私はロボットではありません
この頃の親との揉め事で分かってきたのは、親は私を単なる所有物のように扱っているということだった。すごく悲しいし悔しい。こんな家系に生まれてきてしまったことが。他人は変えられないからそれもまた悲しい。
親(お母さん)からは、そのまた親(おばあちゃん)にも過酷な育てられ方をしてきたことを聞いていて、私は「ああ、似るんだな」と思った。私もひどい育てられ方をしているなと今思うから。「お母さんはおばあちゃんから逃げたかった。」と話すが、その縮図が今のお母さんと私なのだと、お母さんは気づいていないのだろうか。それもまた悲しい。
叩けば治る機械みたいに思われてる。意志を持ってる人間だとはあまり思われてない。会話の節々に滲み出る。これでいいよね?とか。こっちの意見を聞いているようで全く聞かない。親が私に頼み事をする時も、私がやるまで言い続けるし、どんどん語気が強くなるし。
そこで意志を持つと面倒なことになるから、私は力に従うしかないし、親も子を力で従える方法は変えなくて済んでいるという状況が、昔から続いている。それが大学生になって仕事につきたい、家を出たいという人生の岐路に立った今、さらにまざまざと「やりたいことをやらせてもらえない」ということを肌で感じている。
教員採用試験に落ちた時に、それまでの鬱憤を晴らすように浴びせられた説教には「試験に受からないつまり努力不足」「進路の考え方が中途半端」「大学へ通うのを当たり前だと思っている、親への感謝が足りない」「食っちゃ寝、バイトもしないでゴロゴロ」といったように話が2転3転して、弱っている所にまた力で命令されたのは「試験を来年も受けろ、一般企業に就職してもいいけど試験は合格するまで受けろ」と「就職に活きるようなバイトをしろ」だった。教採に受かることすなわちその学校で働くことなのだと、冷静さを失った親に何度も説明し、一般企業への就職との両立を目指すような発言はおかしかったことを分からせた。
のはいいけど、あの時流れでバイト先まで命令されてしまって、今これを書いているのはそのバ先での勤務前日で、この命令を受けてからだいぶ日が経っていて、しかも親のいいなりになる必要なんかないっていう意志を初めてしっかり持つことができつつあったのに、勤務前日になってその意志がまた揺らいでいる。もう勤務することは決まってしまったから、どうにかこうにか「自分で自分の金稼げるんだ、推し活に使ってやる」とか「なんでも完璧にできる人間なんかいないし、自分がやりたいことできない中放り込まれるんだから無理に頑張ろうとせずテキトーにやればいいんだ」とか、やりたくないけどやるしかないこととして自分の中に落とし込まないといけないんだけど。
物のように扱われておかしいと感じた時、私は意見を言いたくなる。言い返したくなる。親にとっては、何か決め事(力で無理やり決めたこと)について私の言う事は意見ではなく反論だと受け取っているようで、冷静に聞いて欲しいのに逆ギレして全く聞いてくれない時が多々ある。
それどころか、反論する余地さえ与えず、私が親に対して持っている反骨精神を分かった上でさらにそれをも封じ込めるような説教のしかたをしてくるから、感情が死ぬ。拍子抜けする。言い返したかったことも気づいたら忘れている。
感情が死ぬから、自分からあれした方がいい、これした方がいい、と考えることができなくなる。頭が真っ白になる。家の中でのルーティンにしても、将来に関わる大事な情報収集にしても、どんなこともやる気がなくなって横になる。
すると親が部屋に入ってきて「またダラダラして!」と怒鳴る。親にとって、学生は家にいないことが当たり前で、いることが異常で、家にいる私を叩きたくなるのかもしれない。
家の中のルーティンができていないと「お前はほんとに学習しないよな。もっと頭使えよ!」と嫌味を言ってくる。私の頭が回らないのは自分のせいだとも知らずに。
親に怒鳴られ、頭が真っ白になり、頭と身体の動きが一致しないことが多くなった時、私は何度か病気を疑う程だった。でも親は「単なる努力不足だからもっと頑張れ!」と言ってきて、なんの励ましにもなってねーよと思うのだ。
