人ってやだねぇ
次回なにかしらとして生を受けるとしたら、脳が無いものになりたいな
昨日福岡空港に降り立ったとき、空から見た街の風景が、人生で1番くらい美しく感じられた
時が進むにつれて、山々と海と野原が広がっていた景色からビル群と整然とした道路、車、そしてそれらが発する光の集合に変わっていって、人間が知識と技術を身につけて、長い年月をかけてこの「文明」を作り上げてきたこと思うと感動せずにはいられなかった
地面が近づくと、人と車が蠢いているのも見えて、人が生きていること、営みを思った
その小さな一人一人に人生があって、大切な人とその人を大切に思う人がいると考えると、自分が今見ている景色以上に広くて深い世界があるんだと涙が溢れるような気持ちにさえなった
ほんとに綺麗で、写真を撮るのももったいないなって思うくらいだったんだよ!
しかも私が乗っているのは飛行機で、これもとんだ発明
離着陸の時、決まったタイミングで決まったように動く小さな部品たちが集まった大きな鉄の塊が宙に浮いて、自由に方向を決めて、遠く離れたところに人を乗せて移動するなんてこと、本当に信じられないものを見せられてるな、と思った
そして私はその技術の結晶たる乗りものに乗って、たくさんの技術のさらに大きな結晶たる文明をこの目で見たのだ!!
でも、そのために地球にもともとあった自然が壊されていたことも事実で、広々とした野原に続く都市の地面がすっかりコンクリートで固められていることを思うとゾッとした
物心ついたころから、何かあるごとに考えてきたことだけど、やっぱり人は傲慢すぎるところがあると思ってしまう
地球は人間のものみたいな顔をして、勝手に壊して勝手に作ってきたんだもん
環境保護っていいように使われる言葉だけど、実際「保護」って何様よ?と思います
長い間守られてきたのは、支えられてきたのは自分たちであるにもかかわらず自然を「守るべきもの」みたいな生意気なことを言っていて、私が地球だったとしたら「人間調子こきすぎ、滅ぼします!!」ととっくの昔に言ってる
人間の持つ技術も、知能も本当に素晴らしいものだと思うし、考える頭を持って生まれたことに感謝もしているけど、それだけのことだ
踏みしめる大地がなければ、喉を潤し、食物を育てる水なければ、技術も知能も意味をなさないことを意識し続けなければならないんだと思う
そうでなければますます傲慢に、世界や社会が自分たち人間を中心にしたものだとか大きな勘違いをしたまま進んでしまう
でも、私一人がこんなことを思っていたって、人の中には人至上主義が蔓延してしまっている(西洋の思想が良しとされているからか?)気がして虚しくなった
海と山と大地はいいなぁ
こんなことをうじうじ考えて、無力さを感じている小さな私のことも、コロナとか政治とか国とかそんな私にとって大きなことでさえ全く気にする様子もみせず、ただそこにあった
羨ましい
だから、今回人としての生をどうにかこうにか考えて考えて精一杯で駆け抜けたら、次はきっと考える脳のないものに生まれ変わって、小さなことも大きなことも左右されず、ただそこにありたいな〜って思った
って話でした