releases/2022/06/chile-un-child-rights-committee-decides-first-ever-international-child

 本件の申立人は、6歳の男の子 J.M.S.R(以下「J.M.」)の母親です。事案の概要は次のとおり。

1)J M. は、チリ国籍の母親とスペイン国籍の父親との間に、2016年1月にチリで出生した。
2)J.M. は、スペインで暮らしていた生後15か月のとき、言葉の遅れと自閉症が疑われると医師から指摘された。母親は J.M. をチリに連れていって治療と支援の体制を整えることにし、2017年7月、父親は渡航を認める書類に署名した。母子は少なくとも2年はチリに滞在する予定であった。
3)ところが、父親は2018年7月、母親が J.M. を奪取して不法に留め置いているとして、国際的な子の奪取の民事上の側面に関するハーグ条約によって設けられた手続に基づいてスペイン司法省に申立てを行なった。
4)チリの下級裁判所は、2019年初頭に父親の請求を棄却した。J.M. がチリに滞在することについて父親は暗黙の(ほとんど明示的な)同意を与えていること、スペインが J.M. の常居所国であることの証明がなされなかったことなどがその理由である。
5)しかし、同年後半、チリ最高裁判所は下級審の判断を覆し、J.M. をスペインに返還するよう命じた。そのため、母親は J.M. に代わって委員会に通報を行なったものである。

 委員会は、J.M. を直ちにスペインに返還するよう命じるにあたって最高裁は子どもの最善の利益評価を実施しておらず、したがって条約上の手続的保障の侵害があったとして、再審査を勧告しました。委員会の見解は、プレスリリースでは次のようにまとめられています(太字は平野による)。

 委員会は、ハーグ条約上、子どもの正常な状態が適正に回復されることを確保するため、子どもの返還に関する決定はとくに迅速に行なわれなければならないことに留意した。ただし、委員会の考えるところによれば、ハーグ条約の趣旨および目的は子どもの返還を自動的に命ずるべきであるというものではない「裁判所はなお、この特定の事案において返還の原則に対する例外が適用されるかどうか、すなわち返還によって子どもが身体的または心理的危害にさらされるかどうかを、子どもの最善の利益を第一義的に考慮しながら実効的に評価しなければなりません」と、委員会のアン・スケルトン委員は語った。

 スケルトン委員はさらに次のように説明しています。

「これは、子どもの権利条約上の義務にしたがいながら子どもの国際的奪取の事案について決定するにはどうすればよいか、国内裁判所にとっての指針となることが期待される、委員会による重要な決定です」
「委員会は、子どもが必ずチリに留まるべきだと認定したわけではありません。そうではなく、最高裁判所が、返還によって子どもが危害、あるいは子どもの最善の利益に反するいかなる事態にもさらされないことを確保するための、必要な手続的保障措置を適用しなかったと判断したのです」

 このような判断に基づき、委員会は、条約3条1項(子どもの最善の利益)そのものの違反と、条約9条(親からの分離の原則的禁止)および23条(障害のある子どもの権利)を踏まえて同条項を解釈した場合の違反の両方があったことを認め(決定パラ8.10)、チリに対し、これまでに経過した時間およびチリにおける J.M. の統合の度合いを考慮しながら、J.M. のスペインへの返還申請の再審査を行なうことなどを勧告しました(決定パラ9)。ハーグ条約関係の事案においても子どもの最善の利益の原則が第一義的指針となることを確認した決定と言えます。再発防止策として、子どもの国際的返還に関わる決定において子どもの最善の利益が最高の(paramount)考慮事項とされることを確保するようにも促されています(決定パラ9)。

 なお、子どもの国際的奪取をめぐる委員会の決定はこれが初めてですが、2020年2月には国境を越えた親との面会交流をめぐる事案で、パラグアイの条約違反が認定されています。Facebookで概要を紹介済みですが、ここにも再録しておきます。

 条約違反が認定されたパラグアイに関する決定(CRC/C/83/D/30/2017、2020年2月3日付決定)の概要を紹介しておきます。これは、アルゼンチン国籍の父親が、母親(パラグアイ国籍)とともにパラグアイに住んでいる娘(アルゼンチン国籍、2009年6月生まれ)に代わって、父親との面会交流を維持する娘の権利が保障されていないとして申立てを行なった事案です。
 父親はパラグアイの裁判所に対して娘との面会交流を認めるよう申立てを行ない、スカイプを通じて娘と定期的に連絡すること、休暇時などに娘とともに過ごすことなどを認められました(2015年4月)。しかし、申立人の度重なる請求にもかかわらずパラグアイの裁判所が同決定の執行を確保するための実効的措置をとらなかったことから、委員会に対する申立てが行なわれたものです。
 委員会は、2015年4月の決定は娘の最善の利益にのっとったものであったという前提に立ち、パラグアイ当局が同決定の執行を確保するための実効的措置を迅速にとらなかったことは条約3条(子どもの最善の利益)、9条3項(定期的に双方の親との個人的関係および直接の接触を維持する権利)および10条2項(両親が異なる国々に居住している場合の面会交流権)に違反すると認定しました。娘自身は現在では父親とアルゼンチンで過ごすことを望んでいないようですが、委員会は、決定の執行が速やかに確保されていればこのような事態にはならなかったと判断しています。
 このような認定結果を踏まえ、委員会は、パラグアイに対し、「現時点での最善の利益評価を正当に考慮しながら」、娘と父親との関係を再構築するための適切な支援を提供することなどを通じ、2015年4月の決定の執行を確保するための実効的措置をとることなどを促しました。また、再発防止策として、
▽同様の司法決定が子どもにやさしいやり方で即時かつ実効的に執行されることを保障するための実効的措置をとること
▽裁判官等の専門家を対象として、子どもの面会交流権および委員会の一般的意見14号(自己の最善の利益を第一次的に考慮される子どもの権利)に関する研修を実施すること
 なども勧告しています。

 個人通報制度に基づく委員会のその他の決定については、筆者のサイトの〈国連・子どもの権利委員会 個人通報 決定一覧〉参照。

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平野裕二
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