私が家にいるのは、家から出られないのは、親が閉じ込めているせいだと言うと、見事に私はクズ人間になるなあ。自己嫌悪。でもそう言いたくなる。親のせいだって言いたくなる。悔しい。悲しい。情けない。
今思えば、子供の頃から物のように扱う節があったなと思う。
私は子供の頃から絵を描くことが大好きだった。幼稚園の頃、将来は漫画家やイラストを描く人になるいう夢を持った。だかそれは親によってやんわりと否定された。5歳の子供に「漫画家はご飯が食べられないから目指すのをやめなさい」と普通言うだろうか。
小学校の頃も、成績トップを維持していたのにガクッと成績が下がった時期があった時は、通信簿を見せたら暴言を吐きながら顔を往復ビンタ。痛かったので顔を手で覆ったら今度は二の腕をビンタしてきた。腕にはアザが残り、休み明け登校したら先生に心配されたっけな。
絵を描くなと言われていたわけでは無かったので、絵を描くこと自体は好きなまま続行することができていたが、高校時代にも美術部に入るという選択肢は「画材とか余計なお金がかかりそう」という理由で消された。中学時代もやっていたからとなんとなくで入った吹奏楽部がすごくつらくて、辞めたいという話を持ちかけた時は、顔にアザが出来るまで殴られたし、部活は3年続けるというステロタイプ高校生像にならなかった私を不満に思ったんだろうなと思う。もうこの頃から、親にとって私は、意志を持つ人間として見られて居なかったんだ。
そして大学生の今。下手したら高校卒業してから。親の中には理想として「高校卒業したらバイトと勉強と遊びを頑張って、一人暮らしして、目指していた仕事に就いてバリバリ働く!」という像があるのだろう。実際自分もそうしてきたから経験がものを言っているのだろう。だが私はそれとはかけ離れている。だから、ブチ切れてるんだと思う。
近所に住む年下の子や、同級生が、バイトと勉強を両立させているという話を持ち出して私と比べては、キレてくる。「何も言わずに見守ってきたけど、言いたくなるよ!他の子と比べたくないけど、比べたくなるよ!お前がダメすぎて!」とよく怒鳴られる。はて何も言わずにとは?「親の言うことだけ聞いとけ」とかいう超無責任な発言をかました記憶はすっ飛んでいるのか?他の子と比べても、私の意志はガン無視でその子と同じ人生を生きろと言うのか?気持ち悪い。住む家も親も食べ物の好き嫌いもものを考える価値観も得意な教科も長所も短所も身長も体重も着る服も通う学校も頼りになる友達も先生も何もかも違うのに、比べて「あっちのがいい」って言うの?気持ち悪い。
強い語気で偏見とステロタイプが刷り込まれ、家の中でアイデンティティを殺された私は、生きているようで死んでいる。自分の意志が、持とうと思っても揺らいで消滅しそうな勢いだ。死にきれずでっかい身体だけ残され、お腹はすくからご飯食べないといけないし、排泄もしないといけない。この家は楽園のようで生き地獄。感情は死んでも身体が生きているから、歳を重ねて大人になって働かないといけないのに、親を含む第三者から見て怠け者と思われて当然だと思う。そんな自分が大嫌いだ。
親以外の人に「あなたは、何がしたいの?」と聞かれた時すぐに答えられないのが恥ずかしくて、情けなくて、悔しい。
家の中でひとりでいると意志が弱くて揺れて消えそうになるから、家を出て友達や先生に「私こう思うんだけどおかしくないよね?」と確認をお願いしてしまう程だ。そして、こんな親相手によく頑張ったねと褒められることで、私の意志は少しずつ固まっていく。
感情が死ぬので、感情を生き返らせるためには美味しい物食べたり、横になってぼーっとしたり、推しを見たりすることしかない。ひたすらご自愛。
親があんなんだから、自分で自分の機嫌をとることに必死になってしまい、それ以上のことを頑張れなくてすぐ現実逃避してしまう。
明日から、そこに新しくバイトというやらなきゃいけないことが追加されるが、それが吉と出るか凶と出るかは分からない。私にできるのは、吉になるように無理せずテキトーに、嫌なことがあっても美味いもの食って推し活して寝て忘れるくらいのスタンスをとることだと思っている。
もう寝よーっと