我慢(忍耐)という共通のエネルギー
日本には「堪忍袋の緒が切れる」という言葉があるために、誤解されてしまいやすいのですが、人の我慢はストレスが溜まって、溜まりきれなくなって爆発するものではなく、我慢しきれなくなって怒れてしまったり、我慢しきれなくなって心が折れてしまったりするのが本当の所です。
この仕組みを理解するにあたって大切なのが、人には我慢できるエネルギーを溜めている器があるという事です。
これは、素焼きの陶器のイメージした我慢の器になります。
そして、我慢できるエネルギーは、集中するという忍耐を伴う行為でも、同じエネルギーを使います。
この器いっぱいに我慢の水(エネルギー)が溜まっていると、いっぱい我慢が出来て、嫌な事もいっぱい頑張れますし、好きなことにも集中して長く取り組むことも出来ます。
しかし、いっぱい我慢して頑張ると、その水はどんどん減っていきます。
そして、我慢の水が無くなってしまうと・・・!
我慢できなくなるし、頑張れなくなるし、集中することも出来なくなって、自尊心や自己肯定感が下がり、悪循環に陥ってしまいます。
この我慢の水は、出来事毎にあるわけではなく、全て共通だから知らず知らずのうちに、我慢の水を使ってしまっている事があります。
「自己選択する力」で書いた、義務的思考で行動していることも、我慢の水を消費することになってしまいます。
この我慢の器が一度、空っぽになって器まで乾いてしまうと、最初の1滴を溜める事はとても難しくなります。
特に、年齢が大きくなればなるほど、器も大きくなっているため、乾いた器が吸ってしまう分量が増え、最初の1滴が溜まるまでに時間がかかり、回復が難しくなります。
年齢が小さければ小さいほど、空っぽになって器が乾いても最初の1滴は溜め易いですが、慢性化させないようにしましょう。
難しい最初の1滴を溜めることや、たくさん我慢の水を溜める方法は、年齢や経験に応じて1人1人違いますが、必ず方法があります。
そして、我慢の水をあまり使わせない方法のコツもあります。
この我慢の水を上手に使い、上手に溜めるコツが分かると、常に我慢の水がいっぱいあるように調整できるようになり、素直にもなれるし、大らかにもなれる事で、いろんな事を受け入れる事ができて成長し易くなります。
負担の日常生活において我慢の水がいっぱいあり、1日を過ごす中でも半分までの間で過ごせることが良いです。
幼少期の子供は、まだ我慢の器が小さいために、半日で半分以上減ることもあるため、細目な我慢の水の回復が必要になってきます。我満の水は、安心・安全・安定の三安の満たしで回復していくため、質の良い睡眠がとることや、甘えて抱っこされる時間は大切です。
人は一生の中で、日常とは掛け離れた体験をしなければいけないことがあります。事故や災害といった思わぬ事態に直面したときは、我慢の水が大量に必要になります。
転校したり卒業入学したりするといった環境の変化でも、大量の我慢の水を消費してしまうこともあります。
そんな変化を、たくましく力強く乗り越えられるためにも、日常の生活において我慢の水が半分以下の状態で過ごすのではなく、半分以上溜まっている状態でいられるのが理想です。
主たる養育者が子供と関わるとき、我満の水の量がどれだけ残っているのかを考えて関われることは、子育てを効率よくすることにも繋がります。
我満の水が回復して増えている午前中に、何か教えたり注意したりしても覚えてもらいやすいのですが、午後や集中して頑張っていたり叱られて教えられることがあったりした後は、我慢の水は減っているため、その後の出来事に関しては言いすぎたり頑張らせようとし過ぎたりしない方がよく、我慢の水を消費した後は、子供の様子に合わせて臨機応変に対応していくことが望ましいです。